尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

温泉好きになるまで-温泉の話①

2017年01月27日 19時52分08秒 |  〃 (温泉)
 僕は映画を8000本以上見ている。日本百名山のうち、ちょうど半分の50座に登っている。数の評価はともかくとして、行ったことがある温泉は約400である。これは僕の気持ちとしては、非常に少ない。もっと増やせるはずだったけど、最近は同じ温泉、同じ宿に泊まることも多くなってきたので、なかなか増えない。特に北陸、山陰、北九州が抜け落ちが多くて、どうも日本全体の温泉を論じにくい。

 だけど、温泉の話を数回続けて書きたいと思う。きっかけとなったのは、年末に四万温泉に行ったこと、石川理夫「本物の名湯ベスト100」(講談社現代新書)を読んだことだけど、もう一つある。それは自民・維新による「IR法」(カジノ解禁法)の強行採決である。それ以来、日本における「リゾート」の歴史や今後を考えているのである。そうすると、日本では「統合的リゾート」の中心は「温泉」じゃないかという思いが強くなってきたわけである。

 そして、温泉というものを考え始めると、それは日本論、あるいは教育論につながっていくことになる。そこらへんはおいおい書いていくとして、まず最初に自分が温泉ファンになるまでのことを書いてみたい。僕が自覚的にたくさん温泉を訪ねるようになったのは、30を過ぎたころからだと思う。それまでも家族や職場などの旅行で温泉に泊まったことはある。一番最初の温泉がどこかは覚えてないけど、家族で行った日光・鬼怒川、あるいは伊豆のどこかだろう。

 でも、その時は「温泉に入った」という意識がなかった。旅館にある「大きな風呂」に入ったという気持ちしかないわけである。旅行の楽しみは、お風呂ではなくてゲームコーナーである。子どもはそんなものだろう。大体、人生に疲れているわけでもなし、湯に浸かって「癒し」を感じるという年頃ではない。連れてこられた大きな旅館で、大きなお風呂に入っていただけである。

 でも、あのころは世の中も大体そんなものだった。日本の経済復興とともに、「観光ブーム」が訪れる。東京に近い伊豆・箱根などは大ブームとなる。そういうことは当時の映画にかなり出ている。獅子文六原作の「箱根山」(川島雄三監督)を見ると、当時小田急(+東急)系と西武系で争われた「箱根山戦争」が描かれている。(ちなみに、伊豆下田でロープウェイに乗ったら、東急の総帥だった五島慶太について「五島慶太は永遠に伊豆で生きている」と大きく書いてあってビックリした。)小津監督の「東京物語」に出てくる熱海の旅館を思い出しても判るだろう。

 旅館、ホテルはどんどん大きくなり、お風呂も大きくなった。そうなると、限られた源泉をうまく利用するために、「循環」方式が発明される。温泉旅館は団体旅行で行くのが当たり前になり、大騒ぎしてくる。お風呂は泉質よりも、大きければ受けるということになってしまった。そして、バブル時代が来て、お金をかけてピカピカの大御殿のような、まるでトランプタワーのような大旅館がたくさん作られた。そして、バブル崩壊とともに、大体つぶれてしまったわけである。

 僕が最初に一人旅をしたのは高校生の時で、中国地方をぐるっと回った。その時点では山や温泉ではなく、倉敷や松江、津和野、萩などを訪れたのである。(まあ、広島の原爆資料館も見たかったんだけど。)大学時代は京都へ行ったし、その頃は「昔の街並み」にひかれていたんだと思う。(今も好きである。)大体、温泉旅館は当時一人旅をほとんど受け入れなかった。値段も高いし、温泉は年寄っぽいイメージだったのである。若いころはお金もないし、町のビジネスホテルに泊まって旅をするのが普通だった。温泉は眼中になかったのである。

 僕が温泉はいいなあと思ったのは、新婚旅行で南紀に行ったことが大きい。授業と部活の試合に縛られて、ほんの数日しか時間を確保できず国内しか行けなかった。そこで昔から行って見たかった南紀、そこで川湯温泉龍神温泉に泊まったのである。いやあ、とても良かったなあ。今ではその後行った湯の峰の方がいいと思うけど、川湯温泉も忘れてはいけない。そして、龍神。日本三美人の湯とされる名湯で、入ればこれは違うとすぐ判った。もちろん中里介山「大菩薩峠」に出てくるから行ったのである。

 その後、山登りによく行くようになった。日本の山は登り口がたいてい温泉だから、山の秘湯のような宿によく泊まる。これがまたいい。泉質がいいと、確かに翌日以後に足が痛くなったりしない。だいぶ軽減される。自分の体調や山のコースにもよるけど、多分温泉も良かったんじゃないかと思えるのである。北海道の大雪山を縦走した時は、層雲峡温泉から登って山中で5泊、トムラウシに登って天人峡温泉に下りて泊まった。この下りはすごく大変だったけど、温泉で回復したなあと思う。

