尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ピエール・ルメートル「われらが痛みの鏡」

2022年01月27日 22時41分56秒 | 〃 (ミステリー)
 ずっとミステリーを読んできて、次はピエール・ルメートルわれらが痛みの鏡」(Miroir de nos peines、2020、ハヤカワ文庫)である。2021年6月に翻訳が出たが、ほとんど評判にならなかった。これは「天国でまた会おう」「炎の色」に続くフランス現代史ミステリー三部作の最後の作品であるが、まあ普通の意味ではミステリーではない。第二次世界大戦勃発後の、いわゆる「奇妙な戦争」から「電撃戦」に掛けての数ヶ月を描く戦争文学と言うべきだろう。
(上巻)
 ピエール・ルメートル(Pierre Lemaitre、1951~)は、日本では「その女アレックス」が翻訳されて大評判になったミステリー作家である。これはカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズというジャンル小説である。ルメートルは40歳を超えて小説を書き出したが、その後2013年に「天国でまた会おう」が大評判となってゴンクール賞を取ってしまった。この賞は基本的には純文学系の新人賞だから、驚くような選考である。そして、いよいよ三部作を完成させたのである。今までこのブログでもルメートルに関しては「傑作ミステリー「その女アレックス」」、「「天国でまた会おう」「炎の色」-ピエール・ルメートルを読む」を書いた。

 「天国でまた会おう」は第一次大戦で顔を負傷した傷痍軍人がフランス社会に壮大な詐欺を仕掛ける物語だった。「炎の色」は第一部の主人公の姉が父親が遺した銀行の財産をだまし取られ、復讐を仕掛けて行く物語。どちらもいわゆる本格ミステリーではないが、人生を掛けたコンゲームという意味で、ミステリーの一種だろう。それに対して「われらが痛みの鏡」には、確かに幾つもの犯罪と謎が登場し詐欺師も活躍する物語だが、戦争を舞台にした人間模様を描くという色彩が強い。この三部作はハヤカワ・ミステリ文庫の棚に並んでいるが、ミステリー・ファンよりも、フランス現代史に関心がある人の方が面白く読めると思う。
(下巻)
 今回の主人公は1作目に出てきた少女ルイーズである。ルイーズの母は家の一部を傷痍軍人に貸し出していた。そこに住む主人公が顔面を隠す仮面を作るときに手伝っていたのがルイーズ。そこに住み続け、小学校教師をしながら、向かいにあるレストランで週末だけウェートレスをしている。そこで毎週通ってきている老医者がいて、あるときルイーズにとんでもない話を持ち掛ける。そこからルイーズの人生は変転を重ね、母の隠された人生を垣間見ることになった。

 一方、フランスの東部戦線、いわゆるマジノ線でドイツと対峙している兵士たちがいる。そこでは宣戦布告以後も戦闘が起こらず「奇妙な戦争」と呼ばれる日々が続いていた。軍曹ガブリエルと兵長ラウール・ランドラードはそこにいて、戦闘のない日々に飽いている。ラウールはいかさま賭博などでもうけて、さらに物資の横流しなどで軍内で勢力を振るっている。マジノ線はドイツ軍が突破できないと言われていたが、ある日ドイツ軍の大戦車隊が押し寄せる。フランス軍は壊滅してしまって二人は独自の戦いを行うが、結局は敗走。その間に無人の館に入り込んで略奪して逮捕されてしまう。

 ルイーズの話と二人の兵士の話が交互に進むので、一体どこで絡んでくるのかと思う。そこにさらにデジレ・ミゴーなる詐欺師、あるときは難事件の弁護士、あるときは情報省のスポークスマン、そしてあるときは難民キャンプを運営する司祭と幾つもの顔を持つ弁舌爽やかな若い男が登場し、フランス社会の欺瞞性、偽善とともに、そこに潜む気高さや宗教性などを示して行く。兵士二人は刑務所に閉じ込められるが、戦況が悪化する一方で他の刑務所に移送される。それを警護する機動憲兵隊の曹長フェルナンにも様々な事情がある。これらの人々はラスト近くで一堂に会することになる。
(ピエール・ルメートル)
 そのラスト近くまで、流れるように進行して行く大河小説で、フランスでは最高傑作の声もあるとか。しかし、日本人として言えば1作目、2作目、3作目という順番で面白いというのが実感だろう。この小説は時代背景としては1940年4月から6月まで、パリが占領されてフランスがナチス・ドイツに屈するまでとなっている。フランス政府、フランス軍はドイツ軍を押しとどめている、兵器も十分、英仏軍は善戦していると言い続けている。まるで大日本帝国の大本営発表みたいである。ひたすら負けているのに、悪いのは国内に「第五列」(スパイ)がいたからだと言い張っている。これもまた日本で見聞きしたような風景だ。

 日本での「電撃戦」への関心はドイツを中心にしたものが多かった。フランス国内がこんなに乱れきっていたことは僕も知らなかった。まるでソ連軍が「満州国」に侵攻した時の大混乱に近いと言ったら大げさ過ぎるけれど、まあとにかく国内で膨大な難民が発生した。オランダ、ベルギー、ルクセンブルクからも難民が押し寄せたが、次第に厄介視されていく。そんなフランスの情けない偽善ぶりが容赦なく暴かれていく。そのような「反仏小説」として読み応えがあった。戦争のさなかに何が起きるか。人間の運命をめぐる壮絶な物語だった。
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陳浩基「13・67」、驚愕の香港ミステリー

2022年01月22日 23時04分24秒 | 〃 (ミステリー)
 陳浩基13・67」(文春文庫、上下)を読んだ。近年、中華圏(中国、香港、台湾)のミステリー、SFなどが注目されている。この「13・67」(2014)はその中でも広く評判を呼んだ作品で、2017年に翻訳が出版されると日本でも非常に高く評価された。「週刊文春」「本格ミステリベスト10」で1位となり、「このミステリーがすごい!」では2位になった。(1位はイギリスの「フロスト始末」。)しかし、単行本はかなり分厚いので、文庫化を待っていた。文庫は2020年9月に出たが、やっぱり手強そうで1年以上放っておいた。そして実際に相当に手強い本だった。6章に分かれるが一日一章しか読み進めない。内容がぶっ飛んでいて全体像がつかみにくい。最後の最後まで読んで、すべてのピースがはまるという驚愕の傑作ミステリーだった。

 陳浩基(1975~)はホラーやファンタジーも書いているが、ミステリーは台湾の出版社から出してきた。台湾で作られた島田荘司推理文学賞の受賞者である。日本のミステリー作家島田荘司は東アジア一帯にファンが多く、日本のいわゆる「新本格」に影響された作家を輩出した。だから「論理」で究極的な謎を解く「本格」風味があるが、それだけではない。作家本人が言うように、香港を舞台にすることで、「社会派ミステリー」にもならざるを得ない。警察官を主人公にするから「警察捜査小説」になるが、香港マフィアとの闘いを描く章が多いので「読む香港ノワール」とも言える。それも何重にも入り組んでいるので、まるで「インファナル・アフェア」を彷彿とさせる。誰も予測できない展開に唖然とする大傑作だ。

 1の「黒と白のあいだの真実」ではローという捜査官が大企業豊海グループ総帥の殺害事件を捜査している。関係者一同を集めたのが、何とグループが所有する病院の一室だった。そこには死期間近のクワン・ザンドー(關振鐸)が横たわっている。ローはかつて解決率100%の名捜査官クワンの薫陶を受けた。そしてクワンは今ではもう意識不明になっている。ローによれば人間は言語を発せなくても、人の言葉は聞いていて意識下では理解可能なんだという。その理解度を測定できる計測器を開発出来たので、今からここでクワン元捜査官の判断を仰ぐという。その結果、家族一同の抱える秘密が次々と暴かれ…。面白いんだけど、一体これは何? SF? 霊媒探偵みたいなヤツ? と思うと、もちろん最後に合理的な解決に至るが、ここでクワンは最期を迎えてしまう。

 以後を読むと判るが、最初僕はローが主人公かと思ったが、実はクワン捜査官の物語なのである。「13・67」という謎の題名も、クワンが若かった1967年から、クワンが亡くなる2013年までという意味である。それを時間的には遡って叙述しているので、最初は判りにくいのである。1967年と言えば、中国大陸の文化大革命に影響されて香港で反英大暴動が起こった年である。クワンはそこから出発し、警官の汚職が激しかった時期、香港が「新興工業地域」として発展しマフィアによる犯罪が多発した時期、英国統治から中国に返還された時期、そして香港内部で親中派と民主派の対立が激しくなった時期を見つめ続けてきた。クワンの捜査は時には規則をはみ出し、同僚をも欺すことがある。かなり突拍子もない策を用いることがあるが、腐敗や政治的偏向はない。

 2の「任侠のジレンマ」になって、ようやく香港ノワールの世界になる。ヤクザ組織が数年前に分裂し、片方が優勢である。しかしボスは堅気の芸能事務所社長を隠れ蓑にして、捕まえる証拠が得られない。そこに小さな芸能スキャンダルが起きる。その芸能事務所から売り出し中の少女スターに、あるイケメン俳優がちょっかいを出して揉めているという。問題はその男優スターが実は弱小ヤクザ組織親分の隠し子らしいということである。そして男優が何人かに殴られたという。これをきっかけに抗争が始まるのか。そんな時に捜査担当者のローのもとに、秘かに撮られたビデオが届く。少女スターが襲われ、歩道橋から転落する様子がそこには映っていた。と始まる事件の驚くべき真相は誰も見抜くことは出来ないだろう。「任侠のジレンマ」という言葉の意味が判るとき、深い驚きに感嘆するしかない。

 謎解きと警察捜査小説の白眉は3の「クワンの一番長い日」だ。50歳でリタイアすることを決めたクワンの最後の日に、恐るべきギャング石本添が病院から脱走した。石兄弟は何の配慮もせず一般人も殺害する非情なギャングだが、数年前に弟は射殺され兄の石本添はクワンが逮捕した。しかし、その日腹痛を訴え病院に運ばれ、トイレから脱走したと見られる。ところがその日は前に起こっていた「硫酸爆弾事件」がまたも発生。警察もてんてこ舞いの一日だった。これは全く「実録ヤクザ映画」のような世界だが、「フロスト警部」並みのモジュラー捜査小説(事件が複数同時発生する)になり、その後にクワンの驚くべき論理的解決に至る。この章こそクワンの最高の解決だが、その日が最後の日だったとは…。
(陳浩基)
 以上が上巻で、こうして書いていると終わらないから、下巻は簡単に。4の「テミスの天秤」は3で脱走した石の弟たちが殺害された数年前の事件捜査の物語。この時ローはまだ下っ端の刑事である。ここでも警察内部の状況を見抜くクワンの目は鋭い。5の「借りた場所に」では香港警察の腐敗を正すイギリス人捜査官の子どもが誘拐されたと電話がある。そこにクワンが呼ばれて誘拐の解決、真相を目指す。最後の6「借りた時間に」では1967年の反英暴動さなかに、中国共産党系の左翼青年たちが爆弾を仕掛ける。その相談を隣室で聞いてしまった青年と相談された若き警官。二人が奔走して事件を防ごうとするが…。

