先日、
東京大谷声明学園の同窓生の井◇さんから、
評論家・菊村紀彦氏の書かれた、
『東本願寺声明集』によせて
のPDF資料をいただいた。
1967年に録音された、
『東本願寺声明』LPレコード(ミノルフォン株式会社制作・発売)の
菊村氏の解説です。
声明。
あのリズムとメロディーは、死者・・・・ではなく、
生きた聞法の人を慰め、励まし、心にやすらぎもたらせてくれる。
ことに東本願寺の声明は、すばらしい。
音楽の持つ味合いだけではなく、仏教から響いてくる深い感銘が、
寂静ななかにも、また、力強さのなかにも、いっぱいだ。
親鸞聖人がお創りになった和讃などは、宗教感情をさしひいても、
最高に優美で荘厳な音楽である。
いや、わたしは、声明が単なる音楽といいきるつもりはない。
敬虔感情を持っているのだが、少年の頃、
ベートーベンの『月光の曲』を聞いた折の感動を忘れることができない。
あの、第一楽章のメロディーに、わたしは、ふと気づいて胸をときめかせた。
『清淨光明ナラビナシ・・・・』というあの和讃のひとふしが、一瞬、わたしの耳をよぎった。
不思議な暗合である。
声明への親近感は、それいらい、しだいに濃くなっていたのだが、このたび、
ご縁があって『東本願寺の声明集』の制作演出をさせていただくことになった。
わたしの人生で、これほど有意義な仕事はなかった。
伝統の世界を覗くことへの憧憬に、わたしは、終始、身ぶるいしながら録音を終えた。
いま、ここにLP七枚のレコードが、誕生した。
正しい声明がこんなに集大成されたのは、浄土真宗史上、はじめてのことであろうう。
長時間の録音が全部終了した時、わたしは、声明のメロディーに『ごくろうさま』といった。
そして、思わず、『南無阿彌陀仏』が、唇からもれた。
これらの録音は、1967年(昭和42年)8月1日、2日、9月29日、30日の4日間、昼夜に渡って吹き込まれた。
準備期間に3箇月を要したが、本山式務部の燃えるような情熱は、ここに結実された。
式務部長であられる大谷演慧御連枝、一臈大橋暁師はじめ、堂衆のかたがた、
また、事務当局では、二俣和聖氏のご尽力に感謝する。
昨今、「声明」と言っても我に関係なし、何のことかも分からず、
坊さんが(葬儀・法事の時に歌っているなー)位の理解のようです。
本当に残念なことです。
菊村氏は、「聞法の人を慰め、励まし、心にやすらぎもたらせてくれる」
と述べられておりますが、
ボクは、「仏教讃歌」であり、日本の音楽の源流だとも思っています。
ぜひ、先入観なしに、「声明」を聞いたもらいたいモノです。