 30過ぎて車を買ったら、北海道や東北の山へよく行くようになり、それで温泉をもっとたくさん知るようになった。山の秘湯も行くけど、少しは余裕もできて、もっと高い宿にも泊まることもあった。高いから必ずいいわけでもなく、泉質だけから見ると小さくてもいい宿はいっぱいある。まあ、部屋は値段に比例しやすいけど、温泉そのものはそうでもない。そんなことが判るようになった。そして、体も温泉が判るようになってきた。年齢に比例して、疲れやすくなると、良い温泉が体にもたらす癒し効果が実感できるわけである。こうして、温泉についてかなり語れる体験を積んできたのである。

 教員は夏に長期休暇を取りやすいから、夏によく北海道や東北へ行った。そればかりではなんだなあと思って、九州や四国へ行った年もある。九州では霧島や阿蘇、四国では石鎚、剣に登りながら、周辺の温泉に入ってきた。でも、正直あまりの暑さにゲンナリした。西日本の夏は半端なく毎日猛暑なのである。ということで、実はまだ別府も湯布院も知らない。これでは日本の温泉論を語れないけれど、温泉ベストを選びたいのではなく、温泉を切り口に日本を考えたいのである。
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四万温泉への旅行

2016年12月22日 23時45分28秒 |  〃 (温泉)
 群馬県の四万温泉に旅行してきた。群馬県にはしばらく個人で行ってなかったけど、実は前にずいぶん行ってる。四万温泉は特に大好きで、泉質もいいし、街歩きもいい。有名な「元禄風呂」がある積善館は素晴らしかった。「四万たむら」や「四万やまぐち館」も行ってるので、しばらくご無沙汰していた。久しぶりに行ったけど、やっぱりいいなあ。今月出た石川理夫「本物の名湯ベスト100」(講談社現代新書)では9位に選ばれている。でも、僕はトップの草津温泉より好きで、関東圏随一と思ってる。

 今回行ったのは「花の坊」というところで、温泉街の中心からはちょっと離れてる。年末の休日だから客は少ないだろうなと思ってたけど、他には誰もいなかった。たまにそういう時もあったけど、源泉かけ流し(だと思う)の広い湯を独り占めして申し訳ないような感じ。風呂の周りは畳敷きで、風呂の底は石が敷き詰められている。滑らなくていい。飲泉所もあって、4万の病に効くという名湯を飲める。

 宿の写真はあまり撮らなかった。着いた時はノンビリ気分で忘れてるし、チェックアウト後は何しろ客一組なのでずっと見送ってくれるから、すぐ出てしまった。(レンタカーで行った。)特に何をしようということもない「ノンビリ湯治」だから、いっぱい寝て元気回復。天候は年末とも思えぬ暖かさ。2日目はまず奥の日向見(ひなたみ)地区で、国指定重要文化財の日向見薬師堂を見る。何度か見ているのに忘れてる。1598年に真田信幸の武運長久のため建てられた、群馬県最古の建築物
   
 上の2枚目の写真を見ると、建物が二つある。奥の方が薬師堂で、その手前は「御籠(おこもり)堂」。薬師堂建造16年後に作られ、参拝する人が籠って祈りを捧げた。4枚目の写真は、薬師堂真ん前にある共同浴場「御夢想の湯」。無料なので入ってみた。小さくて熱いけど、源泉そのまま。その後町中に行って、河原の駐車場に停めて町歩き。新湯川沿いに「たむら」や「積善館」がある。下の写真は積善館の本館。下が元禄風呂だと思う。「たむら」の方に入っていくと、「落合通り」という「昭和レトロ」ムードの小路があって、今でもスマートボールなどの店がある。
  
 車が通る「四万中央通り」を歩くと、「塩の湯飲泉所」。他に何か所も飲泉所や足湯がある。飲泉できるところは、湯量も効能も確かな名湯である。町を歩くと古そうなお店がいっぱいある。昔の写真を貼っているお店があった。近づいてみると、なんと戦時中に東条英機が来た時のもの。ガソリン節約のため木炭製造奨励の視察で積善館に泊まったとか。(下の3枚目の写真、左上にあるもの。)
   
 1日目になるけど、四万温泉に行く途中の「四万甌穴群」を見た。甌穴(おうけつ)とは、川の水が渦巻き状になり石が川底をこすったため、岩盤が侵食された穴。川の流れのすぐそばまで近寄れるので、一見の価値あり。車で行くと、つい歩かなくなるので、川とか滝とかは努めて寄ることにしている。川の水がなんでこんなに澄んでいるのかと思うほど、キレイ。上流には温泉街とダムがあるのだが。
   
 今回は是非行きたい食事処があった。前橋の「そばひろ」という店。前から時々行っていて、大好きな店。通ぶらず、美味しいそばを出す。つゆに使う醤油に安中の有田屋を使っている。湯浅次郎という明治期のキリスト教社会運動家の実家である。安中は新島襄の出身地でキリスト教が盛んだった。湯浅は県会議長として群馬を廃娼県にする主導役となった。子どもの湯浅八郎は同志社総長となった。有田屋は今もホンモノにこだわる醤油を作り続けている。そこのホームページで知った店。田舎そばがおいしかったが、なんと「下仁田ネギの天ぷら」があった。カレー塩に付けて食べると絶品。
  
