今日は、夕刻までかなり強く雨が続いた。そして、近くの山並みは終日、霧で覆われていた。明日は早朝から晴天との予報が出されている。霧雲と朝日が織りなす光景が現れるだろうか。
朝日を受けはじめた霧雲。雨が降った後に朝日が昇ると、霧雲が現れる。
午後では。
この頃は、カメラを持ちながらの桐生川沿いを歩くことが多くなった。なお、この川の堤防(舗装路)は散策コースとして人気がある。
10月20日朝と午後、桐生川とその周辺にて。
今日は、夕刻までかなり強く雨が続いた。そして、近くの山並みは終日、霧で覆われていた。明日は早朝から晴天との予報が出されている。霧雲と朝日が織りなす光景が現れるだろうか。
朝日を受けはじめた霧雲。雨が降った後に朝日が昇ると、霧雲が現れる。
午後では。
この頃は、カメラを持ちながらの桐生川沿いを歩くことが多くなった。なお、この川の堤防(舗装路)は散策コースとして人気がある。
10月20日朝と午後、桐生川とその周辺にて。
今日の天候はきわめて対照的であった。すなわち、朝から午後までは秋晴れの透明感に満ちた風景が広がったが、夕刻は雲が多くなった中間色での夕焼けの光景で終わった。
桐生川沿いにて、午前7時頃。
台風19号の影響で、中州は消失している。流れでは濁りが少なくなった。
この頃は、朝日が昇るにつれて、山並みとその周辺では霧が発生する。右奥の山並みは奥秩父連山である(100 km以上遠方)。
午後5時半頃。
撮影、10月23日、桐生川の中流域にて。
この頃は、4時半頃には起床して日の出を待つことが多くなった。夜明けの時間帯において湿度が高いと、赤味の強い朝焼けが現れるからである。このときは、上空を覆う高積雲(ひつじ雲)が朝焼けに赤く染まって輝いた。
午前5時頃、雲が赤く染まり輝き始めた。
2分後、彩りは唖然とするほど鮮やかになった。
このパノラマ(2枚組)は、いつかは撮ってみたいと思っていた類の朝焼けである。
余韻の時間帯において。
5時半頃、上空の朝焼けは消えた。
撮影、8月8日。
青空が、山間部の上空を覆う厚い雲の切れ間に現れる。これは自分達にとって梅雨時ならではの景色だ。黒い雲や白い雲に囲まれている青空は溜息が出るほど美しい。アップした画像は僅か20分間ほどしか現れなかったものである。
パノラマ(3枚組)
この後、天候は悪化し霧雨が降りはじめた。
撮影、7月7日午前中。 EOS 6D、EF 70-200 mm F2.8L、フィルター類(たとえば、円偏光フィルター)は使用しなかった。
今週は、活発化した梅雨前線の停滞によって、当地でもかなりの降雨があった。今朝は梅雨の晴れ間ということになるだろうか。部分的に、青空を背景とする朝焼けが現れた(午前4時半頃)。
南方向を眺めるながら、写人は朝焼けを待った。
画像は朝焼けがピークに達したときのものである(さらに濃くなることを期待したが)。
朝焼けは束の間の出来事であった。朝焼けの色は次第に薄くなった(午前5時頃)。
緑に囲まれている水面の彩りが印象的だ。
ヤブカンゾウの蕾など(堤防の草むらにて)。
ところで、空模様は上空を境目として対照的であった。北方向は厚い雲で覆われていた。
山並みで霧が昇り始めた。そしても、雨で濡れた堤防や川原での緑が美しい。
街並みが入ってなければ、どこかの深山の麓で撮った画面であると言えそうだ。霧生(いや、桐生)市にて。
写人が待っていた景色である(午前5時頃)。余談ながら、このような景色を眺めながらの散策では歩数が多くなる。この後は全体が霞む変化に乏しい景色になった。
撮影、7月5日早朝、群馬県桐生市(桐生川にて)。
相変わらず今日も晴れているが、北風が冷たい。さて、今週日曜日の朝、雪化粧の景色が周囲に広がった。市街地周辺の山並みでは、広葉樹林が枯木の賑わいになっているこの時期、雪化粧は山並みの存在感を高める頓服薬である。ともかく、雪化粧した山並みが朝陽に染まる光景は、自分にとって撮らずにはいられないほどのものであった。
何時もの散策コースである桐生川の堤防を歩いてみた。朝陽に染まる光景の美しさに気を取られていると、滑って転倒しそうなまでに足許の雪面は凍結していた。
朝陽を受ける北西側の山並み。東側の山並みの影が雪化粧のコントラストを高めている。山並みの標高は300-1,000 mである。
