今でこそ代表で不動の存在になった、代表キャプテンの長谷部誠選手ですが、彼にも下積み時代はありました。長谷部が浦和に入団した2002年、当時はフェイエノールト(オランダ)に移籍した小野伸二の移籍金を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとしていた頃です。当然ライバルも多かったのですが、長谷部はU-19日本代表に呼ばれることが多く、なかなかサテライトリーグでは姿を見られませんでした。
初めて長谷部を見たのは2002年のサテライト最終戦、川越での試合でした。当時、FKやCKのキッカーは全て長谷部に任されていて、技術的にはしっかりしていることはわかりましたが、トップに上げて大丈夫な確信は得られませんでした。そんな長谷部を抜擢したのは当時のオフト監督で、トップ下候補だったエジムンドの突然の退団で空いたトップ下に長谷部を入れたのがきっかけでした。
この試合は当時勝てる相手とは思えなかった鹿島とのアウェイ戦で、試合も1-3で負けたのですが、長谷部が永井や田中達也に正確なパスを送り込んでいたことは印象に残っています。これで信頼をつかんだ長谷部は、リハビリ中の山瀬がいない間はトップ下、山瀬が復帰したらボランチと複数のポジションをこなします。
しかし、翌年の浦和は長谷部に試練を与えます。名古屋からユース代表でも活躍した酒井をボランチ候補として獲得したからです。マスコミの予想は鈴木啓太、酒井のダブルボランチというものでしたが、この年から監督がギドになっていて、長谷部の攻撃力を自在に発揮して良くなったのが追い風になりました。長谷部は酒井からポジションを奪い、鈴木啓太、長谷部のダブルボランチは長谷部がドイツに移籍するまで不動のコンビになりました。
ただ、そんな長谷部も代表ということになると、ドイツに移籍してから岡田監督に呼ばれたのがきっかけです。今や代表入りの道は海外となったようで、ザッケローニもたまに欧州行脚をしますが、それは欧州に散らばる代表選手を見るためです。そんな長谷部も代表キャプテンに定着し、代表戦を生で見ると驚くパス回しの速さをものともしない能力を身につけました。
自分のところの選手と思っていた浦和サポにとっては、長谷部はずいぶん遠いところに行ってしまったというのが正直な印象です。いつか戻ってきたら温かく迎えたいですが。
初めて長谷部を見たのは2002年のサテライト最終戦、川越での試合でした。当時、FKやCKのキッカーは全て長谷部に任されていて、技術的にはしっかりしていることはわかりましたが、トップに上げて大丈夫な確信は得られませんでした。そんな長谷部を抜擢したのは当時のオフト監督で、トップ下候補だったエジムンドの突然の退団で空いたトップ下に長谷部を入れたのがきっかけでした。
この試合は当時勝てる相手とは思えなかった鹿島とのアウェイ戦で、試合も1-3で負けたのですが、長谷部が永井や田中達也に正確なパスを送り込んでいたことは印象に残っています。これで信頼をつかんだ長谷部は、リハビリ中の山瀬がいない間はトップ下、山瀬が復帰したらボランチと複数のポジションをこなします。
しかし、翌年の浦和は長谷部に試練を与えます。名古屋からユース代表でも活躍した酒井をボランチ候補として獲得したからです。マスコミの予想は鈴木啓太、酒井のダブルボランチというものでしたが、この年から監督がギドになっていて、長谷部の攻撃力を自在に発揮して良くなったのが追い風になりました。長谷部は酒井からポジションを奪い、鈴木啓太、長谷部のダブルボランチは長谷部がドイツに移籍するまで不動のコンビになりました。
ただ、そんな長谷部も代表ということになると、ドイツに移籍してから岡田監督に呼ばれたのがきっかけです。今や代表入りの道は海外となったようで、ザッケローニもたまに欧州行脚をしますが、それは欧州に散らばる代表選手を見るためです。そんな長谷部も代表キャプテンに定着し、代表戦を生で見ると驚くパス回しの速さをものともしない能力を身につけました。
自分のところの選手と思っていた浦和サポにとっては、長谷部はずいぶん遠いところに行ってしまったというのが正直な印象です。いつか戻ってきたら温かく迎えたいですが。