 場所は前橋インターを降りて、国道を直進してNHKの手前で産業道路を左折。道なりに行って、前橋マーキュリーホテルの向こう側。ホテルが目印になって探しやすい。2日目は水沢うどんに行くはずが、時間がなくて中之条の道の駅「霊山たけやま」で「けやき」という店のそば。さて、僕は冬に群馬や長野に行くことが多い。それは下仁田ネギが買いたいのである。太くて鍋などに煮込むとトロトロして素晴らしくうまい。大量に安く買うためには群馬周辺に行くしかない。ところが今回はなかなか道の駅を巡っても置いてない。「道の駅こもち」近くの「ぐんま村の駅」でやっと見つけたのであった。
 
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鬼怒川温泉と日光杉並木

2016年12月01日 23時07分23秒 |  〃 (温泉)
 鬼怒川温泉に泊まりに行った。翌日に歩いた今市のことから。今まで百回ぐらいは日光や奥日光に行ってると思う。東武鉄道で行くと、鬼怒川温泉行きと日光行きが下今市(しもいまいち)という駅で分かれる。車で行くときも通るし、日塩もみじラインに行く場合は今市で下りる。だから「今市」という場所を百回ぐらい通っているわけである。今は「平成の大合併」で、今市も鬼怒川も「日光市」になった。

 今回は二日目は日光へ行くつもりだったけど、先週雪も降って寒そう。では、一度も行ってない今市を歩いてみようかと思った。最近「道の駅」ができたというし。「道の駅」はドライバー向け施設だから、よく町はずれにあるもんだけど、調べてみると駅から徒歩5分にある。ということで、2日目は今市散歩。

 発見がいろいろあったけど、まずは「日光杉並木」。駅から5分で「道の駅日光」、そこから10分ほど歩くと「杉並木公園」。東武日光線の車窓から杉並木と公園の水車が見えてくる。一度歩いてみたいもんだと、以前から思っていた。日光杉並木は名前は有名だし、車で通ったこともある。でも詳しくは知らなかった。今回調べたら、「特別史跡」と「特別天然記念物」に両方指定されている唯一のもので、日光街道だけでなく、日光例幣使街道会津西街道にも残っている。
   
 杉並木公園入口からしばらく、気持ちの良い道が続いている。けっこう長いけど、実にいい散歩道。並木道の脇の「杉並木公園」には水車がいっぱいあった。土手はコケがいっぱい。公園入り口近くには、「朝鮮通信使今市客館跡」の碑があった。朝鮮通信使は3回ほど、日光社参を行っているそうで、その際幕府は今市に豪華な客館を築いたんだという。
   
 ずっと歩いていくと、蕎麦屋「報徳庵」がある。その建物は「報徳仕法」で作られたものを移築したという。二宮尊徳様式である。手打ちそばで昼食。唯一動いていた大きな水車もここ。公園入口の向かいに「瀧尾神社」がある。日光の霊山から降りてくる「霊風」を受け止める神社だそうで、説明を読んでビックリ。霊風があるんだ。神社には「風車」に願い事を書いて飾るしきたり。
   
 「道の駅」近くに「報徳二宮神社」がある。報徳っていうのは、二宮尊徳の思想。尊徳は小田原生まれだけど、下野国でも活動したから、ここらに神社があるのかなと思ったら、なんと二宮尊徳の墓があると書いてある。えっ、墓があるんだ。説明を読むと、今市で死んでいるのである。1856年のことで、今年は没後160年にあたる。生まれたのは1787年。あまり関心がないので、今まで何度もここらに来ていながら、没地が今市とは知らなかった。遺言では墓は作るなとあったらしいが、結局門人と妻が作ってしまったという。墓の近くに大人の尊徳像、神社の方には二宮金次郎の像があった。いかにも二宮神社。
   
 神社には「宝物庫」もあったけど、もう誰も見ない感じの建物だった。この辺りは「大谷石」(おおやいし)の蔵がよくあるが、神社の境内にも大きな蔵があった。「道の駅」に戻ると、文化勲章受章の船村徹記念館もある。「王将」や「矢切の渡し」なんかの作曲家だけど、まあ入らない。今市の祭りの山車(だし)も置いてあって、これは立派なものだった。お土産もたいそう充実していた。これからよく行きそう。
    
 宿泊は鬼怒川温泉。職場旅行では何度も行ってるが、夫婦で行くのは初めて。鬼怒川温泉ホテルの85周年記念の安い優待券があったから、一度ぐらい行ってもいいかな。ここには観光、プラザ、ロイヤル、国際…など鬼怒川〇〇ホテルという大旅館が林立している。鬼怒川温泉ホテルは85年前に日光金谷ホテル系列で開業したところ。それは知らなかったから初めて行ったんだと思う。館内には昔の写真やクリスマスのサンタ人形なんかがいっぱい。お風呂は大きいけど、塩素臭のある循環で残念。石窯バイキングの食事は、今までになく豪華な感じで満足できたけど。
   
 お昼過ぎに着いたから、温泉街を散歩でもするかと歩き出した。下流に行くと、吊り橋がある。楽勝楽勝と渡り始めたが、途中で揺れると怖いではないか。高いのはいいけど、揺れるのは苦手なのである。何とか渡り終えると、さすがに迫力がある。ちょっと階段を上ると、全景が見える。
    
