きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

自由を求めて パレスチナとイスラエル① 金曜デモ6年 威嚇する兵隊と対峙

2015-12-10 22:36:38 | 国際政治
自由を求めて パレスチナとイスラエル① 金曜デモ6年 威嚇する兵隊と対峙

パレスチナのヨルダン川西岸で、イスラエルの占領に非暴力でたたかう村々があります。その一つ、ナビサレは毎週金曜日(休日)にデモを続けています。12月9日でまる6年です。11月最後の金曜日、村を訪ねました。
(ナビサレ=小玉純一 写真も)




エルサレムから自動車で90分。ナビサレがもうすぐ、というところでイスラエル兵が村に続く舗装道路を封鎖していました。
山なりの迂回路、砂利道を行きます。運転手は時折、車から降ります。邪魔な石を側によけては車を前に進めます。
ようやく村に着くと、金曜礼拝の時間。終了後、恒例のデモが始まりました。パレスチナの旗を持って丘の上から舗装道路を下っていきます。参加者は50人ほど。子どももいます。村の住民は約500人です。
「パレスチナに自由を」声変わりする前の少年の澄んだ声です。隣接する丘に立ち並ぶユダヤ人入植地の家々に届いたでしょうか。

催涙弾の音が
村へのユダヤ人入植の始まりは1976年でした。
最初は村の面積の10%。年々拡大し、今では60%にもなったと村人はいいます。ユダヤ人約1000人が住んでいます。
デモ隊の後ろを歩いていると、イスラエル兵が待ち構える場所が遠くに見えてきました。パレスチナ各地で実弾を撃っている彼らです。記者(小玉)は、その場で足を止めました。
デモ隊は兵士たちに近づいていきます。パン、パン。デモ隊を威嚇する催涙弾が空に弧を描きました。



金曜デモに参加した人たち=11月27日

水源を奪われ
デモ隊とともに兵士に向かっていた映像ジャーナリスト2人(フランス人)は、その場に用意していた四輪駆動車で、全速力で丘を登って逃走しました。
「用意周到」と感心しながら、記者(小玉)も、つられて走っていました。
デモ隊と兵隊の対峙(たいじ)は30分ほど続きました。この日、負傷者は出なかったようです。
金曜デモは2009年に始まりました。入植地のユダヤ人が村の農業用の水源を奪ったからです。村人はオリーブの栽培ができなくなりました。
村に住む活動家マナル・タミミさん(39)が説明してくれました。(つづく)

【ユダヤ人入植地とは】
ユダヤ人入植地はイスラエルが占領した土地につくったユダヤ人が住む街のことです。イスラエルはヨルダン川西岸と東エルサレムを占領した1967年から今日まで、約250カ所の入植地をつくり、今日ではユダヤ人約55万人が住んでいます。西岸に約35万人、東エルサレムに約20万人です。
ジュネーブ条約は占領国が自国民を占領地に移住させることを禁じています
入植地にはイスラエル市民、世界中のユダヤ教徒が自由に入れます。パレスチナ人は特別な許可がない限り入れません。
入植地にはイスラエルの法が適用され、入植者はイスラエル市民と同じ権利を行使できます。他方、パレスチナ人は戒厳令下に置かれ、制度的に諸権利が奪われています。
入植地とイスラエルの完全管理下にある地域が西岸の6割を占めます。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年12月7日付掲載


ユダヤ人と言うと「流浪の民」というイメージがあって、せめてもの国としてイスラエルがあると言われます。
でも、実際にやっている事は、もともと住んでいたパレスチナ人を追い出して、「入植地」と称して「占領」しているのです。
パレスチナの金曜デモが6年。日本の原発ゼロの金曜デモは3年半余り。パレスチナの方が先輩です。