今日発売の週刊金曜日7月8日号「放射能はどこに落ちた」特集はとても役に立つので、直接購読してない人も書店で見たらぜひ見て欲しい。青山貞一「放射性物質はどこへ落ちた」は具体的な調査データにより南相馬市東部より福島市の方が空間線量率が高いところがあると示されている。(南相馬市は一部が20キロ圏に入るが、福島市はもっと遠い。)地表1mに比べると、地表面の放射線量がずっと高くなっている。それは「原発から各地に飛んだ放射性物質が降雨により地表面に沈降し、その後、地表に留まり放射線を出し続けているからと推察される。」ということである。
さて次のページにある早川由紀夫氏の論考によると「汚染ルートとタイミングは福島原発で起こった爆破日時とは合わない」とのことである。「福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなかった。爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく、静かに漏れ出したように見えるのだ。」
僕は4月10日の段階で、このブログに以下のように書いた。
「今回、炉心溶融が起こり大量の放射性物質が出ましたが、原子炉格納容器が残っているので、まだ大部分は抑えられている状況と考えています。今、格納容器に窒素を注入し爆発を防ぐ対応を取っていますが、絶対大丈夫という段階ではありません。」
この段階でまだメルトダウンしていたという発表はなかったけれど、状況を見るとメルトダウン(炉心溶融)しているとしか思えなかった。後に地震当日の夜にすでにメルトダウンしていたという解析結果がずいぶんたってから出てきた。4月10日は震災ボランティアへ行く直前で、しばらく書けないので原発問題をまとめて書いたわけである。その後は具体的に書いてないけど、それは何が起きてるかの正確なデータも出てこないのに、専門家でもない僕が書けることはないと思ったからだ。地震当日夜のまだ勤務先の学校から帰れずテレビニュースも見られない時期に、もうメルトダウンしてしまっていたのだったら、その後の心配して見ていた時期はなんだったのか?
さて、今一番知りたいことは、どこからどのように放射能が漏れだしたかということだ。今現在は大気中には新しい大きな排出はないと思われるが、地下水には漏れ出ているかもしれない。地震があり、津波が来て、爆発をした。よって原発内部がどうなっているかわかったものではない。
その中で、今多くの人は「津波」「爆発」が大問題だったと考えていると思うが、問題はそもそもの地震の揺れでどのような損傷があったのかという問題である。なんでかと言うと、高経年化した福島第一原発(営業開始を見ると、1号機が71年、2号機が74年、3号機が76年、4号機が78年)では、揺れそのもので、どこにどのようなパイプのずれとか穴ができたか、わかったものでないと思うからだ。
実際、5月25日付朝日新聞1面は3号機の「冷却配管 地震で破損か」とトップで報じている。また東京新聞6月1日付「こちら特報部」でも、「認めたくない?地震損傷」「『津波で暴走』怪しく」と大きく報じている。この問題がその後あまり追求されていないと思う。これは非常に大変な問題である。何しろ津波だったら想定外と言って言えないこともないが、地震の揺れそのものに関しては「想定外」とは言えないからだ。阪神大震災、新潟中越沖地震で耐震建築は見直され、揺れ自体には耐えられることになってるので、それが崩れたら、津波対策だけでは終わらずにすべての原発を止めなくてはならないことも考えられる。
そして、高経年化(つまり古くなってぼろくなった)福島第一原発1号機を、今後も使い続けて大丈夫だよとお墨付きを与えたのは、国(原子力安全・保安院)だったからである。そのお墨付きの日付は、知ってる人も多いと思うけど、「平成23年2月7日」だった。大震災のひと月と4日前である。気になる人は原子力安全・保安院のホームページにある「東京電力株式会社福島第一原子力発電所1号炉の高経年化技術評価書の審査結果及び長期保守管理方針に係る保安規定の変更認可について」という長い名前のプレス発表資料を見てください。
さて次のページにある早川由紀夫氏の論考によると「汚染ルートとタイミングは福島原発で起こった爆破日時とは合わない」とのことである。「福島原発から大量の放射性物質が漏れたのは、爆発の瞬間ではなかった。爆発からしばらく時間を置いて、原発建屋から音もなく、静かに漏れ出したように見えるのだ。」
僕は4月10日の段階で、このブログに以下のように書いた。
「今回、炉心溶融が起こり大量の放射性物質が出ましたが、原子炉格納容器が残っているので、まだ大部分は抑えられている状況と考えています。今、格納容器に窒素を注入し爆発を防ぐ対応を取っていますが、絶対大丈夫という段階ではありません。」
この段階でまだメルトダウンしていたという発表はなかったけれど、状況を見るとメルトダウン(炉心溶融)しているとしか思えなかった。後に地震当日の夜にすでにメルトダウンしていたという解析結果がずいぶんたってから出てきた。4月10日は震災ボランティアへ行く直前で、しばらく書けないので原発問題をまとめて書いたわけである。その後は具体的に書いてないけど、それは何が起きてるかの正確なデータも出てこないのに、専門家でもない僕が書けることはないと思ったからだ。地震当日夜のまだ勤務先の学校から帰れずテレビニュースも見られない時期に、もうメルトダウンしてしまっていたのだったら、その後の心配して見ていた時期はなんだったのか?
さて、今一番知りたいことは、どこからどのように放射能が漏れだしたかということだ。今現在は大気中には新しい大きな排出はないと思われるが、地下水には漏れ出ているかもしれない。地震があり、津波が来て、爆発をした。よって原発内部がどうなっているかわかったものではない。
その中で、今多くの人は「津波」「爆発」が大問題だったと考えていると思うが、問題はそもそもの地震の揺れでどのような損傷があったのかという問題である。なんでかと言うと、高経年化した福島第一原発(営業開始を見ると、1号機が71年、2号機が74年、3号機が76年、4号機が78年)では、揺れそのもので、どこにどのようなパイプのずれとか穴ができたか、わかったものでないと思うからだ。
実際、5月25日付朝日新聞1面は3号機の「冷却配管 地震で破損か」とトップで報じている。また東京新聞6月1日付「こちら特報部」でも、「認めたくない?地震損傷」「『津波で暴走』怪しく」と大きく報じている。この問題がその後あまり追求されていないと思う。これは非常に大変な問題である。何しろ津波だったら想定外と言って言えないこともないが、地震の揺れそのものに関しては「想定外」とは言えないからだ。阪神大震災、新潟中越沖地震で耐震建築は見直され、揺れ自体には耐えられることになってるので、それが崩れたら、津波対策だけでは終わらずにすべての原発を止めなくてはならないことも考えられる。
そして、高経年化(つまり古くなってぼろくなった)福島第一原発1号機を、今後も使い続けて大丈夫だよとお墨付きを与えたのは、国(原子力安全・保安院)だったからである。そのお墨付きの日付は、知ってる人も多いと思うけど、「平成23年2月7日」だった。大震災のひと月と4日前である。気になる人は原子力安全・保安院のホームページにある「東京電力株式会社福島第一原子力発電所1号炉の高経年化技術評価書の審査結果及び長期保守管理方針に係る保安規定の変更認可について」という長い名前のプレス発表資料を見てください。