 その展望台から左に行けば滝、右に登れば楯岩展望台とある。先につい下って滝を見に行ったら、ちゃっちいのでガッカリ。戻って頑張って展望台に行くことにする。そうすると、トンネルがあって、抜けると広場がある。そこから大変な急登の階段があった。この急さ、狭さは登山並み。よっぽどやめようかと思ったんだけど、せっかくだから頑張るかと登り切ったら、そこには絶景があった。タダで行けて運動になる楯岩展望台は穴場的なスポットかな。
  
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長野・中の湯温泉の「湯力」

2016年07月28日 23時07分30秒 |  〃 (温泉)
 26日から一泊で、長野県の上高地の近くにある「中の湯温泉旅館」に行ってきた。いやあ、良かったなあ。なにより「本物の温泉」の力。信州の温泉の中でも、「湯力」が高いのではないか。しばらく、なんとなく調子が出なかったのだが、温泉につかって、涼しい宿でぐっすり寝たら、すっかり快調になった。まさか、まだ梅雨明けもしてないとは、まったく想定していなかったけど、やっぱり温泉はいいな。

 なんで今の時期に行ったかというと、7月いっぱいまで有効の割引クーポンを持っていたから。ずっと忘れていて、7月になって突如「再発見」したのである。やっぱり時々整理はしないといけない。「中の湯」は昔から、山好きには知られた温泉で、特に焼岳の登山口として有名である。いつか行きたいと思いながら、安房トンネル工事で閉めてしまい、その後山の上の方に移転した。それからも20年近くたっていると思うが、ようやく行く機会ができたわけである。焼岳は登らないけど。

 車で行こうと思って、近くのレンタカー店で軽を借りた。たまに車を運転したいし、家から荷物を載せていけるから山へ行くときは便利。でも、この日は関東から長野にかけて大雨で、高速もスピードが出ていない。東北道、圏央道、関越道、上信越道、長野道と移り変わりながら、のんびりと休み休み行ってたら時間がかかってしまった。軽井沢あたりは、大雨でまったく何も見えず。サービスエリアでもトイレに駆けていく以外に体を動かせない。どうなるんだと思ったら、松本近くになって止んできた。

 「中の湯」はまず上高地へ向けてまっすぐ行く。2年前に行ってるから、大体覚えている。松本インターからまっすぐ一本道だから迷うことがない。途中で「道の駅 風穴の里」があるが、そこの話は帰りにまた。上高地はマイカー規制で入れないが、ギリギリの場所まで行って安房トンネルの方へ曲がり、トンネル直前で右に曲がって山を登る。この道しかないんだから、行けば着くだろうと思いつつ、ホントにこの道でいいんかなあと思うほど登ったら、突然大きな旅館が見えてきた。
 
 入るとロビーに案内されるが、山の中とは思えないほど広々としている。ロビーからは山は全然見えなかったが、翌日になると少し見えてきた。それでも雲がかかっている。温泉は夜10時に男女が変わる。家族風呂もあって空いてれば自由に入れる。ちょうど空いていたので、まず飛び込む。適度の湯音で、透明の湯があふれている。お湯に「重み」と多少の「匂い」がある。単純泉というが、成分はかなりある感じ。お湯自体に温浴効果があるわけだが、やはり山の秘湯というのは、成分の力で体に効くというのは、長いこと温泉を廻っていての実感だ。(温泉の写真は撮らず。)ちなみに、うちの奥さんが言うには、女風呂にスマホを持ち込んだ高校生ぐらいの姉妹がいたらしい。お風呂で「ポケモンGO」をしてたわけではないようだが。さすがにそれはアウトだろうとお冠。
   
 料理もおいしかった。鴨鍋に、サーモンのお造り、手打ちそばなどなど。またお風呂につかり、涼しくなってぐっすり眠る。翌日は何とか天気も持ちそうだったが、のんびりしたいから上高地へ行くのは止めた。行く人は旅館が観光バス乗り場まで送ってくれる。帰りは上高地入り口の「中の湯売店」で電話してくれれば迎えが来るとのこと。この売店のところに、有名な洞窟風呂「卜伝の湯」がある。塚原卜伝(ぼくでん)にちなむ湯だが、今回は時間がなくて入れなかった。また行って連泊したい温泉だ。

 ということで、翌日は安房トンネルを超えて、「平湯大滝公園」に行ってみる。岐阜県まで個人で足を延ばすのは2回目。滝と鍾乳洞が大好きで、ずいぶん行ったものだが、ここは初めて。駐車場は有料だし、そこから結構歩くが、まあ一度は見る価値はある滝だと思う。落差64mで、相当の迫力がある。シャトルバス100円が待ってて、つい乗ってしまう。降りた場所近くで撮ったのが以下の写真。
  