 時間を遡って香港現代史を逆転して行くことになる。その結果、この親中派(67年当時の左翼青年たち)がもし香港返還の後に実権を握ったら大変なのではないかという声を書き留めている。2014年当時の、まだ現在と違う香港の「一国二制度」が生きていた時点で、未来の「予感」として書かれていたのだろう。香港の地理が判らないと理解しにくい部分もあるかもしれないが、僕は一度行っているので地名になじみがある。中華圏のミステリーを読んだのは初めてなんだけど、この小説は非常に面白かった。知らない人も多いと思うが、驚くべきミステリーである。
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「ミレニアム6 死すべき女」、全部のせ大河ミステリー終幕

2022年01月16日 22時29分44秒 | 〃 (ミステリー)
 ダヴィド・ラーゲルクランツミレニアム6 死すべき女」(ハヤカワ文庫、ヘレンハルメ美穂・久山葉子訳)を読んだ。これで全世界で大評判になった「ミレニアム」シリーズも一応終わりである。2019年に発表され、同年暮れに翻訳が刊行された。2021年2月に文庫化され、まあ文庫なら買うしかないなと思った。半年ほど放っておいて、秋頃には読む気になっていたところ、2021年10月7日夜に東京で震度5の地震が起こった。日暮里・舎人ライナーが脱線して止まってしまった地震だが、僕の家でも枕元の積ん読本が崩れてしまって、一番上にあったはずの「ミレニアム6」が見つからなくなってしまった。ところがエドガー・アラン・ポー盗まれた手紙」じゃないけど、まさか目の前にあるじゃないかという場所で「発見」したのである。

 帯には「全世界1億部突破!」と大きく書かれている。しかし、解説によればそのうち8千万部は第1部から第3部だという。最初の3巻はスティーグ・ラーソンが書いた。しかし、母国のスウェーデンで第1部が刊行される前の2004年11月、ラーソンは心筋梗塞で僅か50歳にして亡くなった。世界でベストセラーになるのを全く知らないままに。そんなことがこの世の中に起こるのか。死の時点では全10部の構想を持ち、第4部も大方は書き終わっていたと言われる。しかし、ラーソンの原稿が残されたパソコンは現時点では封印されていて、内容は不明である。そして受け継いだダヴィド・ラーゲルクランツが、第4部から第6部までを完成させた。

 この「ミレニアム」シリーズに関しては、以前に「スウェーデンの傑作ミステリー「ミレニアム」、原作と映画①」「「ミレニアム」の志を継ぐもの-「ミレニアム」原作と映画②」を書いたので、細かいことは繰り返さない。第3部までにはずいぶん書き散らされた感じの伏線が残っていて、それをラーゲルクランツが完全に回収しているのには感心した。しかし、世界的大ベストセラー・シリーズの続編を手掛けるというのは、とても大きな精神的負担だったという。それも当然だろう。その結果、第6部で終わらせるということになった。僕は続編に満足出来たし、ここで終わるのもやむなしと思う。

 「ミレニアム」というシリーズ名は、主人公であるミカエル・ブルムクヴィストが共同経営者を務めるスウェーデンの雑誌である。季刊のルポールタージュ専門誌で、人種や女性の差別、大企業のスキャンダルなどを追求する左派の立場に立っている。さすがスウェーデンではそんな雑誌が存在するのかと思うが、まあ現実ではなくてラーソンの理想で作り出されたものなんだろう。

 ミステリーとしては、まさに「全部のせ」である。第1部は孤島で行方不明となった少女という典型的な「謎解き」だったが、その後はスパイ・謀略小説となり、さらに法廷ミステリー情報小説になっていく。さらにハードボイルドサイコ・スリラーの要素もあるから、まさに「全部のせ」なのである。もう一人の主人公であるリスベット・サランデル、「ドラゴン・タトゥーの女」と呼ばれる天才的ハッカーは、実はスウェーデン戦後史の隠された闇に関わる存在だった。それが判ってからは、心理的、歴史的な深みも増してくる。そして、第4部、第5部に引き継がれてからは、妹である絶世の美女カミラとの暗闘という方向性がはっきりしてきた。
(ダヴィド・ラーゲルクランツ)
 今回の「死すべき女」は、どうもここで終わらせるしかないという感じがあって、今までで一番内容的な不満がある。それはやむを得ないと思って読んだけれど、新味としては「山岳ミステリー」がある。著者自身が登山を趣味にしているらしいが、なんとエベレスト登山隊の悲劇が大きく内容に関わっている。ストックホルムの公園でホームレス男性が謎の死をとげる。その人物が誰だか全く判らない。その男はある女性ジャーナリストに対して、国防相の名を出して食ってかかるところを目撃されていた。

 ミカエルはそのジャーナリスト、右派的論調で知られていた女性に会いに行くと…。なんとロマンスが発生してしまうのは、恋多きミカエルの定番だが、それにしても立場を軽々と乗り越えたのは作中のお互いが一番驚いている。そしてリスベットの協力によって遺伝子調査の結果、謎のホームレスはシェルパらしいと判るが…。国防相はかつて、ロシアに滞在する情報員だったが、辞めて後にエベレスト登山隊に加わっていたことで知られる。その時の登山隊では死者が出る悲劇が起こっていた。その国防相は実はミカエルの知人であり、別荘から飛び出し海で溺れかかっているところを何とかミカエルが助けようとする。

 という主筋に、リスベット対カミラの究極の対決が随所に挟み込まれ、ラスト近くではミカエルを罠に掛けて誘拐し、それを餌にリスベットをおびき寄せようとする。捕まったミカエルは足を暖炉で焼かれ、それがリスベットにも伝えられる。という展開にハラハラするかというと、まあそこは超人的なリスベットが助けに来るだろうと想像できる。そりゃあ、後を引き継いだラーゲルクランツがミカエルとリスベットを死なせて終われるかと思う。誰だってそう思うに決まってるから、ここでも書いてしまう。それが作家としてもう書きたくないところでもあるんだろう。

 特に第4部以後に見られるのは、リスベットの実の父の出身地であったロシアが妹のカミラの本拠地として重要な意味を持つことである。ロシアではハッキングや麻薬などで違法行為を繰り返すロシア・マフィアが暗躍している。現実のニュースでも、日本初め世界中の企業に「ランサムウェア」などの脅迫ウイルスを送りつけるハッカー集団はロシアに多いとされる。ソ連時代が再来したかのようなプーチン政権だが、ソ連には一応イデオロギー的な背景があった。そういうタテマエが無くなって、ひたすら利潤追求に明け暮れる「ギャング資本主義」になっている。そんな現実を背景にした大河小説でもある。

 中立福祉国家として知られるスウェーデンの現実の悩みにも思いを馳せる。ひたすら面白く、一度読み始めたら止められない小説だが、同時に読者に「政治的」な立ち位置を確認するような小説でもあった。
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佐藤究「テスカトリポカ」を読む

2022年01月09日 21時04分28秒 | 〃 (ミステリー)
 ミステリー系で次に読んだのが佐藤究(きわむ)「テスカトリポカ」(角川書店)。2021年に第165回直木賞、第34回山本周五郎賞を受賞した作品である。直木賞受賞前に評判を聞いて買ったものの、何しろ500頁を越える大作だから年を越すまで放っておいた。作者はよく知らなかったが、2016年に「QJKJQ」で江戸川乱歩賞を受賞した人だった。昔は乱歩賞受賞作は全部読んでたんだけど、最近は読んでないから知らなかった。それ以前は純文学を書いていて、佐藤憲胤(のりかず)名義で書かれた「サージウスの死神」で、2005年の群像新人文学賞優秀作に入選していた。その後なかなか成功せずにミステリーを書いたということらしい。

 何しろとんでもない作品で、好き嫌いは分かれるだろうが、作品世界の壮大さは誰しも否定できないはずだ。題名が覚えられないが、「テトラポット?」「テストポテチ?」「テスラ?」とかつい言ってしまう。やっと覚えた頃には、最初の方に出て来た人物を忘れかけてしまう。困った小説だが、この題名は古代メキシコアステカ帝国の最高神の名前なのである。作品空間はメキシコに始まって、ペルー、日本、メキシコに戻って、リベリア(アフリカ中西部)、インドネシア、そして日本に戻ってくる。特に重要なのは、メキシコインドネシア日本の川崎市である。時間的にはアステカ神話から、何と2024年までに及んでいる。刊行(2021年2月)の半年後の2021年8月に重大事が発生することになっている。

 メキシコとアメリカの国境地帯は麻薬カルテルが支配する暴力地帯となっていると言われる。そのことは時々悲惨なニュースが報じられるし、映画などにも出て来る。ミステリーではドン・ウィンズロウ犬の力」のシリーズが知られている。その地域で暮らしていた娘が兄が殺されて脱出する。いろいろと逃れて日本に来る。日本で働くが、ヤクザと結ばれて子どもが生まれる。しかし、父親は暴力が激しく、母親も薬物中毒になる。子どもはちゃんと学校へも通えずネグレクトされて育つ。そしてこの少年コシモはどんどん背だけが成長していく。この少年が主人公なのかなと思う頃に、話はまたメキシコに戻ってしまう。

 今度は麻薬カルテルを支配する4兄弟の話だが、敵対勢力に襲撃されて一人だけが生き残る。兄弟はネイティブの祖母に教えられたアステカの神々を信じていた。生き残りのバルミロは敵には北へ逃げたと思わせ、実際は南へ逃げて南米、アフリカを経てインドネシアに行き着く。そこでコブラ焼き(毒蛇のコブラを焼いて食べさせる)の店を開きながら、じっくりと時期を待っていた。そこで日本を逃れてきた心臓外科医末永と知り合う。今は腎臓移植のコーディネートをしている。事情あって闇医者になっているが、いずれは心臓外科に関わる仕事をしたいと思っている。
(佐藤究)
 この二人が出会うところから、悪魔的な大プロジェクトが始まるのである。インドネシアの過激イスラム勢力、中国マフィア、それに日本のヤクザ、闇医者が関わって、恐るべき闇の心臓移植が計画される。そこへ向けて、バルミロや末永も日本へやって来る。バルミロは川崎の自動車解体工場に、怪物的な部下を養成する。コシモはどうなったんだと思う頃、再登場したコシモはバルミロを父と仰ぐようになるが…。様々な人物が多々登場し、今は主要人物しか書いていない。バルミロがアステカ神話に基づく名前を日本人にも付けてしまい、小説でもそれで表記されるから人物一覧を付けて欲しかったと思う。

