
ロットネスト島の桟橋。夏休みで訪れている家族、子供たちの自転車の群れ。

電動バスに乗って島内一周観光。
P.215 チェルノブイリ被災者市民団体「ゼムリャキ」のリーダーの女性は、
<家がなく、住まいを転々としていた時はとても未来が不安だった>
<まず家が与えられたことによってどれほど心の傷が癒されたか、
はかりしれない>という。
日本では20キロゾーンのなかの人々の多くは仮設住宅にいる。
借り上げのアパートや、賃貸しの家を借りて生活をしている人もいるが、
家をつくって安定した住まいを持った人はまだ少ない。
3年経とうとしているのに、多くは安定して住める居心地のよい住まいを
獲得していない。これは政治の脆弱さによる悲劇だ。
P.222 隣に苦しんでいる人がいたら、その人の苦しみや悲しみに共感してあげたい。
悲しみや苦しさを知っている人は人を癒すことができるんだ。
悲しい時を生きている時こそ、
人を支えたり、支えられたりが大事だ。
下り坂のなかで上りを生きるために必要なのは「生きがい」と「絆」だ。
生きるためにこの二つがどうしても必要。被災者の人達にまず、家を。
仮設住宅はもうかわいそうだ。
仮設診療所、仮役場……。仮という字があふれている。
人生に仮なんてない。仮の人生なんてないのだ。
最近、私自身の生活で、断捨離が進んできたせいか、
自分が思うように整理できる空間の有難さを感じます。
小さくても好きな雰囲気の住空間を楽しめる喜びは大きい のです。
それなのに、原発事故のせいで、住み慣れた家を追い出され、
居住性の悪い仮設住宅住まいを強いられるなんて、酷過ぎる!と思います。