 そこから200mほど歩くともっと近づける。だけど、滝壺にはいけない。しぶきがものすごく危険だろうが。帰りは歩いて戻った。バスは待ってないし、下りだから案外早いではないか。戻るとトイレを利用するためにお土産売り場に入る。特に買う気もなかったのだが、マツコ・デラックス大絶賛という「飛騨清見ソース」(470円)というのに気が引かれて、妻が買ってみる。なかなか美味しいです。どこにも名物があって、つい買っちゃうのも、夫婦で温泉を訪ねるときの旅情ですよね。
  
 そのあとは戻ることにして、再び休み休み。最初が「道の駅 風穴の里」。前にも行ってるけど、名前の由来「風穴」(ふうけつ)を見てない。風穴というのは、山から冷気が噴き出すスポットのような場所で、地形の関係で岩と岩の間のような場所から、夏でも10度以下の風が出ている。昔から「天然の冷蔵庫」として利用され、今も酒造会社などで利用している。歴史的には、養蚕業で蚕の卵を保存する場所として利用された場所が多い。ここもそうだった。道の駅から歩いて15分近くもある。案外遠いんだけど、いやあ、ビックリの寒さで驚くほど。見てみる価値がある。
   
 近くに無料の「松本安曇資料館」という郷土資料館があった。こういうところもよく行く。昔の農機具などが並んでいるだけみたいなところが多いけど、それも大事な地域の遺産だし、誰もいないだろうから行ってみようかと思う。そうやって、ずいぶん各地の資料館を見ている。ここはここで生まれた版画家加藤大道の版画作品や、昔の山岳写真など見どころも多かった。道の駅に戻って、のんびり休む。フルーツがいっぱいあって、冷やして売っている。ブルーベリーとネクタリン、そしてわさびコロッケを買って、外にあるデッキで食べた。やっぱり急ぐだけでなく、こういうのも旅行の楽しみだな。地のフルーツとB級グルメ。まあ、その後も眠くなれば休んで、トイレ休憩もいっぱい取り、ついお土産も買ったりしながら、帰ってきた次第。(僕の場合、甘いものもお酒も好きではあるけれど、何も高速のサービスエリアで買わなくてもいい。それなのに、お煎餅でおいしそうなのがあると、つい買っちゃうのは、どうしてなんだろう。)
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信州の温泉の思い出

2015年12月05日 23時55分57秒 |  〃 (温泉)
 函館旅行の後で、北海道の山と温泉の話を書いたので、今度は信州の温泉の話をちょっと。山の話はなし。そりゃあ、まあ穂高や乗鞍ぐらいは行ってるけど、実はあまり北アルプスに登ってないのである。何でかというと、縦走が主になるから車で行くのが面倒なのである。東北の方の「車で行って、登って下りると温泉」みたいなところのほうが好きなんだなあ。

 信州には素晴らしい温泉街を持つところがあるが、それより僕にとってベスト級の「山の秘湯」がある。それは「中房温泉」と「高峰温泉」である。中房温泉は、北アルプスの燕岳(つばくろ)の登り口1400mの地点にある一軒宿。夏に行くと、涼しくて気持ちがいい。とにかく泉質が素晴らしくて、お風呂もありすぎるぐらいある。至福である。冷たい水に胡瓜が冷やしてあって、味噌もあってご自由になどとある。裏の方の山に登ると、一番上で自分で食べ物を焼いて食べられる。地熱で蒸すのである。卵や肉なんかをフロントで売っている。この温泉の素晴らしさは言葉では表現できない。

 高峰温泉は小諸から浅間山の方にどんどん登って行き、2000mの高度にある温泉。日本屈指の高所温泉だろう。ここも温泉が素晴らしい。特に露天風呂は日本最高の展望と言っていい。食事などもいいけど、その後に星の観察会や野生動物の観察も楽しい。星空の素晴らしさは秘湯の楽しみの一つで、中房温泉も素晴らしかったけど、高峰温泉では宿で天体望遠鏡を持っている。野生のタヌキの餌つけもしていて、それも面白い。充実した宿だけど、人気でなかなか取れない。

 秘湯系では、これも人気で予約が取れない仙仁温泉などは行ってない。猿の入浴で有名な地獄谷温泉なんかも。もっと大きな温泉では、僕がよく行くのは、別所温泉。付近の文化財が素晴らしく、国宝、重文めぐりが楽しい。上田から電車でも行けるのもいい。窪島誠一郎さんが作った信濃デッサン館、その後作った戦没画学生追悼の「無言館」も何回か行っている。特に宿は決め手がなく、だから5つぐらい別の旅館に泊まっている。(高いけど「花屋」が一番かなと思う。)近くの沓掛温泉霊泉寺温泉鹿教湯(かけゆ)温泉などに泊ったこともある。この地域は秋にはマツタケが出るところで、沓掛温泉で秘湯の会に入っている「おもとや」で松茸コースで泊ったのは、思い出。あんなにマツタケ贅沢をすることも二度とないだろうなあ。「信州の鎌倉」と言われる別所は一度は行くべき温泉。