 あまりにも壮絶、壮大、残虐な血の描写、死のイメージが連続する小説で、体質的に読めない人もいるだろう。しかし、コシモを通して「暴力」を越える世界を遠望していると読むべきだろう。明らかに面白い世界レベルのノワール小説だと思うが、アステカ神話を背景にしたために説明的描写が多くなってしまった。神話的壮大さがある反面、説明で物語が進行してしまう弱さも感じる。コーエン兄弟の映画「ノー・カントリー」の原作、コーマック・マッカーシー血と暴力の国」はずっと短い分量で同じような世界観を示しているとも言える。しかし、長いといってもドン・ウィンズロウ「犬の力」ほどではない。メキシコからアフリカ、インドネシア、日本と広がっていく物語は世界レベルの傑作だと思う。まあ、あまり好きにはなれないなと思ってしまったが。
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米澤穂信「黒牢城」、戦国大名「荒木村重という謎」に迫る

2022年01月02日 22時56分39秒 | 〃 (ミステリー)
 今本屋でいっぱい並んでいるのが米澤穂信黒牢城」(角川書店)である。「このミステリーがすごい!」「週刊文春」「ミステリが読みたい」「本格ミステリ・ベスト10」で、それぞれ2021年のベストワンに選出された。だから「史上初 4大ミステリランキング完全制覇」とうたっている。他に第12回山田風太郎賞を受賞し、また直木賞の候補にもなっている。

 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ)は僕がものすごく読んでる作家である。「古典部シリーズ」「小市民シリーズ」など高校生が主人公のライトノベル風な「日常の謎」ミステリーが好きなのである。今まで各種ミステリーベストテンでは「満願」「王とサーカス」などが高く評価されたが、僕はどうもなあと思うところがあってブログでは書いてない。(中世イングランドを舞台にした「折れた竜骨」は読んでない。)今度の「黒牢城」は戦国時代の史実をもとに「本格推理」を展開するとともに、歴史に潜む謎をも解き明かすという驚くべきアイディアで書かれている。

 時は1578年。畿内をほぼ統一した織田信長は残された石山本願寺(一向一揆)との戦いと進めるとともに、羽柴秀吉や明智光秀に命じて山陽、山陰への進出を進めていた。しかし、秀吉と共に播磨(はりま)の三木氏を攻略していた荒木村重が突如信長に反旗を翻した。村重は一代で摂津(せっつ、大阪府北部、兵庫県南東部)を制圧し、摂津守に任じられていた。ところが突然、本願寺や毛利氏と連携して反信長陣営に加わったのである。古来より何故反乱を起こしたのかには諸説があって確証がない。

 信長もこの謀反には驚いたらしく、明智光秀らを説得に派遣している。一度は説得に応じようとした村重だが、中川清秀から信長は一度反旗を翻した臣下を許さないと言われて、本拠地の有岡城(伊丹城)に戻った。(中川清秀が逆にその後信長に投降する。)秀吉も村重と旧知の小寺官兵衛(後の黒田孝高)を説得に派遣したが、村重は当時の通念に反して官兵衛を生かしたまま土牢に閉じ込めてしまった。(官兵衛は後の筑前福岡藩黒田家の祖になった。)こうして荒木村重の反信長籠城戦が始まった。

 ここまでは完全に史実そのままである。荒木村重の謀反は教科書に載るほどではないが、戦国時代に関心がある人なら誰でも知っている。黒田官兵衛が幽閉されたのも史実。有岡城開城後にからくも救出されて、以後秀吉のもとで武将として大成する。ところで、この「黒牢城」は信長軍と対峙しながら毛利の援軍を待ち続ける有岡城内で、奇妙な不可思議事態(不可能犯罪)が発生する。その謎と背景に潜む思惑を村重が解き明かそうとするが、なかなか解明できずに困り果てると城内の牢を降りていって官兵衛に謎を語る。官兵衛の言葉をヒントにして、村重が謎を解く。という超絶的発想の謎解きミステリーなのである。
(有岡城址)
 それぞれの謎は、「密室殺人」に近い事件、戦場の手柄首の消滅事件、旅の僧侶の殺人事件など、なかなか工夫を凝らしている。しかし、最後になって判るが、それらは実はもっと深い背景事情があって起こっていた。僕はそれまでは何で厳しい籠城戦を持ちこたえている有岡城で、よりによって「不可能犯罪」が起こるのか、疑問を持たざるを得なかった。設定に無理があるんじゃないかという感じである。無理にミステリーにしなくても、単に歴史小説で良いのではないか。しかし、最後まで読むと、官兵衛を生かした意味、その献策が持つ意味を通じて、村重最大の謎に迫るのに驚いてしまった。

 村重最大の謎とは、状況が悪化した時点で自ら城を抜け出て、尼崎城に移ったことである。有岡城は主を失って開城を余儀なくされる。村重や主要な武将の妻子は信長の命によって無惨に処刑された。村重はその後も花隈城によって信長軍に抵抗を続け、敗北しても毛利家に亡命して生き延びた。1582年の本能寺の変で信長が横死すると、堺に移って茶人として復活した。もともと「利休十哲」の一人で茶人として有名だった。そのことは小説の中でもうまく生かされている。村重はその後1586年に死去して秀吉による全国統一を見ることはなかった。しかし、信長の死後まで生き延びた。それは武将としては恥辱だったかもしれないが。

 僕はこの超絶的なミステリーを面白く読んだが、結構長くて大変だった。正直言って戦国時代のイメージや予備知識がないと大変だと思う。ミステリーとしても、先に読んだ「自由研究には向かない殺人」の方が間違いなく面白いと思う。やはり、このような本格ミステリー仕立てにしなくても、歴史的事実そのものが謎に包まれているんだから歴史小説で良かったんじゃないかと思ってしまう。歴史上の有名人物が探偵役になるミステリーはかなり書かれている。「黒牢城」もその一つになるが、主人公(村重)が抱えている苦難は飛び抜けている。とても謎解きをしてるヒマはないだろう。

 まあそこは上手に設定されているが、ここではミステリーだから詳細は書けない。結局光秀も謀反するんだから、村重は「早すぎた決起」ということになるのか。それにしても、何故有岡城を脱出したのかはこの小説の解釈でも僕は完全には判らなかった。この小説では「官兵衛の画策」に大きな意味を見出している。が、それはフィクションなんだから不明と言うしかない。結局「荒木村重という謎」の方が大きすぎて、 この力作ミステリーでも完全には納得できなかったという感じ。なお、浮世絵の祖といわれる岩佐又兵衛は村重の子供だと言われている。そこもミステリーである。村重の子は何人か生き延びて、諸家に仕えている。
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大収穫、「自由研究には向かない殺人」

2021年12月26日 23時18分52秒 | 〃 (ミステリー)
 ホリー・ジャクソン自由研究には向かない殺人」(A GOOD GIRL’S GUIDE TO MURDER)は最近にない快作で、今年の大収穫だった。創元推理文庫の8月新刊で、刊行当時から評判だったが、何しろ文庫とは言え570頁を越え1400円(税抜き)もする。単行本並みの値段だけに敬遠していたが、年末のミステリーベストテンで軒並み上位になった。「このミス」1位はアンソニー・ホロヴィッツヨルガオ殺人事件」で、それは読めばすぐ予想出来る。しかし、この作品も高い評価を得ていて、2作の得点が突出している。期待を裏切らない読後感で、年末年始に一冊読むならこれという超オススメ本。

 時は2017年、ところはイングランドの小さな町リトル・キルトン。高校3年になるピッパは、1年掛けてまとめる「自由研究」の主題に「リトル・キルトンにおける行方不明者(アンディ・ベル)の探索に関する研究」を取り上げた。小説の一番最初に、自由研究の志望書が出ている。「主題に関する研究対象」は「英語、ジャーナリズム、調査報道、刑法」になっている。指導教師からのコメントも付いている。日本だと夏休みの自由研究は、自分で勝手にテーマを選んで提出する感じだが、あちらはずいぶん本格的だ。「卒業論文」に近いもので、大学進学にも重要な意味があるのではないかと思う。

 テーマに取り上げたのは、ちょっと普通とは違うものだった。リトル・キルトンには謎の事件があったのだ。今から5年前(2012年)に、17歳の女子高生アンディ(アンドレア)・ベルが行方不明になった。その後死亡宣告があったが、今もって死体は発見されていない。直後に交際相手のサル(サリル)・シンが睡眠薬を飲み袋を被り窒息死した姿で発見された。サルは友人宅でパーティに出ていたが、友人たちは「サルは早めに家を出た」と証言を変えアリバイがない。サルのスマホから父親に「自分のせい」というメールがあったことから、警察は「サルがアンディを殺害し、その後自殺した」と解釈して捜査を終えている。

 しかし、アンディはどうなったのか? この事件にはまだまだ未解明の点があるのではないか。ピッパがそう考えたのは個人的な思い出があるからだ。ピッパがいじめられていたときに助けてくれたのがサルだった。あの優しいサルが本当に殺人犯なのか。そういう思いを抱えながら5年間経ったのである。ここでピッパの個人的なことを書かなくてはならない。ピッパ(ピップ)・フィッツ=アモービは、本当の父が10ヶ月で事故死し、母親リアンは弁護士をしているナイジェリア人のヴィクターと再婚した。今は肌の色が違う弟のジョシュアゴールデン・レトリバーの愛犬バーニーと4人と1匹で幸せに暮らしている。二人の父を共に大切にするために、フィッツ=アモービとラストネームをダブルにしているのである。

 一見すると「複雑な家庭環境」に見えるが、ピッパは家族の愛情に囲まれて育った。しかし、周囲はそう思わない。継父ヴィクターと町にいると、不審な目で見られて尋問される。サッカークラブにいる弟を迎えに行くと、不思議な目で見られる。学校でも父や弟のことでからかわれていたところを、サルが助けてくれたのだった。そんな環境に育ったピッパは、いじけたりひねくれてもおかしくないが、決してくじけなかった。むしろ明るく元気で人権感覚が優れた少女になったのである。サルは裁判もなく弁護の機会もないまま有罪が当然視され、シン家は5年間怪物の家とみなされた。それはおかしいのではないか。そう思って、ピッパは恐れることなく危険なテーマに取り組んだ。ではまず、シン家を訪ねて弟のラヴィに話を聞いてみよう。

