先日、バイエルン(ドイツ)の試合を見ていたら、観客の一人に2002年日韓W杯のMVPの元GK、オリバー・カーンがいました。カーンが活躍したW杯からもう10年も経つというと時の流れを感じますが、カーンは4度W杯のメンバーに入りましたがそのうち3度がサブGKという苦い思いもしています。
しかし、4度W杯のメンバーに入ったということはそれだけ長い期間トップレベルのGKだった証明で、名門のバイエルンで長く正GKだったことは素晴らしいことだと思います。いまだにカーンの名前が語り継がれるのは、1度きりだった2002年の正GKのときの活躍が鮮やかだったからです。
特に印象に残っているのはチラベルトとのGK対決を制した決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦です。この試合は韓国の済州島で行われました。なぜ覚えているかというと、この試合のチケットを持っていたからです。
あのときはなにがなんでもW杯を生で見るんだと思ってずいぶんいろんなことをしました。どういうカードになるかどころか、予選すら終了していない段階で韓国開催分のインターネット販売に応募し、日本国内の試合も友達数人の名前を借りて次から次へと申し込みました。
その結果、日本3試合、韓国3試合のチケットを取れました。当時は会社の制度で一週間休めるので、リゾート地として名高い済州島のホテルでゆっくりしながら3試合を見ようと思っていました。しかし、W杯の前年、私を襲ったのは大病でした。
韓国どころか、泊まり掛けの旅すら不可能な状態になり、このチケットは他人に譲らざるを得ませんでした。この試合はスタンドにいたはずと思いながらのテレビ観戦は悔しさが募りました。
それほどの病を抱えていた状態でのテレビ観戦ですから、詳細には覚えていません。ただ、あのときのカーンは神がかっていました。驚異的なファインセーブを連発したカーンには優勝して欲しいと思いながら見ていましたが、決勝戦のブラジル戦は惜しくも敗れました。
当時33歳だったカーンは代表は引退する可能性がありました。しかし、4年後のW杯が地元開催だったので、カーンは37歳になる次のW杯に意欲を見せ、2005年には親善試合のドイツ代表の一員として来日もしています。この試合を生で見てカーンのファインセーブを見た私は、少しあのときを取り戻せたと思いました。
しかし、4度W杯のメンバーに入ったということはそれだけ長い期間トップレベルのGKだった証明で、名門のバイエルンで長く正GKだったことは素晴らしいことだと思います。いまだにカーンの名前が語り継がれるのは、1度きりだった2002年の正GKのときの活躍が鮮やかだったからです。
特に印象に残っているのはチラベルトとのGK対決を制した決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦です。この試合は韓国の済州島で行われました。なぜ覚えているかというと、この試合のチケットを持っていたからです。
あのときはなにがなんでもW杯を生で見るんだと思ってずいぶんいろんなことをしました。どういうカードになるかどころか、予選すら終了していない段階で韓国開催分のインターネット販売に応募し、日本国内の試合も友達数人の名前を借りて次から次へと申し込みました。
その結果、日本3試合、韓国3試合のチケットを取れました。当時は会社の制度で一週間休めるので、リゾート地として名高い済州島のホテルでゆっくりしながら3試合を見ようと思っていました。しかし、W杯の前年、私を襲ったのは大病でした。
韓国どころか、泊まり掛けの旅すら不可能な状態になり、このチケットは他人に譲らざるを得ませんでした。この試合はスタンドにいたはずと思いながらのテレビ観戦は悔しさが募りました。
それほどの病を抱えていた状態でのテレビ観戦ですから、詳細には覚えていません。ただ、あのときのカーンは神がかっていました。驚異的なファインセーブを連発したカーンには優勝して欲しいと思いながら見ていましたが、決勝戦のブラジル戦は惜しくも敗れました。
当時33歳だったカーンは代表は引退する可能性がありました。しかし、4年後のW杯が地元開催だったので、カーンは37歳になる次のW杯に意欲を見せ、2005年には親善試合のドイツ代表の一員として来日もしています。この試合を生で見てカーンのファインセーブを見た私は、少しあのときを取り戻せたと思いました。