 温泉街といえば、北信の「湯田中・渋温泉郷」はすごい。特に、渋温泉の「歴史の宿・金具屋」は有名。外見もすごいし、ローマ風呂の写真もよく見る。実際に泊ってみると、安い部屋は高いところでエレベーターはないから大変で、料理もちょっと濃い味かなあなどと思ったりもした。でも、ここは外湯めぐりが名物で、それは是非体験しておきたい「日本遺産」のようなものだと思う。湯田中温泉の「よろづや」なども有名だが僕はまだ泊ってない。この温泉郷には他にもいろいろあるが、上林温泉の「仙壽閣」という長野電鉄がやってる旅館は、高いんだけど、お湯がすごい。ここほど豪勢にお湯がまさに滝のように出ている(風呂の壁からまさに滝となってごうごうと流れ落ちている)のは、ちょっと他にない。
 
 野沢温泉も素晴らしい温泉で、僕が泊った「さかや」のお風呂も有名。他にも信州にはいっぱいあるが、松本の浅間温泉は行ってない。近くの美ヶ原温泉は行ってるけど。そこから上高地、乗鞍の方に行くと有名な温泉がいろいろある。例えば、「大菩薩峠」に龍神温泉(和歌山)とともに印象的に登場する「白骨(しらほね)温泉」。「湯元斎藤旅館」に泊っている。乗鞍高原温泉もあるし、奈川温泉は透明な湯が素晴らしい。「中の湯」に行ってないのが残念。下の写真は「さかや」。

 もっと北に行くと、小谷(おたり)温泉があり、湯元の山田旅館に行ってるが、いやあお湯が熱い。信州の真ん中あたりには諏訪湖の周囲にいっぱいある。上諏訪温泉下諏訪温泉で、どちらも行ってるが、ここで一番は立ち寄り湯の「片倉館」だろう。製糸女工のために作られた千人風呂がある。ここも一度は行きたいところ。国の重要文化財に指定されている。ところで、下諏訪からちょっと行ったところに「毒沢鉱泉 神乃湯」という日本で一番すごい名前の温泉宿がある。行ってみると判るけど、確かに「毒」であり「神」である。湯量の少ない鉱泉(低温泉)なので、加熱循環であるが、確かに泉質は素晴らしい(と思う。)ここほど「飲んでまずい」温泉も珍しいけど、ここに連泊した冬は風邪をひかなかった。湯が似たような感じなのは、佐久の「初谷(しょや)温泉」。ここも飲むとまずい源泉を温めている。どっちも秘湯の会に入っている宿。

 南信の方は行ってないし、最近出たお湯が多い。でも、各地に鉱泉宿のようなものはいっぱいあるようだ。昔、木曽の方を旅行した時に「灰沢鉱泉」というほとんど知られていない宿に泊ったことがある。料理もおいしいし、とても満足したけど、夏休み期間というのに僕ら夫婦しか泊ってない感じだった。古びた建物に誰もいないのも、ムードというかちょっと怖いものである。志賀高原や高山温泉郷と言ってる奥山田温泉、五色温泉など、あるいは新潟の方から行く秋山郷など、また泊ってないところも多い。秘湯を回っていると、今回行った戸倉上山田温泉は後回しになったけど、書いたようにお湯の出方は素晴らしかった。温泉は何と言っても、まずお湯である。中房温泉や高峰温泉にまた行ってみたいなあ。
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姨捨と五稜郭-信州旅行②

2015年12月03日 23時15分52秒 |  〃 (温泉)
 2か月ほど前に函館に旅行したが、函館といえば「夜景」と「五稜郭」だろう。ということで、今回の長野県でも「夜景」と「五稜郭」に行ってみようかと思った。「夜景」は「姨捨」(おばすて)である。戸倉上山田温泉から車で少し行くとJRの「姨捨駅」(篠ノ井線)がある。また、その近くに高速道路の姨捨サービスエリアがある。そう言えば、昔車で寄ったことがあり、展望もいいし、伝説の里だと書いてあった。

 さて、ガイド本を読むと、姨捨駅や近所の長楽寺が観光の拠点で、そこらへんが「さらしなの里」と言われ、棚田が有名とある。不勉強なことに謡曲にある伝説などといわれても、よく判らない。とりあえず温泉を通り過ぎ、駅を見つけてみるか。ちょっと棚田に入り込んで苦労したが、駅近くに駐車場があるのに気付かず、下って長楽寺へ。そこが棚田を持っていて、棚田に張られた水に月が映る「田毎の月(たごとのつき)」には西行が来て、芭蕉が来た。名月の里で、名勝「姨捨(田毎の月)」重要文化的景観「姨捨の棚田」に指定されている。はあ、そうですか、不勉強で、よく知らなかった。
   
 長楽寺にある「姨石(おばいし)」が最初の写真で、これも有名らしい。そこに登ったのが3枚目。そこからの眺めが4枚目。棚田が遠くに見えるが、今の時期だとよく判らない。寺の境内には、主に俳句の碑がいっぱいで、これだけ碑が並ぶ寺も少ないだろう。ここからは月を見るのがいいらしい。場所も判ったから、夜にもう一回来るぞと思ったんだけど、なんだか疲れていて、夕食時に地元の酒「姨捨正宗」を飲んでしまったので、今回はなし。また来て、夜景はその時に見に来よう。

