カウンセリング研究会《くりのみ》伊豆稲取ワークショップの第一陣・第二陣が無事終了したことはこのブログでも報告済みです。
さて、第二陣に参加してくれたアルマ・マーテルの品田さんが、ご自身のブログでワークショップ報告をしてくれています。
伊澤シェフのフランス料理の素敵な写真もご覧になれます。
一度、足を運んでください。
http://esalen-bodywork-kai.cocolog-nifty.com/
カウンセリング研究会《くりのみ》伊豆稲取ワークショップの第一陣・第二陣が無事終了したことはこのブログでも報告済みです。
さて、第二陣に参加してくれたアルマ・マーテルの品田さんが、ご自身のブログでワークショップ報告をしてくれています。
伊澤シェフのフランス料理の素敵な写真もご覧になれます。
一度、足を運んでください。
http://esalen-bodywork-kai.cocolog-nifty.com/
この頃、教育現場の先生方にお会いすると、全ての先生方が「多忙で子どもと向き合う時間がもてない」と話してくれる。
職員室でパソコンに向かう先生方が多く、同僚間での会話も少ないらしい。
スクールカウンセラーとして教育現場に出向いている一教員OBとしても、「さもありなん」と感じている。
その多忙の原因を考えてみると、教育現場が何でも受け容れすぎているように思う。
例えば、教育サポーターとしての外部教師なども一見素晴らしい取り組みのように思うが、私はストンと落ちない。
教師の力量も落ちる機縁になるし、そのことを教師自身が気づいていない。
「不易と流行」は芭蕉の言葉だそうだが、この頃の教育界は「流行に傾きすぎ」ではなかろうか!
そんな思いを抱いていたところ、《くりのみ会・道元とカウンセリングコース》の講師Tenjin先生がご自身のブログで、『随聞記』から次の言葉を引いていた。
一日請益の次に云ク、近代の僧侶、多く世俗にしたがふべしと云ふ。思フに然ラず。世間の賢すらなほ民俗に随ふ事を穢レたる事と云ツて、屈原のごときは「皆酔へり。我レは独醒メたり。」とて、民俗に随ハずしてつひに滄浪に没す。
況ンや仏法は、事々皆世俗に違背せるなり。俗は髪をかざる、僧は髪をそる、俗は多く食す、僧は一食するすら、皆そむけり。然シテ後、還ツて大安楽人なり。故に一切世俗に背クベキなり。
今日の教師も、「一切世俗に背くベキなり」の心意気が必要なのではなかろうか!