 このピッパの魅力がこの小説の成功の最大要因。捜査権はないから、関係者へのインタビューSNSの駆使が調査方法になる。Facebookなどから、関係者を探していく。過去の画像を検索していくと、ずいぶんいろいろと判ってくる。行方不明になったアンディという少女は、単に可哀想な被害者というだけではない複雑な顔を持っていたらしい。薬物疑惑もあれば、サル以外に謎の年上男性がいたという噂もある。サルとアンディは直前にもめていたという証言もある。しかし、ピッパが思い知るのは、人は嘘をつくと言うことだった。聞きに行った後で、真実は違っていることが判ることが多いではないか。

 やがて、ラヴィと組んで、もう少し危険で(倫理的、法的に問題なしとは言えない)方法も取らざるを得なくなる。そうすると、脅迫も寄せられる。やはりリトル・キルトンには今も殺人者がいるのか。フェアな謎解き現代のネット環境を取り込んだ叙述の魅力(ウェブ上の情報やメールなどが、そのまま取り込まれている)、冒険小説や青春小説のテイストも取り込み、鮮やかな解決のラストまで読み終わりたくないほどの魅惑に満ちている。「リトルタウンで少女が失踪する」というミステリーは英米に数多くあるが、これは中でも傑作だろう。有名な児童文学賞カーネギー賞の候補となっただけあって、ヤングアダルト小説としての魅力も十分である。作者のホリー・ジャクソンはこの小説がデビュー作で、すでに続編が2冊出ているという。翻訳が楽しみだ。
(ホリー・ジャクソン)
 僕は1989年の西ドイツ映画「ナスティ・ガール」を思い出した。1990年のアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた作品である。ドイツの小さな町の少女が、「ナチス時代のわが町」をテーマに取り上げた。新聞で教会関係者がユダヤ人を密告したという記事を見つけて、真相を探り始める。戦後のドイツはナチスの過去を清算したと本心から思っていたが、今も残る町の有力者は実はナチスの協力者だったのである。そして脅迫を受けるようになり、家に爆弾を投げつけられたりした。しかし、彼女は屈しない。ナスティ(nasty)というのは、英語で「厄介な」「手に負えない」といった感じの言葉である。

 もう一つ、この小説で興味深いのはイギリスの学校事情である。高校生が車を運転してるし、酒も飲んでいる。ドラッグは違法だけど、やってる人もいる。映画「アナザーラウンド」を見てデンマークでは飲酒は16歳から可能だと知ったが、イギリスも同様なんだと思う。しかし、日本で年齢が引き下げられることはないだろうし、仮に引き下げられてもパーティが出来るほど広い家に住んでる高校生はほぼゼロだろう。そういうこともあるが、大学受験も違う。ケンブリッジを目指すピッパは、大学に出す論文をトニ・モリスンで書いている。ちょっと不足かなと思って、追加でマーガレット・アトウッドの論文も書く。日本の高校生でも読んでる人はいるかもしれないが、それで論文を書いて大学へ行くわけじゃない。この作家の選択で、ピッパが人種差別やフェミニズムに関心がある高校生だと伝わる。日本の受験システムは根本的な再考が必要だと思う。
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マイクル・コナリー「警告」と遺伝子情報の問題

2021年12月23日 22時43分28秒 | 〃 (ミステリー)
 読みたい本がいつも積まれているが、年末になってミステリ-ベストテンの季節になると、ついついミステリーを読みふけることになる。ブログが更新されない日は、体調不良や多忙じゃなくて要するにミステリーが佳境に入っているんだと思って貰った方がいい。各種ベストテン上位の大著に挑む前に、これまたついついマイクル・コナリーの新作「警告」(講談社文庫)を読んでしまった。これはミステリーとしての興趣はイマイチだったけれど、中で取り上げられた問題が重大だから簡単に紹介しておきたい。

 「警告」(Fair Warning)はマイクル・コナリー34冊目の作品である。原著は2020年に刊行されている。コナリーの翻訳は今年2作目だが、ようやくタイムラグが1年になってきた。しかし、何しろ多作の人なので、すでに未訳の新作が2冊もある。こんなに多作だと、どうしても中身が薄くなるのは避けられず、近年ではミステリーベストテンなどでは入賞しなくなっている。でも、サクサクッと軽く読み進めるのが良いのである。ミステリーは「驚くべき真相」に向かって二転三転する叙述テクニックを楽しむ小説だが、あまりにも鮮やかなドンデン返しがお約束になっているジェフリー・ディーヴァーなんかだと疲れてしまう。それに比べてマイクル・コナリーの軽さが程良いときがある。

 マイクル・コナリー最大のシリーズはハリー・ボッシュもので、20冊以上にもなっている。続いて「リンカーン弁護士」で登場したミッキー・ハラーのシリーズがあり、この二人は驚くべき因縁があって、最近は「共闘」することも多い。しかし、他にも独立したシリーズがあって、「ザ・ポエット」「スケアクロウ」の新聞記者ジャック・マカヴォイが登場するシリーズも面白い。今回の「警告」は久しぶりのマカヴォイものである。前の2作は謎の連続犯罪者を追う展開がスリリングだった。

 デンヴァーの地方紙にいたマカヴォイは「ザ・ポエット」の調査報道で有名になり(本も書いて今でも僅かずつ印税が入ってくる)、ロサンゼルス・タイムズに移籍した。しかし、アメリカの新聞業界は厳しい状況にあって、今では「フェアウォーニング」という消費者問題を扱うネットニュースで記者をしている。最後にある著者但し書きによると、このサイトは実在し、編集者のマイロン・レヴィン(小説に登場する)が実際に創設したものだと出ている。それどころか、著者本人がこのニュース会社の取締役だという。そういう背景を知ると、この小説がミステリー風味よりも、社会に警鐘を鳴らす調査報道っぽい理由が納得できる。

 ある日、刑事二人組がマカヴォイを訪ねてくる。殺された女性クリスティナ・ポルトレロという女性を知っているかと聞かれる。ティナとは1年前にバーで会って、一度だけ関係を持ったことがあった。しかし、この段階ではマカヴォイも容疑者であり、DNA検査に応じることになる。マカヴォイは詳しい事情を知りたくなり、独自に調査に乗り出すが、警察は捜査妨害とみなす。その間に独自の殺害方法に着目して、同様の事件がないか調査を始めると、似た事件が数件あることを知る。ティナのFacebookを見てみると、最近今まで知らなかった姉を見つけたと出ていた。遺伝子調査会社に依頼して、調べたらしかった。

 その殺害方法というのは、「環椎(かんつい)後頭関節脱臼」というもので、絞殺や首つり自殺などでは見られない特異な症状だという。そんなことを言われても全然判らなかったが、「環椎」で検索すると詳細を知ることが出来る。頭蓋骨と脊椎(せきつい)をつなぐ骨の一番頭側である。その骨は前後にしか動かないが、この骨が外れて「断頭」されているのである。作中では映画「エクソシスト」で少女の頭がグルッと回る、あんな感じのことをされたと言われている。それには異常な力が必要なはずで、そんな力持ちは普通に首を絞めたり頭を殴れば殺せるわけだから、わざわざそんな変な殺し方をする殺人犯はいない。
(モズと早贄)
 後に判るが犯人は自らを「百舌」(モズ)と称していた。鳥である。今じゃ東京では知らない人が多いらしい。僕は長らく東京23区の一角に暮らしているが、そこは昔(僕の小学生時代)には単なる稲作地帯だった。米所の新潟出身の妻だが実は新潟中心部で育っていて、僕の方が田んぼを知っているのである。自宅で飼っていた鶏がイタチに襲われて全滅したぐらいである。だから周りにはモズもいっぱいいた。モズは秋になると、冬に向けて餌となる昆虫などを木に串刺しのようにして残す。これを「モズの早贄(はやにえ)」と呼ぶ。家の周囲にはいっぱい早贄が残されていた。このモズが餌とする虫を捕るときに、「断頭」のようにするのだという。それが犯人の自称の由来だった。

 さて、では犯人はどのようにして被害女性を見つけていたのか。マカヴォイが調べていくと、被害者は同じ遺伝子情報会社にDNA検査を依頼していた。格安で応じる会社があったのである。無論会社側は個人情報の保護をうたっているが、連邦の規制は事実上ない状態だという。そこがこの小説の一番重大な指摘で、そのため遺伝子情報を提供者に無断で売り渡しているのではないか。そういう疑惑が持ち上がり、同僚のエミリー・アトウォーターや昔からの因縁のある元FBI捜査官レイチェル・ウォリングとともに調査を進めていくと…。そこら辺からはミステリ-だから書かないけれど、まあそういう遺伝子情報の取り扱いに警鐘を鳴らしている。

 その指摘も重大ななのだが、僕が思ったのはアメリカ社会の「DNA幻想」の強さである。移民国家であるアメリカでは、自分のアイデンティティを探し求める動機が他国より強いんだと思う。いわゆる「白人」であっても、自分の祖先の故郷は具体的にはどこの村で、同じ祖先の子孫が今も生きているのかどうか。「黒人」の場合も同様で、アフリカのどこの出身なのか。実際に自分の過去の出自が判ったという話もよく聞く。一方、この小説では、知られたくない個人情報から家庭が崩壊したりする場合も出ている。

 検索すれば、日本でもDNA鑑定を手掛ける会社はいくつもある。ただし、どうしても親子関係を確認したいという場合などが多いと思う。10万円以上はするようだから、そうそう誰もが利用するものではない。小説ではそれが23ドルで請け負うという設定である。これは確かに破格に安いだろう。それで集めた情報を売る悪漢が会社に潜んでいたらどうなるか。今までの経験では、どんな業績のよい会社でも、不正や横領など何か事件が起こりうる感じである。

 「警告」では「性的に開かれた」、つまりニンフォマニア(色情狂)的な因子がDNAで確認出来るという設定になっている。そこまで行くと「DNA決定論」みたいで疑問が大きい。性的生活などは経済、文化などの影響の方が大きいような気がするが。そんなところもアメリカ的である。それはともかく、アメリカではここまで「遺伝子産業」が盛んなのかと思わせられた。まあ小説的誇張もあるかと思うが、日本でも考えて置くべき問題を「警告」しているなあと思った次第。
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小池真理子「神よ憐れみたまえ」、荘厳なる一大叙事詩だが…

