法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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真理の生活・創造の生活・称名

2021年12月05日 22時08分05秒 | 毎田周一師の言葉

写真は、『顕浄土真実教行証文類 信文類』の「悲嘆述懐」の文です。
『毎田周一全集 第四巻』に掲載された毎田師の書からの転載です。

「悲嘆述懐・本文」
誠知、悲哉、愚禿鸞、沈没於愛欲広海、迷惑於名利太山、
不喜入定聚之数、不快近真証之証、可恥可傷矣。

「悲嘆述懐・読み下し」
誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、
定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。 

週四回、月曜・火曜・木曜・金曜の午前開催の《Zoom法音道場》
これまで、三帖和讃をうたってきました。
ようやく、来春早々には一回りしますので、
その後は『顕浄土真実教行証文類』の音読と『三帖和讃』をうたう、
を交互に取り組んでいく予定です。

明日のzoomで、その予習として次の文を読んでもらいます。

南無は如来の信、阿彌陀仏は如来の行。
信と行と具足せる南無阿彌陀仏である。
これが選択本願として、私達に徹する。
即ち念仏易行が凡愚底下の我れ一人に与えられる。
こゝに称名が起る。
それは如来の行為的直感が衆生のそれに対応するのであって、
行為的直感として一である。
名号は行為的直感に於いて(として)
表現される。
即ち称名にに於いて、衆生は真理の表現となる。
そこに衆生に於いて、真理の生活が現出する。
このことを「必得往生」といふのである。
これを釈せられて「不退の位に至ることを彰(アラハ)すなり」といはれたのである。
「不退の位」とは、私達の現在が、不退転位といふことである。
不退転とは、退転せずといふことではない。
不退の展といふことである。
絶えざる前進の位といふことである。
前進は創造である。生命である。
真理の生活とは、かく創造的生活といふことである。
これが称名によって現出といふのである。
その何故にかくなるかは、名号の釈に於いて明らかにされたことである。
(毎田周一全集 第四巻 572頁より)


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