朝陽で霧が立ちのぼり始めた。わたくしは、川霧が朝陽に染まる光景を想像してみた。
「啼かぬなら 啼く迄まてや 杜鵑」との心境で川霧の光景をまってみた。しかし、水蒸気が目に見えるようになるまでの気温差は生まれなかったようである。
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1月27日午前6時半頃から。桐生市、桐生川沿いにて。
新春のお慶びを申し上げます。
本年もよろしく申し上げます。
kotsunagi567(こつなぎ)
赤城山(2019年元旦(朝)、桐生市・渡良瀬川にて)
ベランダにいた家人の呼び声に促されて、私は西の空を見上げた。そのとき、下弦の月(月齢20.5 )がまさに西側の尾根に沈もうとしていた。淡い月の姿は、青空が限りなく透明であることを私たちに語りかけているようであった。
「晩秋」とのタイトルのつもりで、画像処理を行ってみた。
撮影、11月28日午前10時頃。
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ところで、桐生川の中流区域においても、紅葉が徐々に進み始めた。
撮影、11月27日午後3時頃。桐生市梅田町(桐生川ダムの下流)にて。
東側の山並みで遮られていた朝日が尾根越しに対峙する山々を照らし始めると、しばしばコントラストの強い景色が現れる。そのようなとき、三方を山並みで囲まれた場所に住んでいることを、自分達は強く意識する。そして、隣人達と交わす挨拶には、山肌の季節の彩りについての言葉が加わる。雲間からの陽射しが山並みの一部を選択的に照らし出すときも、同様にである。
山並みの標高は300-1,000 mである。左奥はかつて市内の最高峰であった鳴神山(980 m)、中央は山城があった城山(柄杓山、360 m)だ。現在は、赤城山の黒檜山(1,830 m)が最高峰となっている(飛び石合併の結果として)。
間もなく市街地の陽射しが届く。そして、コントラストの強い場面は消失する。
太陽が昇るにつれて、北側の低山も陽射しを浴びる。
雲間をからの陽射しを受けて。
普段はその存在をほとんど意識しないような山並みにおいても、雲間からの陽射しで彩りが驚くほど豊かになる。
撮影、11月23日、群馬県桐生市梅田町にて。
台風24号による大荒れの天候(午前0時頃〜3時頃)が終わって。
昨朝は、夜中での荒天とは対照的に、穏やか風と限りなく澄みわたった青空が印象的な天気になった。そして、残り半分が青空に溶け込んでいるかのように見える月(月齢21)が近くの山並みに沈もうとしていた。
そのとき、青空に浮かぶ薄い雲がゆっくりと南から北方向へと流れてきた(画面左から右へと)。
そして、下弦の月は山並み(400-600 m)に沈んだ。山並みでは、夜中の強い風でめくれた木の葉が陽射しを反射していた、花が咲いているかの如くに。
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撮影、10月1日朝。
今日の朝焼けは、思わず天空を見上げたくなるほどの色彩でスタートした。その朝焼けは15分程度しか続かなかった。東の空が厚い雲に覆われてしまったからである。真夜中に霧雨が降ったために現れた朝焼けは、その色彩が強く印象に残るものであった。
ここでの山並みの標高は250-300 mである。
今朝は何気なく4時半頃に外を眺めたら、赤紫色の世界が夜明けを迎えようとしていた。急に外に飛び出す年(年齢)でもないかと、ゆっくりと我が身を起床モードにセットし、少しばかり歩いて天空にレンズを向けた。赤紫色は薄くなりはじめていたが、名残の光景を記録することはできた。その後、夕刻まで天候は曇りであった。
北方向の山並み(1,000 m)が朝日を浴びて赤く染まった。
9月8日午前5時頃、群馬県桐生市にて。
雨が止むと、市街地を囲む山並みに霧がかかる。今週日曜日(15日)においても、画像のような景色が現れた。右奥は鳴神山であり。手前は山城の跡(桐生城)がある城山(柄杓山(361 m)である。城山の山腹にはソメイヨシノが640本ほど植えれられている。