2021年11月11日 22時47分49秒 | 〃 (ミステリー)
 小池真理子の「神よ憐れみたまえ」(新潮社)を読んだ。570ページにもなる大著で、10年の歳月を掛けたという畢生の大作である。その間に夫の藤田宜永をガンで失うという体験もした。1100枚になる大長編だから、なかなか読み進まない。しかし、長さだけでなく、どうしても辛くなってしまう展開に圧倒された。文章は読みやすいが、内容的にこれはやり過ぎではないかという展開なので、先のページに尻込みする。一度はチャレンジするだけの深さを持っているが、読むには覚悟がいる。

 小池真理子は直木賞を受けた「」(1995)を初めとして、「無伴奏」「欲望」など「時代」を色濃く反映させながらロマネスクな世界を築き上げる長編をいっぱい書いてきた。僕は全部を読んでいるほどのファンではないけれど、そのミステリアスで濃密な作品世界に惹かれてきた。「」はあさま山荘事件(1972年)と同時期に軽井沢で起こった殺人事件を描いていた。今度の「神よ憐れみたまえ」では1963年11月9日に起こった国鉄の鶴見事故が出て来る。161人が死亡した脱線衝突事故である。全く同じ日に三池炭鉱の爆発事故が起こり458人が死亡した。そのため「魔の土曜日」と呼ばれることになる。

 ちょうど大事故と同じ日に大田区久が原の豪邸に住む夫婦が殺害された。夫は函館の有名な黒沢製菓の御曹司で、東京支店を任されていた。彼は黒沢製菓が函館で営む洋食レストラン黒沢亭で働いていた妻を見初めて、母の反対を押し切って結婚した。一人娘の黒沢百々子が生まれ、今はピアニストを目指して音楽科で知られる聖蘭学園の小学校に通っている。凶行のあった日には、箱根で行われる宿泊旅行に参加していて百々子だけが無事だった。しかし、彼女は12歳にして、両親を失うという悲劇に見舞われたのである。

 この小説は黒沢百々子の人生を丹念にたどっていく。周辺の人物を巧みに織り込みながら、愛らしく賢い「天使のような」百々子が如何にして両親の不在に向き合っていくか。一応殺人事件から始まる「ミステリー」的な作品だが、犯人は最初の方から匂わせられていて、作品半ばで事件に至る経緯から犯行までが叙述される。だから「犯人」も「犯行方法」「動機」もすべて読者には途中で判ってしまう。だがそのことは百々子には判らない。いつどのようにすべてが白日のもとに曝されるのか、そこがスリリングだというタイプの作品である。 
(小池真理子)
 百々子は父の弟(叔父)には懐いていない。家族では唯一母の弟の左千夫だけに身近な思いを持っていた。親を失った百々子は家政婦だった石川たづの家に一時的に住むことになる。たづの夫は大工をしていて、家政婦を捜していた黒沢夫妻に妻を薦めたのである。この石川一家、特にたづの無償の愛が百々子を支えていく。石川家には二人の子どもがいて、特に一歳違いの美佐とは何でも話せる友人となる。兄の紘一との縁、美佐の人生行路、たづ一家との交流が読み応えがある。裕福な黒沢家にはない、庶民の中にある高潔な生き方を教えてくれる。

 一方で事件の経緯が語られていくと、あまりにも異様な悲劇に言葉もない感じがする。いや、こういう動機を知らないわけではない。むしろ時々見聞きすることかもしれない。それにしても、動機は動機として、果たしてこのような犯罪が起こりえるのだろうか。起こったとしても、すぐに警察によって事件としては解決されるのではないか。ところがそこに鶴見事故が関わるのである。犯人は当日に事故に巻き込まれるが、車両の違いによってたまたま大きな被害は受けなかった。そこで知人に出会っていたことが犯人の人生を左右することになる。この動機が事細かに語られるときに、僕は心乱されて読むのが大変だった。

 百々子の人生は波瀾万丈過ぎるが、そこに学ぶことも多い。一大叙事詩というか、むしろ壮大なマンダラというべきか。もちろん黒沢製菓や聖蘭学園は架空の存在だが、似たような存在は思い浮かぶ。百々子のように「才色兼備」を絵に描いたような人間がかくも過酷な人生を歩むことになるとは。しかし、事件を越えて、小説は晩年に及んでいく。1963年に12歳だったのだから、百々子は1951年生まれである。まだまだ元気で活躍しておかしくない年齢だが、函館に移り住んだ百々子に運命は過酷である。函館の立待岬函館山ロープウェーハリストス正教会などが印象的に描かれるのもロマネスクなムードを高めている。

 久が原(くがはら)ってどこだろうか。東京人なら皆お屋敷町に詳しいと思うかもしれないが、多くの人は全然行ったこともないだろう。僕は有名な田園調布も、名前は知ってるけど行ったことがない。久が原になると、名前を聞いたこともなかった。こういうところがあるんだ。60年代、70年代の東京の姿が描かれるのも懐かしい。また音楽への道を進む百々子だけあって、クラシック音楽の話も多い。そもそも題名の「神よ憐れみたまえ」がバッハマタイ受難曲」のアリアである。探して聞いてみれば知っている人が多いと思う。百々子はチャイコフスキーが好きだというが、作品世界に響いているのは荘厳なバッハの受難曲である。動機が受け入れられない人がいると思うけど、これほどロマネスクなムードあふれる現代の叙事詩はないと思う。
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超傑作「ヨルガオ殺人事件」(アンソニー・ホロヴィッツ)

2021年09月26日 21時17分23秒 | 〃 (ミステリー)
 アンソニー・ホロヴィッツの新作「ヨルガオ殺人事件」(MOONFLOWER MERDERS、2020)が刊行されたので、早速読まないと。(創元推理文庫上下、山田欄訳)ホロヴィッツのミステリーを紹介するのも、4作目となる。「カササギ殺人事件」の登場に驚き、「メインテーマは殺人」でさらに驚き、「その裁きは死」も面白かった。かくして日本のいくつかのミステリーベストテンで3年連続ベストワンを記録中だ。ところが今回の「ヨルガオ殺人事件」はこれまでの3作にもまして素晴らしい作品だったのだから驚くほかない。
(上巻)
 「メインテーマは殺人」「その裁きは死」は、作者本人が作品に登場する趣向のホーソーン&ホロヴィッツ シリーズである。新しい事件が発生すれば新作が出来るわけである。しかし、今回の「ヨルガオ殺人事件」は「カササギ殺人事件」の方の続編である。「カササギ殺人事件」というのは、作家と作品が二重に入れ子構造になった複雑な作品だった。名探偵アティカス・ピュントが活躍する21世紀のアガサ・クリスティみたいなシリーズがあった。その9作目が「カササギ殺人事件」なのだが、作者のアラン・コンウェイが謎の死をとげたうえ、結末の原稿が紛失してしまった。その謎を編集者スーザン・ライランドが追っていくのである。

 その続編って一体どんなものなのか。もちろんアティカス・ピュントのシリーズは以前に8作品あるとされている。それを書くことは出来るだろうが、1作目のあの複雑な二重の面白さは再現できるのだろうか。そんなことは不可能だろうと思うのだが、作者は軽々と難条件をクリアーしてしまった。驚くしかない。そして、これはスーザン・ライランド&アティカス・ピュントシリーズだったのである。スーザンは前作の最後で作品内の謎を完全に解明したが、同時に恐ろしい目にあって出版社も破産した。そして2年、スーザンは当時付き合っていたギリシャ人の恋人アンドレアスと一緒にクレタ島で小さなホテルを経営している。

 ホテルは期待したようにはうまく行かず、経済的にも大変だし突然出版界から離れてしまった喪失感もある。日々の仕事に追いまくられて、アンドレアスとの関係も微妙に…。そんな時に突然イングランドでホテルを経営しているトレハーン夫妻がスーザンを訪ねてくる。実はホテルで働いている娘のセシリーが失踪してしまい、それにアラン・コンウェイの作品が関わっているらしいというのである。アティカス・ピュントシリーズの第3作「愚行の代償」を書く前に、アランは夫妻のホテル「ブランロウ・ホール」のヨルガオ館に滞在していた。
(下巻)
 ホテルでは8年前にセシリーの結婚式当日に恐るべき殺人が起こっていた。もちろん「愚行の代償」はその事件を直接扱っているわけではない。だがアランはホテルの人物をモデルとして作品に登場させているらしい。8年前の事件はホテルで働いていたルーマニア人青年が逮捕され有罪となっていた。しかし、セシリーは8年経って初めて「愚行の代償」を読んだところ、真犯人は別人物だと判ったという謎めいた電話を残したまま、次の日に犬の散歩から帰らなかった。アラン・コンウェイは死んでいるが、作品について一番詳しいのはスーザンだと聞いて飛んできた、是非調査して欲しい、報酬もはずむからと言うのである。

 こうしてスーザンはうかうかとロンドンに戻り、さらにデヴォン州に赴いて敵意ある多くの人物から真相を探り始めるが…。セシリーの夫エイデン・マクニール、妹と仲が悪かった姉のリサ、殺された宿泊客フランク・バリスの妹夫婦などに話を聞くが、一向に真相は見えてこない。アラン・コンウェイはゲイを公表して、財産は一緒に住んでいたジェイムズ・テイラーに遺された。久しぶりにジェイムズに会ってアランの調査資料を借りると、当時のインタビューなどが見つかる。また当時ホテルのジムでトレーナーをしていたライオネル・コービーに会って、ホテルの意外な裏事情を聞かされる。

 そして、いよいよ「愚行の代償」を再読するに至るが…。これが実によく出来たミステリーで面白いのだが、当然ながらフランク・バリス殺人事件の真相は書かれていない。セシリーは一体何に気付いたというのだろうか。作品内の「愚行の代償」は1953年にイングランド東部サフォーク州で起こった事件を描いている。ハリウッドで成功した女優メリッサ・ジェイムズは村の屋敷を買って住みながら、ホテルを経営している。メリッサが殺されてアティカス・ピュントに調査依頼が来るのだが…。その中に「ルーデンドルフ・ダイヤモンド事件」という盗難事件の解決編が挿入されている。これがまた超絶的な怪事件で、ピュントの推理も冴え渡る。

