先程、『歎異抄』勉強会から帰宅しました。
今晩の参加者は男性5名でした。
学習の内容は、
①2分間のお念仏
②『歎異抄』師訓篇の音読。
③『歎異抄・8章』の原文&現代語訳の音読
④語り合い
⑤お念仏
8章の原文と現代語訳を読んで、フッと“違和感”を持ちました。
原文「念仏は行者のために、非行非善なり。」
現代語訳(本願寺出版)「念仏は、それを称えるものにとって、行でもなく善でもありません」
アンダーラインはボクがひきました。
この箇所ですが、それ(念仏)と称えるものが、対立している感じがします。
これでは、自然の念仏が生きてこないように思います。
ご参加の三◇さんが、「各地で『歎異抄』の勉強会が多いようです」と報告してくれました。
マア、ボクの個人的な感想ですが、
学者や僧侶の方々の『歎異抄』のお話を聞くこのとの魅力は全く感じていません。
要は、『歎異抄』の原文の音読が王道だと確信しています。
音読&視写。
それから、一人一人の感受の交流。
これが、『歎異抄』の学びの一番大事なアプローチであります。
午前、文京区のお寺で開催されているお習字教室に参加。
帰路、向丘の專西寺に立ち寄り、法姉・宇◇◇さんの墓参。
偈文とお念仏をあげました。
ランチは、向丘2丁目角にある「番町長寿庵」でランチ(↑写真)をいただきました。
タヌキ蕎麦と焼き魚のランチです。
お蕎麦を美味しくいただきました。