きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

東日本大震災・原発事故10年 被災地から⑥ 観光 コロナ禍で支援が必要

2021-03-14 07:27:35 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
東日本大震災・原発事故10年 被災地から⑥ 観光 コロナ禍で支援が必要
岩手・宮古

東日本大震災で被災した三陸沿岸部は、複雑に入り組んだリアス海岸の景観と新鮮な海産物が観光資源になっています。
生業の再建で、観光の復興をめざしている被災地の岩手県宮古市。死者・行方不明者569人、家屋倒壊4000棟以上という大きな被害がありました。




漁獲落ち込み
三陸沿岸では震災後5年を過ぎたころから水産物の漁獲が落ち込んでいます。サンマ、サケ、スルメイカなどの不漁が続き、漁業と水産加工業が打撃を受けています。漁業の不振は地域経済と観光に大きな影を落としています。
観光客をよぶために、サケなどにかわる新たな特産品づくりも工夫。市の水産課によると、宮古漁業協同組合と協力して、トラウトサーモンやホシガレイの養殖実験をしていると言います。
観光の拠点づくりでは宮古港と田老地区に道の駅を再建。両施設とも三陸道から離れた所にあるため、三陸道の完成によって「車の客が道の駅に寄らずに素通りする」という懸念が生まれています。
田老地区で菓子店を営む田中和七さんは「三陸道の田老インターチェンジの出入り口が片側しかないことで、仙台方面から観光客が道の駅にこられない」といいます。



道の駅たろう(手前)と高台移転した田老地区の住宅団地(奥)=3月7日、岩手県宮古市

宿泊割の制度
「震災後も大変でしたが、一番大変なのはコロナです」というのは、前宮古観光文化交流協会会長でホテル経営をする澤田克司さん。海外客も含めて旅行客をよぼうとしていたときに新型コロナウイルスで自粛せざるを得なくなったと話します。経営が厳しく廃業の危機にある宿泊施設もあるとも。「ホテルでは宿泊が減ったほか、宴会の収入がゼロになって厳しい。持続化給付金も足りていない。引き続き支援が必要です」
同協会事務局長の山口惣一さんは「市独自に、岩手県民限定や東北県民新潟県民限定で、みやこ宿泊割の制度をつくっており、宿泊業者に喜ばれています。3月いっぱいまでですが、コロナで大変なので来年度も続けられないのか」と期待しています。
宮古湾に臨むホテルを営んでいる近江勇さんは「みやこ宿泊割は地域にお金が回るので良いと思う」といいます。震災でホテルが大きな被害を受け、ようやく再建しました。「震災での再建資金を返済していましたがコロナで収入が減りストップしています。雇用調整給付金などの申請が難しく苦労しました。もっと分かりやすく、困っているところにまわる支援が必要です」
(武田祐一)(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年3月9日付掲載


コロナ禍で、観光業が大変な中、宮古市独自の、岩手県民限定や東北県民新潟県民限定で、みやこ宿泊割の制度。宿泊業者に喜ばれている。
支援の継続、分かりやすい制度が求められています。

東日本大震災・原発事故10年 被災地から⑤ 避難者 戻った住民1割以下

2021-03-13 07:27:48 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
東日本大震災・原発事故10年 被災地から⑤ 避難者 戻った住民1割以下
福島・浪江町

東京電力福島第1原発事故の影響で福島県では10年たった今も、県の発表で県内外合わせて約3万7000人が避難しています。
県沿岸部の10市町村では、まだ帰還困難区域が広がり、避難指示が解除された地域での居住率は31・8%にとどまります。




