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阿部勇樹の記憶

2018-05-17 21:56:31 | 浦和レッズ
今季、出番は少なくなったものの、どこでもできる器用さでチームを支える阿部勇樹選手の記憶です。阿部は500試合出場という、Jリーグでも有数の出場数を誇るボランチですが、CBもこなせることがこれだけの出場数を生んだといえます。その器用さは千葉時代からで、U-20日本代表ではリベロを守っていた彼を駒場のピッチで見たことがあります。

千葉時代では、オシム監督の戦術の最大の理解者だった印象です。当時のオシムサッカーはマンツーマンを多用することで知られ、阿部勇樹は浦和と対戦するときはキーマンのポンテに付くことが多かった記憶です。このポンテ対阿部勇樹は、いつも熱い戦いになり、ポンテを抑え切った試合の印象もあります。

浦和移籍は2007年、オジェック監督時代です。オジェック監督は阿部勇樹の特定のポジションを決めず、負傷者などで空いているポジションに当てはめる起用をしていました。CBとボランチはもちろん、左SBで出場した試合もあります。当時の浦和はACLで優勝し、疲労性の腰痛で苦しみながら最後まで戦ってくれました。

その後のエンゲルス監督、フィンケ監督はボランチとしての期待でした。阿部勇樹は自分で上がるよりは、相棒を上がらせて後ろでバランスを取るタイプのボランチで、タッチ数が多くなることもあって時折パスミスもありますが、最後には自分で回収してくれる安定感を持っていました。

海外挑戦も、当時イングランド2部のレスターで成し遂げました。当時のレスターは昇格するほどのチームではなかったので、映像でイングランドの彼を見ることは叶いませんでしたが、サッカー選手なら一度はやってみたい挑戦なのでしょう。その後は、ミシャサッカーでボランチに安定して据えられ、何度もタイトルを争った浦和に欠かせない存在になりました。

今季、まだ先は長いので、阿部勇樹が必要になってくる場面もあるでしょう。そのときのために、プロとして準備できる選手だと信じています。37歳ですが、まだまだ頑張って欲しいという思いです。
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