昨日紹介した、『座右の山本夏彦』からの〔落穂拾い〕の続きです。
「本を読むということは、死んだ人と話をすることである」
「私は二葉亭の縁で魯庵を知り魯庵の縁で緑雨を知り緑雨の友なる秋水、秋水の師匠の兆民まで知るにいたったのである」
「生きている人と死んだ人を私は区別しないが、世間の人は区別しすぎる。私が生きている人より死んだ人と親しいと言うと、なかば私を死んだ人の仲間のような目で見る」
「今人のうちに友人が得がたければ、古人にそれを求めるよりほかはない。私は早く今人に望みを絶った。二葉亭に親炙すれば、勢いその友人ともじっこんになる。(略)芋づる式にそれと知りあいになること、死せる人も生ある人に変わりない」
私も、これから、芋づる式の読書で多くの知己を得ようと思う。