一部解除後も
一部地域が避難指示解除されて4年の浪江町の場合は―。
JR常磐線浪江駅を降りると、駅前に目立つ、さら地。16軒入れる飲食店街には4軒の看板しかありません。
中心部から離れると、「除染中」のオレンジののぼりと除染廃棄物を入れたフレコンバッグの山。
にぎわいをみせているのは新しくできた道の駅。地元の海産物や野菜も並びます。
同町は農業農村を主体にして、その周りに商工業や漁業がある、そんな姿の町でした。
同町によると、2月末の時点で、住民登録している1万6650人のうち町に戻ったのは、1098人。仕事などで住民登録しないで居住している人を含めても1579人です。1割以下です。
飲食店の女性従業員は、「これでもお店が以前より増えました。だけど、町の人は戻っていません。これからも期待できません」といいます。
4年前に戻ってきた斎藤チヨノさん(86)は畑で作った野菜を道の駅に出しています。避難前に住んでいた自宅をリフォームして暮らしています。
「活気はまだまだ戻っていません。とにかく人が少ないし、来ません。イノシシやハクビシンに手をやいています」と話します。
復興庁が1月に発表した浪江町住民意向調査では、帰還について「戻らないと決めている」とした回答が5割を超えました。
6年前に福島市内に中古住宅を買った54歳の男性は「帰るつもりだったが、除染も進まず、もう帰れないと判断した。東電にはすべてを元にもどしてほしい、といいたい」。



さら地が目立つ駅前


荒れ果てたままの飲食店が入っていた建物=3月6日、福島県浪江町

進む巨大開発
帰還者が少ない一方、国家プロジェクトとして「福島イノベーション・コースト構想」にもとつく水素製造拠点などの巨大開発が進められています。
「『創造的復興』という看板のもとで、開発志向型、すなわち呼び込み型、本質は惨事便乗型ではないかと私は判断せざるを得ません」というのは日本共産党の馬場績町議です。
「『新たな復興期間に入る』という復興・再生の政策支援というなら、県内はもちろん、避難中の住民も支援の対象にするのが当然です。町民の声を吸い上げ、町民の誇りを呼び戻し、浪江の気候・風土に合った農業をはじめとする産業の復興、きめ細かな支援を優先すべきです」
(栗田敏夫、菅野尚夫)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年3月8日付掲載


避難指示が解除された浪江町でも、町に戻ってきたのは1割。
除染も進まず、生活基盤が戻らない。戻りたくても戻れないのが実態。
国家プロジェクトとしての「福島イノベーション・コースト構想」にもとつく水素製造拠点などの巨大開発ではなく、浪江の気候・風土に合った農業をはじめとする産業の復興、きめ細かな支援こそ求められる。

東日本大震災・原発事故10年 被災地から④ 生業 若者の雇用創出めざす

2021-03-12 07:46:58 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
東日本大震災・原発事故10年 被災地から④ 生業 若者の雇用創出めざす
宮城・石巻雄勝地区

宮城・石巻雄勝地区伝統産業の硯やホタテ養殖が有名な宮城県石巻市の雄勝地区。東日本大震災の津波で町中心部は壊滅的な被害にあいました。震災前4300人いた人口は震災後1100人に。復興はいまだに道半ばです。そんな中でも、あきらめずに「住民主体」の姿勢で復興と生業の再生に向け進み続ける住民がいます。




住民のために
「マスコミは『雄勝の復興は失敗だ』と言う。『県の復興』は失敗かもしれないが、住民の復興が失敗とは言われてたまるかという気持ち」。そう話すのは雄勝で地域の生業の再生に取り組む徳水博志さん(67)です。
震災後、一部住民は「原形復旧の高さ4・1メートルの防潮堤と、集落を囲むかさ上げ道路をセットで作る」復興案を提案。国と宮城県はそれを無視して、高台移転と9・7メートルの防潮堤建設をしました。
高台移転の工事完了までの間、住民は比較的市の中心部近くの仮設住宅で生活。職場にも近く、生活を送るうえでも便利な市中心部で生活の基礎ができた人たちは、工事完了後も雄勝には戻りませんでした。
硯やホタテ養殖も震災と津波で大打撃を受けました。
「安全第一のまちづくりだけじゃなく、生業の再生もセットで取り組まなければ住民のための復興にはならない」と考えた徳水さん。若者が復興に社会参加する際の受け皿にと、一般社団法人「雄勝花物語」を設立しました。
「雄勝花物語」には、▽被災地緑化支援やローズフ・アクトリーガーデンの無料開放などを行う支援部門▽防災教育やボランティアの受け入れなどをする教育部門▽押し花教室などを行う事業部門―があります。



