国連のグテーレス事務局長が4月末にロシアとウクライナを相次いで訪問した。普通ならそこでは何か停戦に向けたリップサービスなどがあるものだが、プーチン大統領は全く取り合わなかった。一応マリウポリから避難する市民に対する「人道回廊」を国連が関与して作るという話は出た。しかし、その後現実化しているという報道がない。それどころか、モスクワからウクライナに移動したグテーレス氏の滞在中に、ロシアはキーウにミサイルを撃ち込んだ。信じられない話だが、それが現実のロシアの対応だった。
上記2つの画像を見ると、その雰囲気が何となく判る。前がウクライナで行われたグテーレス事務局長とゼレンスキー大統領の会談。後ろは同じくグテーレス事務局長とプーチン大統領の会談。開戦前にヨーロッパ首脳が相次いでモスクワを訪問した際も、異様に離れてテーブルに向かい合ったプーチンと相手方の写真が公開された。新型コロナウイルスを恐れた「ソーシャル・ディスタンス」だとも言われるが、何か「世界からの孤立」を象徴するかのような風景である。
ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって2ヶ月以上。改めて思うのはロシアが、というかプーチン大統領がというべきだろうが、「何を目指しているのか判らない」ということではないだろうか。ウクライナに何があったにしろ、ウクライナの各地に容赦なくミサイルを撃ち込むということの目的は理解しがたい。逆に言えば、「東部地域(ドンバス)に侵攻する」だけなら、理解することは可能である。もちろんそれは非難されるべきことだが、すでに2014年に「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」という「偽国」をねつ造してしまった。ドネツク、ルガンスク両州の全域支配を目指すだけならば、「理解」は可能になる。
しかし、ロシア側がはっきりした目標を明示しないこともあって、一体何のための戦争なのか誰にもよく判らない。戦時では「国難に立ち向かう強い指導者」に支持が集まるもので、ロシア国内でもプーチン政権の支持率が高くなっている。恐らくは「ただ支持している」のだと思う。「ウクライナに侵攻している」という意識もロシア国内では少ないのではないかと思う。よくロシアとウクライナにさらにベラルーシを加えて、「スラブ系民族の兄弟国」などと呼ぶことがある。確かに歴史的、文化的、言語的にも共通性が多いのは確かだ。しかし、ロシア人の意識ではロシアが兄であって、ウクライナが次男、ベラルーシが三男といった感じに違いない。「兄弟」と表現した時点で、「長幼の序」意識が入り込んでくる。
1991年末にソ連が突然崩壊した時点で、ソ連邦構成国には多くのロシア人が居住していた。ソ連は経済、交通などで一体化していたから、仕事などでロシアから各社会主義共和国に移り住んでいた人が多かった。例えば、カザフスタンでは今でも2割ぐらいはロシア人である。かつての大日本帝国が崩壊したときにも、朝鮮や台湾、「満州国」などに多くの日本人が住んでいた。しかし、日本の場合は戦争敗北によるものだったから、「外地」に住んでいた日本人は苦労を重ねながら全員が「引き揚げ」てきた。(帰国できずに死亡した人、現地に残された「残留孤児」も多かったが。)
しかし、ソ連崩壊は「平和的」に起こったので、ロシア人たちの多くはその後も住み続けてきた。例えばバルト三国の一つ、ラトビアでは国民の4分の1近くがロシア系である。その中にはラトビア国籍を取得しないままの人も多く、社会問題になっている。ロシア語も使われているが、ラトビア語を使わなければ不利になるようなラトビア化政策が行われてきた。ロシアとの間で長く揉めているが、ラトビアはNATOに加盟しているから、ロシアもうかつには侵攻出来ない。EUにも加盟していて、もう西欧社会の一員という構図が定着している。バルト三国は独ソ不可侵協定の秘密条項によって、第二次大戦勃発時に強制的にソ連に編入された。それ以前は独立国だったわけだから、ロシアも不満ながら認めざるを得ないのだろう。