 「愚行の代償」は前作にも負けていない、それだけで大傑作である。登場人物の証言が合わさりながら、特に主筋に関係しない「ミスリードのための伏線」も完璧に回収されるのには驚くしかない。それはインターネットなき時代の古典的なミステリーの再現として完璧の域に達している。一方、現代世界の出来事とされる本筋の方は、インターネットを駆使しながら情報を収集する。しかし、「愚行の代償」を読んでも一向に真相が読み解けないんだけど、と思うときに危機発生。アンドレアスもここぞと言うときに登場し(それは読者が容易に予想できる)、また犯人とされたステファンに面会に行って…。

 真相を書けない以上、いくら書いても仕方ないのでもう止めるけれど、「ヨルガオ殺人事件」はものすごい傑作である。「謎解き」「犯人あて」などというレベルで済ませてはいけない。作者がいかに人間通であるか、その奥深さに驚くのである。人間には裏があり、秘密を持つものである。それを暴くのがミステリーだが、すべてが殺人をもたらすわけではない。「印象論」や「陰謀論」では解決しない真の「論理性」が求められる。架空の殺人事件の犯人が誰であっても、我々の実人生には関わらない。しかし、それが「論理性の勝利」であるからこそ、読書の醍醐味を感じるのである。
(ヨルガオ)(朝顔、昼顔、夕顔、夜顔)
 ヨルガオはなじみが薄い花だが、熱帯産のヒルガオ科の一年草。作中のホテルに「ヨルガオ館」がある設定。アサガオ、ヒルガオ、ヨルガオはヒルガオ科。ユウガオもあるが、これはウリ科でカンピョウの原料である。夕顔は源氏物語だし、昼顔はケッセル原作をブニュエル監督、カトリーヌ・ドヌーブ主演で映画化された作品が思い浮かぶ。イギリスでヨルガオが観賞植物として人気なんだろうか。題名の由来は読んでも判らない。
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マイクル・コナリー33冊目のミステリー「鬼火」

2021年07月30日 23時08分02秒 | 〃 (ミステリー)
 マイクル・コナリー(Michael Connelly、1956~)の新作が(もちろん翻訳で)出るたびに読んでしまうのは、僕の一種の「悪癖」に近い。もう読まなくてもいいかなと思いつつも、読後の満足は安定している。大傑作じゃないけれど、毎年のように新作が出るから手に取ってしまう。アメリカじゃオバマ元大統領がファンだと言うことでも有名で、かなり売れてるらしい。今度の「鬼火」(The Night Fire、2019)は33作目の長編ミステリー小説で、講談社文庫7月刊である。いつもの古沢嘉通訳で、読みやすい。

 僕はコナリーの小説は全部読んでいる。90年代から出ているから、今から全部追いかけるのは大変だろう。エンタメ本だから一冊でも読めるけど、コナリー作品は登場人物が共通しているから続けて読む方が面白いだろう。それは大沢在昌の「新宿鮫」シリーズなどと同じである。このブログでも今まで2回書いていた。「真鍮の評決」と「罪責の神々」である。読んだからといって、いちいち書くまでもないと思うけど、今回は書いておきたい。というのは「シリーズもの」の問題とアメリカの犯罪状況を考えるためである。

 マイクル・コナリーの小説は大部分が「ハリー・ボッシュ」シリーズである。これはAmazon prime videoでオリジナルドラマになっているという。そもそもはベトナム帰還兵で、孤児として育ったハリー・ボッシュの目を通して、現代アメリカを描くハードボイルド風の警察小説として構想されたと思う。そもそもハリー・ボッシュというのは、画家のヒエロニムス・ボスのことである。死体として発見された母のそばにいた、父不明の幼児に付けられた名前だった。帰還後にロス市警に勤めたから、普通の意味では警察小説になる。しかし、犯人を捕まえるためには、時には法規範を乗り越えてしまうから、警察内部では厄介者扱いされる。何度も飛ばされるし、一時は辞めて私立探偵になったこともある。

 コナリーはボッシュ・シリーズを書く傍ら、他の作品も書いてきた。またハリー・ボッシュも作者と同じく年齢を重ねてきた。その中で他の登場人物がボッシュ・シリーズに(あるいはその逆に)、相互乗り入れ状態になるようになった。中でも「リンカーン弁護士」で登場したミッキー・ハラーという「無罪請負人」は強烈なキャラで、しかもボッシュとハラーは驚くべき因縁があった。まあ書いてしまうけど、異母兄弟だったのである。だから時々ボッシュはハラーに協力する。それは警察内部からは「裏切り者」扱いされることだ。ボッシュは「真理追究」のためと考えても、多くの警察関係者は「犯人を逃した」と考える。

 また年齢とともに、ボッシュには「定年退職」という問題が起きる。一時は定年延長をしたが、それも終わって、次には別の郡で臨時警察官になる。それもうまく行かず(一応まだバッジを持っているが)、最近ではロス市警の「レイトショー」(夜間専門の警察部門)にいる女性警官レネー・バラードと協力することが多い。バラードは優秀な刑事だったが、上司によるセクハラを公にしたことで職場から追われる。このように警察を通して人種や性差別、性的指向などをめぐる状況が語られる。そこら辺も読み所。
(マイクル・コナリー)
 大昔の「足で稼ぐ」私立探偵時代と異なり、現代では多くの情報がデジタル化されて警察に累積されている。その情報にアクセス出来るか出来ないかで、捜査が全然違ってしまう。警察を辞めているボッシュとしては、バラードがいないと先へ進まない。今回はボッシュ、バラードに加えてミッキー・ハラーとシリーズ・キャラクター勢揃いのボーナス版である。ボッシュの恩人だった元警官が亡くなり葬儀に行くと、未亡人から夫が残していた未解決事件の捜査記録を預かる。なんでその事件を気に掛けていたかも不明である。一方、バラードは「レイトショー」で「ホームレスの焼死」を扱う。それは事故か事件かも判らない。

 その時にボッシュはミッキー・ハラーの裁判に協力していた。それは裁判官が刺殺されたという事件で、ホームレスが逮捕され「自白」も「DNA」もある。一見盤石な事件だが、ハラーは無実を確信している。果たして真相はいかに。これらの事件がバラバラに進行し、「モジュラー型」(いくつもの事件が並行して語られる)のように進行して行くが、最後にそれらが一本につながり驚くべき真相が待っている。まあジェフリー・ディーヴァーほどどんでん返しではなく、軽くてスラスラ読めるところがコナリーの真骨頂である。それでいて、性や人種や性的指向などの偏見に囚われていてはいけないというメッセージにもなっている。
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ローレンス・ブロック「石を放つとき」、最後のマット・スカダー

2021年03月29日 20時37分29秒 | 〃 (ミステリー)
 アメリカのミステリー作家、ローレンス・ブロック(2018~)の「石を放つとき」(二見書房)が2020年12月の終わりに出ていた。全然気付かないで、ついこの間大型書店で見つけて買って帰った。これはブロックの代表的なシリーズ、マット・スカダーものの最新作「石を放つとき」(2018)と今まで書かれた短編の代表作を集めた「夜と音楽と」(2011)を日本で合本したものである。翻訳はすべて田口俊樹氏で、名訳で読むスカダーとニューヨークの移り変わりに心打たれる。

 ミステリーというのは謎の解決を堪能するジャンル小説だが、もう「石を放つとき」を読むときにはそんなことは二の次だ。マット・スカダーはいつからか、作者ローレンス・ブロックと同じ年という設定になった。そうすると80歳を超えているわけで、この作品でも「足が痛む」とか「体力が落ちた」とかいつも愚痴っている。だから、昔のように大変な事件を扱うわけにはいかない。もちろん「事件」はあるわけだが、その謎の解決のために昔の知人を思い出し、旧知の人物が語られる。その意味ではスカダー「最後の事件」になるような気がする。

 ローレンス・ブロックは単発作品もあるが、ほとんどはシリーズものを書いてきた。泥棒バーニイ・シリーズ殺し屋ケリー・シリーズもすごく面白いけれど、やはり「マット・スカダー・シリーズ」が一番だと思う。警官だったスカダーは、ある日強盗を追っていて発射した銃弾が弾けてヒスパニックの少女に当たってしまった。法的な責任はないものの、それをきっかけにスカダーに警官を辞め、家庭も崩壊した。酒に溺れながら、探偵免許もないまま頼まれて一人ニューヨークを駆け回る日々。ニューヨークの裏面を描く「酔いどれ探偵」としてシリーズは始まった。
(ローレンス・ブロック)
 最高傑作「八百万の死にざま」(1982)をはさみ、しばらくシリーズは休止した。そして再開されたとき、スカダーは「断酒」していた。断酒グループの集会に参加しながら、相変わらず頼まれた事件を調べる生活が続く。ニューヨークの実在の店が出てきて、ジャズなどの話も多い。スカダーものに出てきた店をめぐる人もいる。妻と別れた後は事件で知り合った彫刻家のジャン・キーンと交際した時期があるが、そのうち消滅。やがて過去の事件に絡んで、「美人で賢い元コールガール」というエレイン・マーデルと再会する。二人はウマがあって結婚して、すでにもう長い。

 「夜と音楽と」にある短編で判るけど、二人はイタリア旅行やオペラ鑑賞など関係はずっと良好だ。だから最近は謎解き以上に、エレインや不思議な因縁の友人ミック・バルーとの交友の話が多い。それが滋味深くて読み飽きない。だから今回の「石を放つとき」も僕は面白くてたまらないけど、やっぱりシリーズの経緯を知らないと面白みが少ないかもしれない。だけど、前半の「夜と音楽と」は傑作短編ばかりで、ミステリーファンだけの楽しみにしておくのはもったいない。

 謎解きの妙味人生の不可思議社会的関心がほどよいバランスでブレンドされていて、これは傑作だと思うような短編ばかり。特に「窓から外へ」「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」は現代に書かれた短編ミステリーの最高峰だろう。今までローレンス・ブロックの短編集も文庫で出ているから、大部分は読んでるはずだが細部はもう忘れている。過去の警官時代の事件を語る「ダヴィデを探して」「レット・ゲット・ロスト」も奇想が見事に着地する。短編だから内容に触れるわけにいかないのが残念。

 ミステリーと言えるかどうかの境界線にあるのが「バットマンを救え」と「慈悲深い死の天使」だ。前者では元警官たちが雇われて、ニューヨークの街頭でバットマンの違法商品を没収していく。売っているのはほとんどがアフリカから来た若者だ。著作権違反だから没収されても仕方ないわけだが、スカダーは次第に疑問を持つ。買い上げる方が安いぐらいなのに、なんで元警官を雇って没収して回るのか。後者はエイズで余命わずかの人が集まるホスピスに謎の「死の天使」がいるとか。彼女が見舞いに来ると患者が死ぬ。ホスピスなんだから死んでもおかしくないけれど、それにしてもあり得ないような確率だ。果たして彼女の正体は?