少しばかりのパノラマ。
クリックで拡大
杉・檜林と広葉樹林の新緑との対比(鳴神山に連なる山並みにおいて(500-700 m))。
霧が去って。桐生アルプスでの山並み(480-1100 m)。
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霧がたなびく鳴神山(980 m)を眺めつつ、私は4-5月にこの山で出会う花々を思い出す。ここでの画像はデジイチと交換レンズ3本(100mm マクロ、70-200 mm 望遠、広角)を持って登った頃のものである(2011-13年)。かつて、鳴神山は桐生市の最高峰であった。
当たり年でのアカヤシオ(山頂にて)。
山頂にて市街地方向を望む。
カッコソウはこの山の固有種である。
ヒメイワカガミ(白花)が岩場に自生している。花びらの色と透明感、そして雌しべの色が印象的である。
ヒトツバエゾスミレ。このスミレはエイザンスミレの変種であり、群馬県から栃木県にかけての北関東北部のみに分布すると言われていた。しかし、最近になって長野県や四国で見つけられたようである(いがりまさし、「日本のスミレ」、山と渓谷社)。
ヒトツバエゾスミレの白花品は「ナルカミスミレ(鳴神スミレ)」と呼ばれる。このものでは舌弁に通常のものと異なって着色された線条が見られない。花柄のみならず葉柄は緑色を帯びている。余談ながら、鳴神スミレに出会うチャンスは多くない。
ヤマブキソウ。一度だけのことながら、八重咲き品に出会ったことがある。
偶然にも、スミナガシが飛来した。
一昨日の明け方は、台風21号の大雨による被害現場に向かう緊急自動車のサイレン音で目が覚めた。当地では、午前2時頃の雨量は43 mmであった。しかし、午前7時頃になると風雨がぴったりと止んで、低く垂れ込めた雨雲の切れ間に青空が見えるようになった。台風がもっとも当地に接近していたにもかかわらずである。たまたま、早朝に渡良瀬川に架かる橋を通過する用事があったので、赤城山を堤防から眺めてみた。
雨が止んで間もなく、赤城山の姿がはっきりと見えるようになった。山頂は、左から鍋割山、荒山、地蔵岳(中央、1,674 m旧溶岩ドーム)、駒ヶ岳、黒檜山(最高峰、1,830 m、旧外輪山)である。
赤城山方向を離れて市街地中心部方向を眺める。公立病院そして市民の山とも言われている吾妻山(480 m)など。
不気味な色と形の雲の間に青空が見え始めたので、わたくしは一瞬、嵐の中心が通過しているのではとの錯覚に陥った。甚大な被害をもたらし台風の中心が上空を通過したときの記憶(小学生時代)がフラッシュバックしたからであった。ブックマークでリンクしているminoさんのブログ(花の詩山の詩)によると、中心はつくば市の上空を通過したとのことである。
堤防付近の道路では通勤での混雑が始まった。各学校は臨時休校になったと聞く。
肉眼では透明感に満ちた青空になり始めたが。露出条件の設定で四苦八苦。
さて、雲間から赤城山の山腹に日差しが届き始めた。
渡良瀬川は濁流となっていた。そして、河川敷きへの通路は閉鎖されていた。
日差しが強くなるにつれて山腹での紅葉が目立つようになった。望遠レンズでのみ楽しめる景色から。
山腹のクローズアップ(電波中継アンテナが立つ山頂は地蔵岳)。斑模様は赤城山がツツジの山であることを物語るであろう(アカヤシオ、シロヤシオ、トウゴクミツバツツジ、レンゲツツジ、ヤマツツジなど)。
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10月23日午前7時頃。渡良瀬川堤防(群馬県桐生市)にて。視点から赤城山までの距離は約40 km。
今日は早朝での湿度が96%であった。昨夜から未明までの降雨と低めの気温が10月にしては異常とも言えそうな湿度をもたらしたのであろう。そして、自宅の周辺の山並みでは、立ちのぼる白い霧が朝日によって照らし出されたのであった。
桐生城跡の山(城山)では、ソメイヨシノの紅葉が始まっている。
桐生川(中流域)の堤防にて。
東側の尾根への道にて。
10月3日午前6-7時頃、桐生市にて。桐生との地名については霧が多いことに由来するとの言い伝えがある。