今日、新聞各紙を賑わしていたのは、横綱白鵬の現役引退の記事でした。松坂大輔(西武)と白鵬が去ると、平成時代は名実ともに終わるなと感じていましたが、それがほぼ同じ時期に来たのは運命めいたものを感じます。通算勝利数1187勝、優勝回数45回、横綱在位84場所は、今後更新は不可能に近い、偉大な大記録です。横綱として、よく36歳の今まで取り続けたと思います。
白鵬は入門当時モンゴルから、今思うと無謀ですが、受け入れ先の部屋が決まっていない状態で来日してきました。当時は体重60kgと一般人体型で、とても強くなりそうには見えなかった白鵬を、宮城野親方が受け入れなければ横綱白鵬はありませんでした。宮城野親方は白鵬を育てるにあたって、まずは体重を増やさないと相撲は取れないとみて、最初は稽古させず食事だけをさせて、体重が80kgになってようやく稽古が許可されました。
国技館で買ってきた、白鵬のサイン入り手形を見ましたが、一般人の自分と比較してもそれほど大きい手ではなく、今の160kgの体は努力して作ったものです。検査結果によるとその体重のほとんどは筋肉で、その強靭な肉体と、相撲の上手さが彼の長い現役生活を支えていました。張り手やかちあげを見せるなどが第一人者らしくないという批判もありましたが、強さに陰りが見えた頃と一致しており、彼なりに勝てる方法を考えてのことでしょう。
白鵬の姿を、2014年のさいたま巡業で見ましたが、ゆっくりしていてもいい横綱の特権を利用することはなく、十両が稽古している時間には土俵下に入っていました。その姿を目で追うことによって、将来強くなる力士はいないかと、目でも稽古する姿が印象的でした。土俵でも、当時若手だった遠藤や逸ノ城に稽古をつけ、若手育成にも力を注いだ横綱でした。
全盛期の白鵬は63連勝、7場所連続優勝など他を圧倒していました。当時の白鵬は下位相手には確実に見て取り、本当に全力を出さないと勝てない日馬富士や稀勢の里が相手のときだけ本気を出して勝っていました。下位の力士はほぼ対白鵬は全敗に近い結果を出されており、のちに大関になった栃ノ心でも白鵬に勝ったのは一度だけでした。
引退の理由に、「横綱として15日間相撲が取れる状態ではない」を挙げています。おそらく歴史には残る大横綱で、日本に帰化もしていることから親方になるのは間違いないでしょう。白鵬自身がスカウトした炎鵬などを、今後は育てていくことになります。本当に強かった横綱でした。今は「ご苦労様」しか出てきません。
白鵬は入門当時モンゴルから、今思うと無謀ですが、受け入れ先の部屋が決まっていない状態で来日してきました。当時は体重60kgと一般人体型で、とても強くなりそうには見えなかった白鵬を、宮城野親方が受け入れなければ横綱白鵬はありませんでした。宮城野親方は白鵬を育てるにあたって、まずは体重を増やさないと相撲は取れないとみて、最初は稽古させず食事だけをさせて、体重が80kgになってようやく稽古が許可されました。
国技館で買ってきた、白鵬のサイン入り手形を見ましたが、一般人の自分と比較してもそれほど大きい手ではなく、今の160kgの体は努力して作ったものです。検査結果によるとその体重のほとんどは筋肉で、その強靭な肉体と、相撲の上手さが彼の長い現役生活を支えていました。張り手やかちあげを見せるなどが第一人者らしくないという批判もありましたが、強さに陰りが見えた頃と一致しており、彼なりに勝てる方法を考えてのことでしょう。
白鵬の姿を、2014年のさいたま巡業で見ましたが、ゆっくりしていてもいい横綱の特権を利用することはなく、十両が稽古している時間には土俵下に入っていました。その姿を目で追うことによって、将来強くなる力士はいないかと、目でも稽古する姿が印象的でした。土俵でも、当時若手だった遠藤や逸ノ城に稽古をつけ、若手育成にも力を注いだ横綱でした。
全盛期の白鵬は63連勝、7場所連続優勝など他を圧倒していました。当時の白鵬は下位相手には確実に見て取り、本当に全力を出さないと勝てない日馬富士や稀勢の里が相手のときだけ本気を出して勝っていました。下位の力士はほぼ対白鵬は全敗に近い結果を出されており、のちに大関になった栃ノ心でも白鵬に勝ったのは一度だけでした。
引退の理由に、「横綱として15日間相撲が取れる状態ではない」を挙げています。おそらく歴史には残る大横綱で、日本に帰化もしていることから親方になるのは間違いないでしょう。白鵬自身がスカウトした炎鵬などを、今後は育てていくことになります。本当に強かった横綱でした。今は「ご苦労様」しか出てきません。