 そんな中に小品の表題作「夜と音楽と」がある。マットとエレインがオペラ「ラ・ボエーム」を見に行って、エレインは悲しくなる。何度も見ているんだからミミが死ぬのは判ってみているんだけど、それが悲しい。そのまま二人は終夜でやってるジャズの店に行って夜明けまでジャズを聞く。ミステリーじゃなくて、ニューヨーク気分を味わうための小品。朗読会用によく使うという。野球のヤンキースメッツ、バスケのニックスニューヨーク近代美術館など、いかにもニューヨーカーの話題もたっぷり。恐らくマット・スカダーものもこれが最後かと思えば、贅沢なボーナス・トラックを堪能できる一冊だった。
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大沢在昌「新宿鮫 暗約領域」を読む

2021年01月22日 22時45分46秒 | 〃 (ミステリー)
 政治関係が続いていたが、この間の読書はミステリー。いつも正月にミステリーを読むけど、今年は馳星周の犬小説を読んでいた。その後に大沢在昌(おおさわ・ありまさ)の新宿鮫シリーズの最新作「暗約領域」(光文社)を読んだが、700頁もあって重たい。2019年11月に出た時はスルーしたけど、「このミステリーがすごい!」に入選したので読みたくなってしまった。

 「新宿鮫」シリーズは1990年に出た「新宿鮫」に始まり、「暗約領域」が11作目。10作目の「絆回廊」が2011年刊行なので、ずいぶん時間が空いた。内容的には前作直後から続く物語となっている。知らない人のために簡単に書いておくと、このシリーズは新宿署の生活安全課に属する「ワケあり」の鮫島警部の活躍を描いてきた。鮫島は本来はキャリア官僚として警察庁に入庁したが、公安部内の暗闘に巻き込まれ「ある秘密」を握ることになった。そのため辞めさせることも出来ず、現場の生活安全課に定年まで留め置かれるだろうという境遇にある。

 しかし、それは本人にとってそれほど不満のあるものではない。誰とも組むことなく一人で捜査せざるを得ないが、「遊軍」で独自の捜査を続けているうちに重大な事案にぶつかることが多い。暴力団と群れることが嫌いだが、その孤高の姿勢が裏社会でも評価され「新宿鮫」と呼ばれて恐れられている。原則として一人だけの捜査は許されないはずだが、そんな鮫島の捜査能力と独自性を評価する桃井課長が何かにつけバックアップしてくれていた。しかし、前作で桃井が捜査中に死亡し、鮫島はその過去を背負っている。またロックグループ「フーズハニー」のヴォーカル「」(しょう)と同棲していたが、その関係も破綻してしまった。

 全部読んできたが、8作目の「灰夜」(はいや)が出張先の鹿児島を舞台にしている他は、すべて新宿が舞台になっている。鮫島が新宿署にいるんだから当然だが、新宿の裏社会を定点観測する一大ノワールシリーズになっている。「暴対法」が出来るなど、裏社会の様相も最初の頃から比べてずいぶん変わってきた。当初から外国人マフィアが登場しているが、国籍もずいぶん変わっている。薬物や売春などの裏情報もたっぷりで、「情報小説」にもなっている。大沢在昌の小説はいつも情報解説が多すぎるが、だからこそ読みやすくて判りやすい。
(大沢在昌)
 今回は覚醒剤密売に関するタレコミを受けて、ある場所を張り込むことになる。もともと商店だった場所がいつの間にか「ヤミ民宿」になっているらしい。そこがコロナ以前の東京を表している。新宿署で唯一鮫島と交友がある鑑識のに頼んで、真ん前の部屋にカメラを設置したが、そこには誰も張り込んでいなかった時間に謎の銃撃音が記録されていた。こうして単なる覚醒剤案件が殺人事件になってしまうが、その後に突然公安部が出張ってきて事件を取り上げてしまう。裏を探っていくと国家的機密に触れることになってしまったのである。

 その間に冒頭では鮫島が「課長代理」になって会議に出たりしている。新宿署ではもう鮫島が課長でいいというが、本庁は認めず後任に女性を送り込んでくる。新課長は例外的捜査を認めず、鮫島に新人として赴任した矢崎を付けることにする。鮫島は自分と組むと後輩が将来不利になると言うが、課長は例外を認めない。そんな事情も抱えつつ、鮫島はヤミ民宿の事情を探りながら真相に迫っていく。そしてある人物が行方不明になっていることが判る。途中から「犯人側」の様子も出てきて交互に描かれるが、両者がどのように絡んでいくのか、最後まで予断を許さない。

 この小説は面白いには面白いが、今までの最高傑作ということもないだろう。今まで読んでない人が初めて読んでもあまり面白くないと思う。謎やアクションもあるが、それ以上に人間関係のもつれた糸の絡まり具合が面白いからだ。ミステリーの約束として、ここで真相を書くことは出来ないが、ここで提出されている「陰謀」がいかにもありそうで、それを読む意味があると思う。「北朝鮮」や「中国」が中心的テーマとして出て来るが、その描き方は情報小説として特に珍しくはないが驚くような内容には違いない。疑問や反発を感じる人もいるかと思うが、エンタメ小説としてのフィクションとはいえ、大きな意味では僕はありそうな話だと感じた。

 その後に読んだスウェーデンのヘニング・マンケルクルト・ヴァランダー警部シリーズは、ここでは書かないことにする。発表から10年以上翻訳が遅れている間に作者が亡くなってしまった。ヴァランダー最後の「苦悩する男」は上下2巻の大作で、内容も読み応えがある。このシリーズで記事を書いたものもあるが、今回は「冷戦」時代のスウェーデンが背景になった作品で日本人には遠いテーマか。でも翻訳が素晴らしく読みやすい。ミステリーは筋を書けないので、今回は何を書いているのか伝わらないと思うけど、世界の秘密に触れることで「耐性」を付けておくことも「陰謀論」に欺されないために必要だと思う。
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辻真先88歳の傑作「たかが殺人じゃないか」

2020年12月23日 22時59分23秒 | 〃 (ミステリー)
 「このミステリーがすごい!」など年末のミステリーベストテンで、圧倒的に支持されているのが辻真先たかが殺人じゃないか」(東京創元社)である。祝3冠、1位と大きく書かれた帯を付けて売られている。ちなみに海外ベストワンは先に書いたアンソニー・ホロヴィッツその裁きは死」だった。この二人には共通点がある。それはテレビ界、そして子ども向けミステリーで有名になりながら、「本格ミステリー」への志を持ち続けたのである。そして大きな成果を挙げた。

 辻真先(1932~)は生年を見れば判るように、今年米寿の作家である。しかし、この若々しさはどうだろう。今まで「迷犬ルパン」シリーズなどで人気があることは知っていたが、読んだのは2009年に牧薩次名義(辻真先のアナグラム)で発表された「完全恋愛」だけだ。もっともそれはミステリーに限ったことで、実は辻真先には「温泉ガイド」が何冊かあってそっちは読んでいる。紹介されている旅館に行ったこともある。それが今回の作品にも生きているのである。

 今回の作品は「昭和24年の推理小説」と銘打たれている。2018年に出た「深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説」から続く小説だという。(その作品は未読だが、2021年1月に文庫化されると案内がある。)昭和24年、つまり1949年と言えば、敗戦から4年経って少しは復興も進んでいるが、焼け跡・闇市ももちろんまだ残っている。著者の出身地、名古屋を舞台にした青春小説としても読み応えがある。名古屋は有名な「100メートル道路」建設中で、語り手と言える高校3年生風早勝利の家は焼け残った料亭だが、そこも道路計画に含まれて立ち退きを迫られている。

 今「高校3年生」と書いた。ほとんどの人は、何の抵抗感もなくイメージできる。1960年代初期の舟木一夫高校三年生」の時代には、もう独特の語感を与える言葉として定着していた。しかし、著者にとっては違うのだ。「旧制中学」から突然「新制高校」に制度が変わって、突然「高校3年生」になってしまったのである。1年生、2年生を経ずに、突然「最終学年」で、翌年に大学受験である。しかも、名古屋では男女共学になったようで、突然に男子と女子がともに同じ学び舎に集うことになった。それは不道徳の温床だとみなす教員もいた時代だった。
(辻真先氏)
 私立高校に転学した風早勝利と友人の大杉日出夫は、映画とミステリーが大好き。「映研」と「推研」(推理小説研究会)を作るが、そこにも女子がいる。薬師寺弥生神北礼子である。そこに事情を抱えた転入生、崎原鏡子が入部してくる。彼女は上海からの帰国者だった。そして両部の顧問は「男装の麗人」風の国語科代用教員、これも訳ありで武道の達人、別宮操(べっく・みさお)である。修学旅行も風紀上問題ありと中止になったので、別宮先生は知り合いの宿がある愛知県東北部の湯谷(ゆや)温泉で夏合宿をしようという。

 そして、その合宿中に「密室殺人事件」が起きる。それは果たして可能なのか、それとも密室ではないのか。映研、推研は合同で文化祭で映画を作ろうとしていた。もちろんホントの映画を若者が作れる時代じゃない。映画のシーンを写真に撮って並べるという趣向である。その撮影は学園が買い取った軍の廃墟施設で行われた。夏休みの終わり、キティ台風来襲の夜、撮影終了後に今度は「バラバラ殺人事件」が起きた。今度は時間的に不可能な犯罪だ。犠牲者となったのは、戦時中に羽振りがよかった右翼評論家と湯谷温泉の地域ボスだった。

 その間に謎を秘めた美少女鏡子の人生をめぐる謎鏡子の親友だった少女の失踪などいくつものストーリーが語られる。映画やミステリーに関する議論、男女をめぐる校内のゴタゴタ、教員間のあつれきなどなどを含めて、ユーモア青春ミステリーとしても上出来。だが著者のねらいは、「戦後風俗」を事細かに語ることにより、「反戦のメッセージ」を伝えていくことにある。いかに戦争中がバカげた時代だったか。自由に批判できることの大切さ。もちろん、密室や時間の謎も完璧に解明される。いくつもの密室が書かれてきたが、この設定は初めてだと思う。しかし、問題は「動機の謎」の方だ。僕も方向性は当てられたが、真相は見抜けなかった。