そこがウクライナと違う点だと考えられる。ウクライナも第一次大戦直後に独立を宣言したことがあったが、結局ソ連(西部はポーランド)に支配された。ウクライナは帝政ロシア、ソ連と体制は異なっても、ロシアの「帝国」の内部だった。「独立」を果たしても、長年の関係はすぐには切れない。ロシアからすれば、「事実上の属国」である。そうであらねばならない。しかし、はっきりとウクライナは西欧入りを目指してきた。サッカーのヨーロッパ選手権大会をウクライナとポーランドが共催したのは、もう10年前の2012年のことである。調べてみると、キエフ(キーウ)、ハリコフ(ハルキウ)、ドネツク、リビウの4都市で試合が行われた。意識ではロシアよりポーランドの方が近しくなったとしても不思議ではない。(なお、同大会の最優秀選手はイニエスタ。)
ウクライナで民主的な方法で親ロシア政権が誕生することはあり得ない。何故なら、ドネツク、ルガンスク両州の一部、及びクリミア半島がウクライナから「独立」して、ロシア系住民の有権者数が大幅に減ったからである。大統領選挙でも議会選挙でも、親ロシア派はもうウクライナの選挙では勝つことが出来ない。従って、ロシアがウクライナの政策を変える手段は、武力行使しかなかったことになる。しかし、武力侵攻でウクライナを支配権に再び組み込んでも、それは長続きするものじゃないだろう。それで良いということなんだと思う。ウクライナが窮乏化しても、むしろロシアに逆らったことへの見せしめになる。
ロシアは周辺国のロシア系住民が虐待されていると訴える。そのような国でロシア系住民の「独立」国を作る。かつてナチスドイツがチェコスロヴァキアの(当時ドイツ系住民が多かった)ズテーテン地方の割譲を要求したようなものだろう。そのように旧ソ連圏でロシアを中心にした「大ロシア共栄圏」のようなものを作ろうとしているのだと思う。かつての「大東亜共栄圏」のようなもので、「共に栄える」といいながら、どこの国が「指導国」なのかは決まっている。決して対等ではない。
ウクライナ政権が緒戦で崩壊しなかった時点で、「ウクライナ全土の保護国化」は不可能となった。そこで残された目標は「ウクライナの破壊」ということになってくる。ロシア系住民地区は「独立」(いずれはロシアに編入)させるが、その他の地域はロシアが支配する地域ではないから、責任を持つ必要がない。ロシアの現時点での戦闘行為を見ている限り、いずれは訪れる停戦後にウクライナと友好関係を結ぼうと思ってはいないだろう。そのような「戦後への布石」が感じられない。取りあえずは、ウクライナの分割、親ロ派支配地区以外のウクライナの窮乏化が目標にならざるを得ないのではないか。
上記2つの画像を見ると、その雰囲気が何となく判る。前がウクライナで行われたグテーレス事務局長とゼレンスキー大統領の会談。後ろは同じくグテーレス事務局長とプーチン大統領の会談。開戦前にヨーロッパ首脳が相次いでモスクワを訪問した際も、異様に離れてテーブルに向かい合ったプーチンと相手方の写真が公開された。新型コロナウイルスを恐れた「ソーシャル・ディスタンス」だとも言われるが、何か「世界からの孤立」を象徴するかのような風景である。
ロシア軍のウクライナ侵攻が始まって2ヶ月以上。改めて思うのはロシアが、というかプーチン大統領がというべきだろうが、「何を目指しているのか判らない」ということではないだろうか。ウクライナに何があったにしろ、ウクライナの各地に容赦なくミサイルを撃ち込むということの目的は理解しがたい。逆に言えば、「東部地域(ドンバス)に侵攻する」だけなら、理解することは可能である。もちろんそれは非難されるべきことだが、すでに2014年に「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」という「偽国」をねつ造してしまった。ドネツク、ルガンスク両州の全域支配を目指すだけならば、「理解」は可能になる。
しかし、ロシア側がはっきりした目標を明示しないこともあって、一体何のための戦争なのか誰にもよく判らない。戦時では「国難に立ち向かう強い指導者」に支持が集まるもので、ロシア国内でもプーチン政権の支持率が高くなっている。恐らくは「ただ支持している」のだと思う。「ウクライナに侵攻している」という意識もロシア国内では少ないのではないかと思う。よくロシアとウクライナにさらにベラルーシを加えて、「スラブ系民族の兄弟国」などと呼ぶことがある。確かに歴史的、文化的、言語的にも共通性が多いのは確かだ。しかし、ロシア人の意識ではロシアが兄であって、ウクライナが次男、ベラルーシが三男といった感じに違いない。「兄弟」と表現した時点で、「長幼の序」意識が入り込んでくる。
