JRだったか、地下鉄だった、よく利用する京成電鉄だかは忘れてしまいました。
ともかく、車中の広告。
ある私立大学の広告でした。
「日本人はなぜ日本から学ばないのだろうか!」
その通りですよね。
「日本から学ばない」事例は、いくつか思い当たりますが、ここでは飛ばします。
今日の読売新聞《編集手帳》はつぎのような記事でした。
「梅(ばい)花(か)力(りょく)」という言葉を用いたのは、曹洞宗の開祖・道元である。『正法眼蔵』に見える。風が吹く。雪が降る。季節がめぐる…。〈みな梅花力なり〉。すべては梅の花の功徳であると◆高邁(こうまい)な哲理には縁遠い凡愚の身ながら、高僧にならって「桜(おう)花(か)力(りょく)」という言葉を使ってみたいときもある。がんばっている桜を見ると、元気が出る――と、昨日の本紙朝刊(東京版)が開花の写真とともに、小学6年生の弾むような声を伝えていた◆岩手県宮古市の小学校で、津波につかったソメイヨシノが季節外れの花を咲かせたという◆専門家によれば、津波による塩害で身の弱った桜の木が子孫だけでも残そうと、時ならぬ花を咲かせたらしい。樹木は樹木で苦しい“災後”を闘っている◆桜の花びらには、改札のハサミを入れた切符のような切れ込みがある。杉山平一さんの詩『桜』より。〈みんなが心に握つてゐる桃色の三等切符を/神様はしづかにお切りになる/ごらん はらはらと花びらが散る〉。つらくとも健気(けなげ)に咲く花に、子供たちが「希望」という名の切符を心に持てたならば、それも桜花力の功徳だろう。
道元禅師の『正法眼蔵』の「梅花」の巻を参照したのでしょうね。
この頃思うことですが、TVも新聞も、何か「芯」のようなものを感じません。
日本から、日本の歴史から、先人から、学ぶのが少ないのでは?と感じています。
もっともっと、日本から学ぶ、日本の歴史から学ぶ、先人から学ぶ、こんな記事が多くなることを期待したいものです。
【くりのみ会】では、まだ、『正法眼蔵・梅華』を読んでいません。
近々、講師のtenjin先生にお願いしようと思います。