今日は冷たい雨が降り、あまりにも寒かったのでNACK5スタジアムはキャンセルして、自宅で皇后杯準決勝の2試合をテレビ観戦していました。戦術的な面白さはスタジアムに行った方がわかりますが、選手情報などテレビでなければわからないこともあります。
その選手情報の中で、伊賀FCのボランチ、宮本ともみ選手が引退するという情報は時の流れを感じます。宮本は元なでしこジャパンで、アテネ五輪の8強に貢献した守備のスペシャリストです。
今日のプレーを見る限りではまだまだ中心選手で、とても引退する選手のようには見えませんが、33歳という年齢と子供との時間のこともあったのでしょう。宮本といえば産休から復帰したママさん選手の走りです。
他の競技でも谷亮子(柔道)、赤羽有紀子(陸上)、岡崎朋美(スケート)など産休から復帰する選手は出てきていますが、サッカーの代表クラスでは宮本が最初です。なでしこリーグなら試合は基本的に週末なので、夫に子供を預けることもできますが、代表ということになると本人は夫が子供を見られないので無理と思っていたようです。
しかし、当時の日本サッカー協会会長、川渕キャプテンが粋な計らいをします。代表合宿にベビーシッターを置いたことです。当時のなでしこの戦術は、酒井、宮本が後ろで守備を固めてトップ下の澤は攻撃に専念していいという布陣でした。宮本は当時のなでしこでは必要な戦力だったので、ママさんのなでしこという史上初の出来事が実現しました。
また、宮本といえば168cmと女性としては大きいので、セットプレーのターゲットとしても使えました。なでしこ時代にフィジカルの強さを生かした守備のスペシャリストという印象が強いですが、点に絡むこともあった選手でした。今日のプレーではポジショニングのセンスはさすがベテランで、中盤でパスを回せる位置を正確に取っていたのは印象に残りました。
しかも、ラストゲームで点も取っているあたり、記録にも記憶にも残る選手だったのではと思います。伊賀FCは残念ながらPK戦で敗れ、決勝進出はなりませんでしたが、前身のプリマハム時代からチームを支えた宮本の最後の試合という印象は残りました。レッズレディースのことは明日、ネタがなかったら書こうと思います。
その選手情報の中で、伊賀FCのボランチ、宮本ともみ選手が引退するという情報は時の流れを感じます。宮本は元なでしこジャパンで、アテネ五輪の8強に貢献した守備のスペシャリストです。
今日のプレーを見る限りではまだまだ中心選手で、とても引退する選手のようには見えませんが、33歳という年齢と子供との時間のこともあったのでしょう。宮本といえば産休から復帰したママさん選手の走りです。
他の競技でも谷亮子(柔道)、赤羽有紀子(陸上)、岡崎朋美(スケート)など産休から復帰する選手は出てきていますが、サッカーの代表クラスでは宮本が最初です。なでしこリーグなら試合は基本的に週末なので、夫に子供を預けることもできますが、代表ということになると本人は夫が子供を見られないので無理と思っていたようです。
しかし、当時の日本サッカー協会会長、川渕キャプテンが粋な計らいをします。代表合宿にベビーシッターを置いたことです。当時のなでしこの戦術は、酒井、宮本が後ろで守備を固めてトップ下の澤は攻撃に専念していいという布陣でした。宮本は当時のなでしこでは必要な戦力だったので、ママさんのなでしこという史上初の出来事が実現しました。
また、宮本といえば168cmと女性としては大きいので、セットプレーのターゲットとしても使えました。なでしこ時代にフィジカルの強さを生かした守備のスペシャリストという印象が強いですが、点に絡むこともあった選手でした。今日のプレーではポジショニングのセンスはさすがベテランで、中盤でパスを回せる位置を正確に取っていたのは印象に残りました。
しかも、ラストゲームで点も取っているあたり、記録にも記憶にも残る選手だったのではと思います。伊賀FCは残念ながらPK戦で敗れ、決勝進出はなりませんでしたが、前身のプリマハム時代からチームを支えた宮本の最後の試合という印象は残りました。レッズレディースのことは明日、ネタがなかったら書こうと思います。