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稲尾記念日

2012-07-02 18:49:21 | 他スポーツ
昨日の西武ドームでの西武対日本ハムは、稲尾元投手の背番号24を永久欠番にする記念試合で、西武の全員が当時の西鉄ライオンズの背番号24のユニフォームで試合をするという日でした。普段、背番号で選手を見分けているファンにとっては誰が誰だかわからなくなりますが、こういうときこそバッティングフォームや顔の特徴を見分けようとするので、いいきっかけかもしれません。

こういう試みはメジャーリーグではたまにあり、史上初のアフリカ系メジャーリーガーのジャッキー・ロビンソンの偉業を称える際、同じようなことをしています。古いユニフォームの復刻版も今や全球団に広まり珍しくはなくなりました。

稲尾さん自身は亡くなっていますが、今年は生誕75周年ということで、彼の娘を西武ドームに招待して始球式をやってもらいました。イチローが最多安打記録を更新したとき、それまでの記録保持者の孫が招待されたこともあり、家族を呼ぶのはアメリカにもあるようです。

稲尾投手は、西鉄ライオンズ黄金時代のエースで、シーズン42勝という現代のプロ野球では更新不可能な記録を持っています。20勝は当たり前で、30勝も2度記録して鉄腕と呼ばれました。日本シリーズで巨人に3連敗してから、4連勝で逆転で日本一になったときは「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれたほどです。

また、評価できるのは生涯防御率が1点台という事実です。今の選手に例えれば毎年沢村賞候補の常連だったダルビッシュ並みの成績で、たぶん稲尾が全盛期に行けばメジャーリーグでも通用したと思います。

ただ、当時のプロ野球は「優勝するにはエースを一人潰さないといけない」と言われた投手受難の時代でした。金田のように平然と通り抜けて400勝まで行ったのは例外で、稲尾も投げすぎが投手寿命を縮めた一人です。

正直、西武の24番は黄金時代に2番を打った平野謙選手のイメージが今でもあり、なぜ今さら永久欠番?という印象はあります。稲尾さんが生きているうちにやってくれればという残念な気持ちもあります。

ただ、稲尾の名前をライオンズは忘れていないというアピールにはなったのは確かです。100球投げれば100球ストライクを取れた名投手の名前は西武ドームの屋根に刻まれます。私はリアルタイムでは見ていませんが、稲尾のことは語れる相手さえいれば語り継いでいきたいです。
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