「北限オリーブ」の木の前に立つ徳水博志さん


「おがつ・たなごや」の中にある海産物直売所=宮城県石巻市

道の駅で交流
ガーデンの隣接地に植えた140本の「北限のオリーブ」からオリーブ油を作り小売りまでする6次産業化で若者の雇用創出をめざす事業を進めています。
徳水さんは「町内の他団体ともつながって、一日体験型のプログラムを作りへ交流人口を増やしていきたい。本団体が若者の雇用を生み出すまで見届けたい」と笑顔で語ります。
地域拠点として昨年5月にオープンした石巻市雄勝観光物産交流館「おがつ・たなごや」は4月から道の駅になります。この事業に関わってきた、同市雄勝総合支所地域振興課長の及川剛さん(57)は「これで交流人口がさらに増えます。住むことは先の話、まずはこの地を知ってもらいたい。その手助けになりたい」と話しました。
(津久井佑希)(つづく)


「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年3月7日付掲載

住宅や町並みの再建だけでは暮らしていけない。
生業の復興が必要。「北限のオリーブ」からオリーブ油を作り小売りまでする6次産業化。
地域拠点として昨年5月にオープンした石巻市雄勝観光物産交流館「おがつ・たなごや」は4月から道の駅に。
交流人口を増やし、やがては流入人口へ。

東日本大震災・原発事故10年 被災地から③ 住まい 膨らむ家賃が苦しめる

2021-03-11 07:43:05 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
東日本大震災・原発事故10年 被災地から③ 住まい 膨らむ家賃が苦しめる
宮城・石巻

全住居の76・6%にあたる5万6000軒が損壊する最大規模の被害が出た宮城県石巻市。復興公営住宅に入居でき、「やっと落ち着けた」と安堵していた入居者たちがいま、家賃や高齢化の問題で苦しんでいます




段階的アップ
宮城県全体の復興公営住宅1万6000世帯のうち、石巻市は4400世帯と3割近くを占めています。
「家は津波で完全になくなり、当初は屋根があればどんな家でもいいと思っていましたが、やっぱり家賃負担は重いです」と語るのは、同市の復興公営住宅に入居している佐藤国子さん(77)です。小学校で働いていた佐藤さんは厚生年金が収入扱いとなり、平均より4千円ほど高い2万1000円の家賃を負担しています。
5年前に見つかったがんによって胃の3分の2を切除し、定期的に検診を受けている佐藤さん。「医療費も消費税も上がって出費ばかり増える中で、少ない年金で家賃が膨らむのはつらいです」と話しました。
石巻市で深刻化しつつあるのは、一定以上の所得がある世帯(収入超過者)の負担増です。
収入超過者の家賃は、入居4年目から段階的に民間業者の賃貸と同水準まで引き上げられます。仙台市では、1万9300円だった家賃が9万9400円と、5倍に上がった例もあります。
石巻市は独自に家賃の据え置き期間を延長しているため、引き上げが始まるまでに、入居から8年の猶予があります。しかし、据え置き期間を終える入居者は、今後増えていきます。



宮城県石巻市の復興公営住宅

出て行く若者
自宅が全壊し、妻子とともに復興公営住宅に入居している男性(60代)は、子どもが卒業して働くようになり、再来年から年2万円ずつ家賃が上がる見込みです。「ついの住み家のつもりでしたが、早めに安いアパートへ引っ越すことも考えています」
石巻市の復興公営住宅の高齢化率(65歳以上)は44・9%です。男性は「ただでさえ高齢化で見回りやコミュニティーの維持が大変なのに、働く若い世代ほど“収入超過”で出ていかなければならない仕組みはおかしい」と話します。
震災前は1800世帯だった市の公営住宅は、現在6200世帯と、3倍以上になっています。
日本共産党の三浦一敏宮城県議は、「惨事便乗型の大型開発にだけ突き進み、県営住宅を1軒もつくらず自治体に復興公営住宅を丸投げした、宮城県の被災者目線の欠如は大きな問題です」と指摘します。
(高橋拓丸)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年3月6日付掲載