 次の日に姨捨駅を再訪。ここはスイッチバックが見られる駅として有名だという。中へ入るには入場券がいるのかと思ったら、無人駅で自由に入れた。さらにホームの端から外に出られた。展望はさすがにいい。列車も来たから、スイッチバックはしてたけど、まあじっくり見て写真を撮るほどでもないのは、そこまで鉄道ファンではないわけ。ホームから降りて、姨捨公園に向かう。
   
 姨捨公園は長楽寺近くから案内があったけど、前日は行かなかった。むしろ駅から歩いて行くところだろう。大正時代に出来た公園で、「東宮」が来た碑(下の1枚目)があった。この東宮(皇太子)というのは昭和天皇のことだ。「東宮妃良子(ながこ)親王」の碑(下の2枚目)もあったが、これは昭和天皇の皇后のこと。ずいぶん昔の碑だ。ここも夜景の名所だという。「姨捨」の語源も諸説あるようだが、直接には「棄老」の話でもないようだ。楢山節がここかと思いかねないが、ここでは里山で簡単に降りて来てしまえる。「姨」も母ではないという。伯母さんだとか。「大和物語」以来いろいろな本にあるというけど、不勉強でよく知らないなあ。今回は棚田をちゃんと見てないので、今度また来よう。
  
 小諸でそばを食べようと思って、急いで出かけたが、ちょうど定休日だった。うーん、調べてくるんだった。結局、佐久まで来てしまってデニーズに入ったのはバカみたい。佐久に来たのは、佐久市の南部に「龍岡城」という城跡があるのである。JRの駅名にもなっている。そこは日本で二つしかない五稜郭である。えっ、函館の他に五稜郭があったのか。全然知らない人が多いでしょ。僕も最近知ったのである。もっともほとんど意味がない城だった。1863年に建設を始め、1866年にほぼ完成したという。作ったのは松平乗謨(のりかた)という大名だが、ここが本拠地ではない。三河に領地があり佐久は分領だったが、なぜかこっちに五稜郭を作った。この人物は三河の松平家の分家の一つ、大給(おぎゅう)家の殿様で、幕末に陸軍奉行、老中まで行ったので、幕末史に少し名が出てくる。外国の軍事に関心があったから、こういう星形城を作ったわけだけど、ここには五稜郭タワーがないから、ほんとに五角形かどうか判らない。案内図を見ると、以下の通り。
   
 桜の名所だというから、いつかまた来てみたい。松平乗謨(1838~1910)は、幕末にはまだ20代で、長い後半生がある。大給恒(おぎゅう・ゆずる)と改名し、赤十字の前身・博愛社の創設に貢献した他、賞勲局総裁として日本の勲章制度確立に功があった。1万6千石の小藩主だったから、本来は華族の等級で4番目の子爵だったが、伯爵に上った。銅像があったけど、写真は撮らなかった。その後、一般道を下仁田まで通って、下仁田ネギを買って帰った。これは煮物鍋物に抜群の太いネギで、関東の冬には欠かせない。時々年末に群馬、長野に行ったときに買ってくる。高速だと藤岡ハイウェイオアシスでいっぱい並んでると思うが、今回は道の駅下仁田で野菜を買って帰った。
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戸倉上山田温泉のフシギ-信州旅行①

2015年12月02日 23時53分17秒 |  〃 (温泉)
 11月30日から一泊で、長野県の戸倉上山田温泉に旅行。信州は関東近辺では群馬と並び有数の湯どころで、長い間にはそれなりに訪れているが、戸倉上山田温泉は初めて。どこにあるかというと、上田と長野の間あたり、千曲(ちくま)市である。千曲市と言ってもどこだと思うのだが、2003年に更埴市と戸倉町、上山田町が合併した。10年以上たっているけど、古い地名じゃないと判らない。今、書いたように地名としては、「戸倉」(とぐら)と「上山田」(かみやまだ)は違っているが、温泉は両町にまたがってずっと出ているから、並べて「戸倉上山田温泉」と言われる。

 信州には稀なる「歓楽街」があるという温泉で、大旅館が多い。開湯は明治末。有名温泉としては新しく、善光寺参りの団体客目当ての「近代的旅行」向きの温泉となった。今でも「芸妓」を呼べる温泉で、今まで部屋の案内に「コンパニオン」の料金が出ている宿は少しあったけど、芸者さんの料金が書いてあるところは珍しい。こういうところは、最近の温泉案内書にはあまり出ていない。信州には秘湯の名湯が多く、また野沢、湯田中・渋、別所、白骨など名だたる温泉郷があるので、戸倉上山田は抜かされてしまう。でも、湯量が豊富で多くの大旅館も大体が源泉掛け流しのうえ、温泉街にレトロな風情があるという話を聞いて、いずれ行きたいと思ってきたのである。

 まず、旅館のお風呂。1901年創業と一番早いという「亀屋本店」というところである。早めについて、貸し切り露天を取って(無料で一回利用のプラン)6階へ行く。無色透明だけど、はっきり硫黄臭があり、黒っぽい湯の花がかなりある。温度は源泉で46度で、お風呂では41,42度ぐらいだから、とても気持ちいい。湯量は豊富でどんどん流れていて、ザブンと入るとザアーっとあふれ出る。これが温泉の悦楽である。ついで御影石の大浴場へ。総檜の大浴場と朝晩で男女交代制。それぞれ露天が付いている。それが全部どんどん湯があふれている。しかも、誰も他の客に出会わない。いやあ、大きなお風呂を一人占めで、湯が流れ続ける。アルカリ性の湯で体にやさしく、温度も適温。いつまでも入っていられるような素晴らしいお湯である。下は大浴場と貸切り風呂の写真。
 