 ところで作中では「GHQの命令で男女共学になった」とされるが、東日本では男女別学がずっと続いた地域がたくさんあった。栃木・群馬・埼玉では今も男女別学の公立高校が残っている。だから全国一斉の命令なんかなかった。愛知県に駐留した連合軍は男女共学を求めたのかも知れないが、詳しいことは知らない。もちろん、いわゆる「六三制」と言われる新教育制度、中学校まで義務化されたのは全国一斉である。それに伴って、新制高校が設立されたわけである。だから、この本で書かれている戦後事情も、名古屋独自のものもあると思って読んだ方がいい。

 ところで辻真先がアニメの脚本を多数手掛けているのは知っていたが、何を書いていたかは特に調べたことはなかった。今回ウィキペディアを見たら、あまりにもすごいので驚いた。「エイトマン」「鉄腕アトム」に始まり、「オバケのQ太郎」「魔法使いサリー」「ジャングル大帝」「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「サザエさん」。もっともっとあって、それが60年代。70年代になって「天才バカボン」「海のトリトン」「ドラえもん」…ちょっと面倒になったので止めるけど、21世紀の「名探偵コナン」まで書いてるので、日本人のほぼ全員が辻真先脚本のアニメを見ていたのである。
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アンソニー・ホロヴィッツ「その裁きは死」

2020年09月14日 22時40分48秒 | 〃 (ミステリー)
 内外に書くべきことが多い中、一昨日からアンソニー・ホロヴィッツ(Anthony Horowitz)の新作「その裁きは死」(The Sentence Is Death、2018)をひたすら読みふけっていた。前作「メインテーマは殺人」に続く「探偵ホーソーン」シリーズの2作目である。1作目は大傑作だったし、さらに2018年に翻訳された「カササギ殺人事件」も超絶的な傑作ミステリーで、ミステリーベストテンでは2年連続でトップになっている。ホロヴィッツの新作なら読まずにはいられない。

 このシリーズはアンソニー・ホロヴィッツ、つまりは著者本人がワトソン役を務めて、実際の私生活も出てくるというのが新趣向である。今回もテレビ番組のロケをしている(つまり、交通は一時的に遮断している)ところに、なぜか元刑事のホーソーンがタクシーで出現する。ホーソーンは故あって警察を退職した身だが、難事件の場合のみ警察から頼まれて捜査に参加する。その捜査の様子を見聞きして、ホロヴィッツが本を書くという契約(印税は半々で分ける)である。

 だから一種ノンフィクション的に進行するのだが、ホロヴィッツはそれなりにホーソーンに競争心を燃やし、できれば自分で犯人を突き止めたいと思う。一方、警察は警察で捜査を行っていて、ホーソーンの介入を喜ばない。そんな設定で、「ホロヴィッツ」なる書き手の目を通してだが、事件の手がかりは全て示されているのである。そして、ある者(ホロヴィッツや警察や読者など)は往々にして間違うわけだが、ホーソーンは真相を見通している。そして真相が明かされれば、確かにこれほどフェアに書かれた本格的な犯人当て小説は近年珍しいと思う。

 今回は有力な離婚専門弁護士が殺害されたという事件である。殺害方法はワインのボトルで殴られた後で、割れた瓶で刺されたという珍しい方法だった。さらに現場には「182」というペンキで描かれた数字があった。今どき「ダイイング・メッセージ」かと思うと、これは犯人によるものらしい。そんな現場なのでホーソーンが呼ばれたのである。被害者は同性婚をしていたが、相手は留守だった。ちなみに何故かホーソーンは同性愛を嫌っている。

 最近担当した事件では、夫側の弁護士だったので、妻側には憎まれていたようだ。その妻というのが、日本人のフェミニスト作家、アキラ・アンノなのである。そしてアンノは最近レストランでたまたまその弁護士に会って、ワインをぶっかけてボトルで殴りたいと言っていたとか。このアキラ・アンノは「俳句」(3行英語詩)も書いていて、何とその「182」は「君が息 耳にぞ告ぐる 裁きは死」というものだった。「アキラ」が女性だという設定は日本人には「?」だが、芭蕉の名が出てくるなど、俳句が重要な役割を持つミステリーである。

 夫側も妻側もなかなかユニークというか強烈な人物で、怪しげではある。ところが、もちろんそれでは終わらず、被害者には過去の因縁もあることが判ってくる。被害者は大学時代の友人たち2人と「ケイビング」(鍾乳洞探検)を趣味にしていたが、数年前に一人が亡くなる事故が起こったのだ。そして、この弁護士が殺される前日に、残ったもう一人のメンバーがロンドンの駅で列車に轢かれて死んでいたことが判る。これも殺人だったのか、それとも自殺か単なる事故か。ホーソーンとホロヴィッツは、その友人宅や鍾乳洞をヨークシャーまで訪ねてみる。

 このヨークシャー(イングランド東北部)の風景描写も美しい。登場人物がミステリーの通例により、ウソをついたり謎を秘めているので、どうも殺伐とする。しかも、警察の担当がえげつなく、さらにホーソーンの抱える謎が深すぎる。事件以外の問題に気を取られてしまうと真相を見失うことになる。事件の性格は前作の方がスケールが大きく、真相の驚きも深かった。今回はアキラ・アンノなる日本人女性作家の描き方がやり過ぎで、全体に共感がしにくい。真相の驚きも前作ほどではないが、それでもフェアな描写に解明の鍵が隠されていたことに感嘆した。
(アンソニー・ホロヴィッツ)
 アンソニー・ホロヴィッツ(1955~)は少年向けスパイ小説などで有名になり、テレビの「名探偵ポワロ」の全脚本を手掛けた。またシャーロック・ホームズや007の公認続編を書くなど、長いキャリアを持っている。しかし本格ミステリー作家として評価されたのは最近のことで、今までの鬱憤(子ども向けとかテレビ作家とかで低く見られがち)を晴らすような描写が随所にある。ただ、それらも意図的なミスリードをねらっているものなので、うっかりテレビ界の内幕やホーソーン個人に興味を持ちすぎると本筋を見失う。やはり巧みな小説にうなるしかない。
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深緑野分「戦場のコックたち」を読む

2020年01月30日 22時46分21秒 | 〃 (ミステリー)
 2015年に刊行されて直木賞、本屋大賞の候補にもなった深緑野分戦場のコックたち」(創元推理文庫)を読んだ。2019年8月に文庫化され、単行本が評判になったから買ってみたものの、500ページを越える長さにビックリして放っておいた。創元推理文庫に入っているように、この本は「ミステリー」とされている。2015年の「このミステリーがすごい!」第3位を初め、ミステリーベストテンに選ばれている。

 この本は普通の意味のミステリーとはとても違っている。「戦場における日常の謎」を描くという、今まで誰も書いてない小説である。「日常の謎」ミステリーは、北村薫以後多くの作家により書かれてきた。殺人事件が起こって犯人を捜すという昔風の「探偵小説」と違って、毎日の暮らしの中で起きる「小さな疑問」、それらを心理的な謎も含めて解き明かすというタイプの小説である。

 しかし戦場、特にこの小説で舞台になっている第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、ノルマンディー上陸作戦以後の米軍とナチスドイツとの戦いにおいては、毎日毎日兵士がどんどん死んでいる。飛んでくる銃弾に当たるかどうかは偶然で決まる。それはもちろん「殺人」だが、「犯人」は「敵兵の誰か」であって、追求のしようがない。そんな死がありふれた世界で、「日常の謎」、具体的には「何故かパラシュートを集めている兵士がいるが理由はなんだろう」とか「倉庫から粉末卵600箱が盗まれた事件の犯人と理由は何か」とか、小さな謎が一体どういう意味があるのだろうか。

 著者は初めて読む作家だが、「ふかみどり・のわき」と読む。1983年生まれの日本人女性作家。2010年短編集「オーブランの少女」(創元推理文庫)でデビュー。2019年の「ベルリンは晴れているか」も高く評価され直木賞候補になった。読んでないけど、それも第二次大戦下のヨーロッパが舞台だ。なんで今どきの若い日本人、それも女性が、遠くヨーロッパで起きた戦場の小説を書くんだろうか。もちろん小説は誰がどんな話を書いてもいいけど、読んでみると戦闘経過だけでなく、装備品や糧食なども詳しく調査して違和感なく書かれている。というか、普通に読むときは詳しすぎるだろう。
(深緑野分氏)
 プロローグ、エピローグに挟まれた全5章で構成されている。一つ一つの章は100ページぐらいあって、とにかく細かい。「コックたち」と題名にあるが、確かに戦場で食事を作るけれど、普段はともに銃を持って戦う兵隊である。語り手は南部出身の新兵ティム(ティモシー)で、一番若いから「キッド」と呼ばれている。身分的には「特技兵」というのになって、少し待遇もいいらしい。しかし一般の兵士からは下に見られている。まずはノルマンディーにパラシュートで落下するところから始まるが、あまりに詳しいので困惑してしまう。長くて長くて、ちょっと読み始めたのを後悔するぐらい。

 しかし次第にティムの仲間たちに親しみを覚えてくる。10代で経験も薄いティムがだんだん兵士としても人間としても視野を広げてゆく。特に年長のエドが「ホームズ役」となって謎を解き明かすが、その生い立ちも判ってくるとグンと世界が深みを増して見えてくる。そして、第4章、第5章と驚くような展開があり、ミステリーというより「成長小説」の側面が強くなる。ドイツ軍との死闘はやがて連合軍優位で推移し、ティムも驚くような行動を見せるようになる。

 そして最後の最後になって、読者はやっと著者の企みに気づくことになる。戦争は終わり、生き残ったものは故郷に帰る。感動的なエピローグを読んで、小説というよりも、この戦争に関わった兵士たちの人生を考えることになる。1989年、ベルリンの壁崩壊後のベルリンのマクドナルドで、もう若くはないティムたち4人が再会する。そしてそのとき、ティムたちが戦場で取った行動の意味が初めて判るのである。ティムの人生そのものも含め、この小説に張りめぐらされた伏線がようやく深い感動の中で理解できるのだ。ミステリーだから細かな筋は明かせない。ただ読もうと思った人は途中でめげずにラストまで頑張って欲しい。かつてない深い感動が待っている。

 今でも第二次世界大戦を振り返る意味がどこにあるのか。なんで戦争を知らない若い日本人がアメリカ人兵士の世界を描くのか。それも何故コックたちなのか。それはラスト近くのユダヤ人収容所解放のシーンを読んで、僕には完全に納得できた。それぐらい衝撃的で深く考えさせられる。だからこそラストで判るティムの戦後の生き方に深い感動を覚えた。まあそこまでたどり着くのが大変過ぎたけど。
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