宮城県の場合は、県が災害復興公営住宅を造らなかった分、市町村ががんばりました。
それでも、入居後、一定の収入のある世帯は家賃がアップします。高齢者には負担です。
一方、家賃を負担できる若年層は収入超過で公営住宅を退去しないといけないくなる。

東日本大震災・原発事故10年 被災地から② 集団移転 住民主導まちづくり

2021-03-10 07:42:49 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
東日本大震災・原発事故10年 被災地から② 集団移転 住民主導まちづくり
宮城・東松島
被災地では国、県などの復興計画にもとつく道路や防潮堤、集団移転などの大型公共事業によって、まちが住民の思いとかけ離れたものになっています。
一方、住民主導のまちづくりを進めているところも。その一つが宮城県東松島市です。人口約4万人で、ノリ、カキの養殖や米作などと、景勝地・松島の観光業が盛んです。
同市は津波で死者・行方不明者が1133人、全世帯の7割超の約1万1000世帯の家屋が被災。浸水地域は防災危険区域とされ、住めないことに。




元気取り戻す
市は七つの集団移転地を用意しました。住民はそれぞれ集団移転にむけての懇談会や準備会をつくりました。
「あおい地区」は580世帯が暮らす同市内最大の集団移転地区で、大曲浜などの住民が移転。大曲浜には650世帯約1600人が住んでいましたが、津波で320人以上が亡くなりました。
「あおい地区」会長の小野竹一さんは、被災3カ月後に仮設住宅の自治会長を任されました。「当時、住民は家族や友人を亡くし、将来への不安を抱え、元気がありませんでした。役員の意思統一のために、住民に笑顔と元気を取り戻す活動や、将来に向けて自立のための活動など五つの目標をつくりました」
小野さんたちは移転に際して、まちづくり整備協議会を結成。「20年後、30年後の子どもたちに残すまちを日本一に」などの目的を掲げました。仮設の自治会活動でつながった38人の役員でまちづくりの課題を話し合う八つの専門部会をつくり、「井戸端会議」など住民が参加できる場を設けました。
街並みのルールや区画決定、間取りも「親子や親戚などで近くに住みたい」という要望を出し、住民同士の話し合いで決めました。
「市の公営住宅案は2階建てが中心でしたが、住民に要望を聞いたら高齢者の7割は平屋がいい、と。話し合いは時間がかかりますが、自分たちの願いが実現しているので住み続けたいまちとなった」と小野さん。



大曲浜の住民が防災集団移転した、あおい地区の住宅街=2月28日、宮城県東松島市

夢を語り合い
同市職員で元市復興政策部長の小林典明さんは「行政がしたことは移転先の土地を取得し、国からの交付金を使って宅地造成することぐらいでした」と話します。
移転のための宅地は52年間の借地契約で、30年間は賃貸料が無料。被災した土地は市が買い取りました。住民の多くは、土地を売ったお金を住宅再建の資金に充てています。
小林さんは「住民のみなさんは夢の部分を語り合って、まちづくりを進めてきた」と話します。
(武田祐一)(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2021年3月5日付掲載


集団移転の場合も、行政主導ではなくって住民本位に。
東松島市の場合は、「市の公営住宅案は2階建てが中心でしたが、住民に要望を聞いたら高齢者の7割は平屋がいい、と。話し合いは時間がかかりますが、自分たちの願いが実現しているので住み続けたいまちとなった」と。
移転のための宅地は52年間の借地契約で、30年間は賃貸料が無料。被災した土地は市が買い取りました。住民の多くは、土地を売ったお金を住宅再建の資金に充てる。
被災して、本当なら二束三文の土地を市が買い取ってくれて、安全な土地を手に入れることができた。