歴代レッズのキャラで、明るいといえば今の柏木などたくさんいます。ただ、試合でパフォーマンスを見せるような飛びぬけて明るいキャラは、ここのところの浦和にはいなかったです。どちらかといえば、坪井、堀之内、田中達也といった比較的まじめなキャラが主力の多くを占めていました。
今回の槙野の加入は、そういう面白いことを見られそうという意味でも楽しみですが、槙野の前のパフォーマーというと池田伸康までさかのぼります。池田伸康は1993年から1999年まで浦和に在籍していましたが、故障が多く、レッズフェスタのときが一番元気と言われていた不運な選手です。
そんな池田伸康の一世一代のパフォーマンスは、国立競技場の横浜F戦で見せた「お焼香パフォーマンス」でしょう。彼はボランチでスタメン出場していたのですが、思い切った攻撃参加が成功し、当時流行りだったビスマルクの神の祈りに対抗して、うちは仏教だからお焼香のポーズをしたと当時のマスコミに語っていました。
故障の多さこそ気になっていましたが、小柄な体ながら細かいステップで切れのいい走りができる池田伸康は好きな選手の一人でした。たぶんトップ下が彼の本来のポジションですが、右アウトサイドで山田暢久の控え一番手に置かれ、出番を得たこともあります。いつの時代も走れる選手はどこかでポジションを得るということです。
今、梅崎が好調で、一年これを続ければどれだけの活躍ができるだろうとサポに注目されていますが、池田伸康の場合は結局フル稼働はできませんでした。実力はあるのに惜しいとサポに惜しまれながら、2000年から水戸に移籍します。水戸では背番号10をつけ、J1の経験をチームに還元する役割を期待されましたが、一度生で見た大宮戦では得意なトップ下で出たもののほとんど存在感を見せられませんでした。
こういうタイプはチームを変えられる可能性を持っています。池田伸康もレッズフェスタでは何かやってくれるのではないかとサポは期待していました。槙野も試合後にサポと一緒に選手が応援歌を歌うという、これまでになかったことをやってくれました。広島時代はいろんなバリエーションのあったパフォーマンスの仕掛け人ですから、チームの雰囲気を良くするくらいなら簡単かもしれません。
今回の槙野の加入は、そういう面白いことを見られそうという意味でも楽しみですが、槙野の前のパフォーマーというと池田伸康までさかのぼります。池田伸康は1993年から1999年まで浦和に在籍していましたが、故障が多く、レッズフェスタのときが一番元気と言われていた不運な選手です。
そんな池田伸康の一世一代のパフォーマンスは、国立競技場の横浜F戦で見せた「お焼香パフォーマンス」でしょう。彼はボランチでスタメン出場していたのですが、思い切った攻撃参加が成功し、当時流行りだったビスマルクの神の祈りに対抗して、うちは仏教だからお焼香のポーズをしたと当時のマスコミに語っていました。
故障の多さこそ気になっていましたが、小柄な体ながら細かいステップで切れのいい走りができる池田伸康は好きな選手の一人でした。たぶんトップ下が彼の本来のポジションですが、右アウトサイドで山田暢久の控え一番手に置かれ、出番を得たこともあります。いつの時代も走れる選手はどこかでポジションを得るということです。
今、梅崎が好調で、一年これを続ければどれだけの活躍ができるだろうとサポに注目されていますが、池田伸康の場合は結局フル稼働はできませんでした。実力はあるのに惜しいとサポに惜しまれながら、2000年から水戸に移籍します。水戸では背番号10をつけ、J1の経験をチームに還元する役割を期待されましたが、一度生で見た大宮戦では得意なトップ下で出たもののほとんど存在感を見せられませんでした。
こういうタイプはチームを変えられる可能性を持っています。池田伸康もレッズフェスタでは何かやってくれるのではないかとサポは期待していました。槙野も試合後にサポと一緒に選手が応援歌を歌うという、これまでになかったことをやってくれました。広島時代はいろんなバリエーションのあったパフォーマンスの仕掛け人ですから、チームの雰囲気を良くするくらいなら簡単かもしれません。