図書館で、介護の行く末とか、老後の生き方等の本が並ぶ棚で発見した本。
著者の上野さんは同い年なので、何かと参考にさせていただいています。
はじめにから概要を読み解くと、
p.6 文明社会でありながら、老いた人間を厄介者にして廃物扱いする。
そのように老人を扱うことが、文明のスキャンダル(=言語道断な事実)
であると、ボーヴォワールはきっぱりと言っているのです。
(中略)老いは個人の問題ではなく、社会の問題である、ということです。
この主張は、私の研究者としての出発点である女性学の視点とも響き合います。
(中略)女の解放に不可欠なのは、女の努力ではなく、社会の変化だ、
と書いたのです。「同じにならなければ、排除される社会」ではなく、
「違っていても差別を受けない社会」
80年代にこれを書いたのはかなり早かったでしょう。違っていても差別されない
社会を考えていく中で、これは女性のみならず、広く社会的弱者」と言われる
人々に共通する問題だと気づきました。そこから高齢者や介護問題を研究する
ようになり、現在に至ります。
(中略)老いとは個人が努力で克服するものではなく、
まさに社会の問題であり、文明の問題なのです。
う~~ん・・・・・そうなのかなぁ???
私が知っている、日本の家庭や社会の中で「老人が疎まれ、差別されている」光景は
見て来なかったと思います。2020年代の今は特に、現金と時間を享受しているのは
高齢者ばっかり(?)なんじゃないの?とさえ思ってしまいます。
ここでボーボワールやサルトルを語る時に外せない言葉、「実存主義」について
脚注があるので、書き写しておきましょう。
p.51 実存主義とは、人間の実存、つまり現実存在から出発し、それを
本質存在に先立つものとして捉え、自由の道を発見していこうとする立場。
うぅ~ん。何度読んでも不可解な文章です。(私にとっては)
ここで気を取り直して(?)、GoogleAIの説明を読むと、かなりスッキリ!
- 過去を後悔せず未来を憂えずに、「今、ここ」での自由な生き方を優先する考え方
- 人生における不条理や無意味さを認めて、その現実と向き合うことの重要性を強調する
- すべての人間に普遍的にあてはまる本質を追究するのではなく、具体的で現実的な
- 個々の人間のあり方を見つめる
- 実存主義の思想家たちはそれぞれに考え方は違いますが、
- 真実の自己のあり方・生き方を探究した点が共通しています。
- 実存主義は欧米白人のイメージが強いですが、黒人にも
- ラルフ・エリソンらの実存主義者がいました。
最後にアメリカの女性解放運動家ベティ・フリーダンの記述をメモします。
p.94 アメリカの「ウーマンリブの母」、ベティ・フリーダンが
「老いの泉」を書こうとした動機は「老年期にさしかかった女性たちに
関する通説が当てはまらない」「ステレオタイプとは異なる生き生きした
老年期を過ごしている驚くほど多くの人たち」に出会ったことにあります。
p.95 (フリーダンは著書で)高齢者の否定的なイメージを「自分を知り、
今は自分を一番よくわかっているのだと自覚し、他人が自分のことをどう
思うか恐れずに、未知の将来へと驚嘆しながら発展していくイメージ」へと
転換させようとします。そこにはアメリカ人らしい「成長と発展」信仰と
オプティミズム、従来の老人感への挑戦があります。
サクセスフルエイジング、成功加齢と言う概念があります。
このアメリカ生まれの概念は、「死の直前まで、壮年期を引き延ばす思想のこと」
だと、老年学者の秋山裕子は定義しました。もっとベタに翻訳すると
「老年期を否認する思想」、すなわち、自分が老い衰えることを見たくない、
聞きたくない、考えたくない思想のことだ、と。
私自身にとって、上記は「理想論」です。確かに「死ぬまで雄々しく戦い続ける」のは
素晴らしい人生ですが、精神が乗っかっている「肉体」という乗り物が朽ちていくのは
止めようがありません。このことを受け止めながら、
できるだけその「乗り物」を、長持ちするように「大事に手入れしながら使う」こと。
この方法を色々考え、実践していこうと思っています。
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