新小岩のお寺様で開催されている『無量寿経』の勉強会でお世話になっている里
村専精先生のホームページで見つけた言葉です。
春が来ると、雪国の人々は意識では捉えきれない嬉しさを感じます。
それは分別ではなくて、むしろ智慧的です。
仏教は釈尊以来の人間学ですが、智慧によって存在を訊ねます。
存在というか、人間の本来性というか、深い生存。
それは訊ねて終わることはありません。
最初の智慧の感動は、根本智です。
人は仏道にたち仏法を聞いて、分別を超えた事実に触れます。
分別を超えた存在の事実は、生きるに則して確かめられてゆきます。
それはむしろ後得智なのですが…。
その後得智慧は、それぞれに個性的です。
宿命智通・天眼智通・漏尽智通の三明は、その後得智です。
雪国の人は、その人なりに個性的に分別を超えるのです。
春に呼応する身の事実は、分別の知らなかった生存の深さを見ています。
存在の歴史的深さ(宿命智通)は、総ての生存の驚きです。
雪国の人々の分別を超えた生活。
春(自然)と呼応する人々。
北国の方々の根っこには「仏教」がしっかりと生きているのですね。
もうすぐ、春です!
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