1991年末にソ連が突然崩壊した時点で、ソ連邦構成国には多くのロシア人が居住していた。ソ連は経済、交通などで一体化していたから、仕事などでロシアから各社会主義共和国に移り住んでいた人が多かった。例えば、カザフスタンでは今でも2割ぐらいはロシア人である。かつての大日本帝国が崩壊したときにも、朝鮮や台湾、「満州国」などに多くの日本人が住んでいた。しかし、日本の場合は戦争敗北によるものだったから、「外地」に住んでいた日本人は苦労を重ねながら全員が「引き揚げ」てきた。(帰国できずに死亡した人、現地に残された「残留孤児」も多かったが。)
しかし、ソ連崩壊は「平和的」に起こったので、ロシア人たちの多くはその後も住み続けてきた。例えばバルト三国の一つ、ラトビアでは国民の4分の1近くがロシア系である。その中にはラトビア国籍を取得しないままの人も多く、社会問題になっている。ロシア語も使われているが、ラトビア語を使わなければ不利になるようなラトビア化政策が行われてきた。ロシアとの間で長く揉めているが、ラトビアはNATOに加盟しているから、ロシアもうかつには侵攻出来ない。EUにも加盟していて、もう西欧社会の一員という構図が定着している。バルト三国は独ソ不可侵協定の秘密条項によって、第二次大戦勃発時に強制的にソ連に編入された。それ以前は独立国だったわけだから、ロシアも不満ながら認めざるを得ないのだろう。
そこがウクライナと違う点だと考えられる。ウクライナも第一次大戦直後に独立を宣言したことがあったが、結局ソ連(西部はポーランド)に支配された。ウクライナは帝政ロシア、ソ連と体制は異なっても、ロシアの「帝国」の内部だった。「独立」を果たしても、長年の関係はすぐには切れない。ロシアからすれば、「事実上の属国」である。そうであらねばならない。しかし、はっきりとウクライナは西欧入りを目指してきた。サッカーのヨーロッパ選手権大会をウクライナとポーランドが共催したのは、もう10年前の2012年のことである。調べてみると、キエフ(キーウ)、ハリコフ(ハルキウ)、ドネツク、リビウの4都市で試合が行われた。意識ではロシアよりポーランドの方が近しくなったとしても不思議ではない。(なお、同大会の最優秀選手はイニエスタ。)
ウクライナで民主的な方法で親ロシア政権が誕生することはあり得ない。何故なら、ドネツク、ルガンスク両州の一部、及びクリミア半島がウクライナから「独立」して、ロシア系住民の有権者数が大幅に減ったからである。大統領選挙でも議会選挙でも、親ロシア派はもうウクライナの選挙では勝つことが出来ない。従って、ロシアがウクライナの政策を変える手段は、武力行使しかなかったことになる。しかし、武力侵攻でウクライナを支配権に再び組み込んでも、それは長続きするものじゃないだろう。それで良いということなんだと思う。ウクライナが窮乏化しても、むしろロシアに逆らったことへの見せしめになる。
ロシアは周辺国のロシア系住民が虐待されていると訴える。そのような国でロシア系住民の「独立」国を作る。かつてナチスドイツがチェコスロヴァキアの(当時ドイツ系住民が多かった)ズテーテン地方の割譲を要求したようなものだろう。そのように旧ソ連圏でロシアを中心にした「大ロシア共栄圏」のようなものを作ろうとしているのだと思う。かつての「大東亜共栄圏」のようなもので、「共に栄える」といいながら、どこの国が「指導国」なのかは決まっている。決して対等ではない。
ウクライナ政権が緒戦で崩壊しなかった時点で、「ウクライナ全土の保護国化」は不可能となった。そこで残された目標は「ウクライナの破壊」ということになってくる。ロシア系住民地区は「独立」(いずれはロシアに編入)させるが、その他の地域はロシアが支配する地域ではないから、責任を持つ必要がない。ロシアの現時点での戦闘行為を見ている限り、いずれは訪れる停戦後にウクライナと友好関係を結ぼうと思ってはいないだろう。そのような「戦後への布石」が感じられない。取りあえずは、ウクライナの分割、親ロ派支配地区以外のウクライナの窮乏化が目標にならざるを得ないのではないか。