 ついで翌朝の檜風呂の大浴場を先に。こっちも素晴らしい。寝湯が別の湯ぶねになっている。露天は湯花が多いが、大風呂にあまりないのが不思議である。
 
 さて、風呂の後で、ちょっと寒いけど湯の街散歩。公共の湯もいっぱいあって、そのうちの一つ「かめ之湯」の無料券もプランについてる。近くの公園まで歩くと、足湯と飲泉所がある。温泉が飲めるというのも新鮮さのあかしで、非常にいい。街にはレトロ感あふれる商店街の看板がいっぱい。ただし、観光シーズンではない月曜日だから、休みが多いが、つぶれてしまったのかもしれない。でも、お土産屋なんかもそこそこ残っている。寒くなったから、あまりウロウロしなかったけど、ちょっとビックリは近くの山に「戸倉上山田温泉」の輝くネオン。まるで「ハリウッド」みたい。あそこは何だろう。そして「かめ之湯」に行くと、なんと暗くて閉まっているではないか。道にあった案内板は電気が点いてたんですけど…。休みという表示もない…。宿に戻って聞くと、なんと「月末休み」ということらしかった。
 
 上の2枚目の写真はなんだか判らないと思うが、山の上で光ってる建物がある。その前に赤い文字が輝いてるのだが、ズームして撮らなかったので読めないが、右から「戸倉上山田温泉」と輝いていたのである。そこは何だろうと、翌朝に車で道をひたすら上がっていくと…。「史跡公園」と出てるんだけど。カーナビには「日本歴史館」と謎の名前が出ている。行ってみたら、もうつぶれた「日本歴史館」なる建物が出てきた。そして、隣には大きな寺があり、「善光寺別院」とありここがライトアップされていたらしい。この「日本歴史館」を帰ってから検索してみると、「廃墟ファン」の訪れる一種の「廃墟遺跡」であるという。昔はロープウェイもあって、一大観光開発された時代もあったらしい。蒋介石やマッカーサーの銅像があるというから、ある種の「反共」的な感覚で作られた施設なんだと思う。今もライトアップされているから、完全な「廃墟」ではないという話もある。大きなネオン看板の裏に近づくことができるという不思議な場所で、展望は絶景。さらに上がると、「荒砥城」なる山城に施設が作られていて、大河ドラマのロケに使われたという。有料というから入らなかったけど、どうも謎の場所で、また一度探訪する必要がある気がする。何とも不思議な戸倉上山田温泉だが、こんなにお湯が気持ちのいい温泉も珍しいのは間違いない。下の1枚目の写真は、「田」のネオン看板の裏。2枚目の写真は別院の隣の建物の屋上(道から行ける。)3枚目は温泉街を望む。(他の場所は次回に。)
  
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北海道の素晴らしい山と温泉

2015年10月15日 22時46分43秒 |  〃 (温泉)
 函館旅行について何回か書いたけれど、北海道は前に何回も行っているので、番外編として少し思い出を書いておきたいと思う。一番行ってたのは90年代初期で、夏に車で山や秘湯を訪ね歩いた。ずいぶんいろいろ行っていて、「北海道三大秘湖」(オコタンペ湖、東雲湖、オンネトー)とか道北のパンケ沼ペンケ沼ウソタンナイ砂金公園なんかまで行っている。道東でも、霧多布湿原野付半島の美しさは印象的だった。北海道ドライブは、人生の最も楽しい思い出の相当上にある。

 そんな中でも一番素晴らしいのはどこかと言えば、ためらうことなく「礼文林道から見た利尻岳」だと言いたい。礼文林道というのは、礼文島(れぶん)にある道だけど、全島が低い丘に花咲き乱れているような礼文島の中でも、最も美しい道だと思う。そこから海を隔てて、利尻島の利尻岳がくっきりと浮かび上がっている。日本の山岳景観の中でも、ベスト級の圧倒的な風景である。ちょっとふさわしい写真が見つからなかったのだが、下の写真の最初が利尻島南部から見た利尻岳、次が礼文島。
 
 この利尻岳には1993年に登っている。当時も上の方はかなりガレていたが、今は途中にあった避難小屋もなくなって、相当登るのが大変だという。でも、「日本百名山最北の山」として、山好きには一度は登りたい山だろう。僕にはもうちょっと登るのは大変そうだけど、登り口を少し歩いた「甘露泉水」という「名水百選」に入っている水は、ものすごく美味しい水でもう一度飲んでみたいなあと思う。(名水百選もずいぶん飲んでいるが、岩手県の龍泉洞の水が一番好きで、利尻が二番。)

 でも、山と言えば大雪山山系がやはり北海道で一番すごい。黒岳ロープウェイから黒岳に登って、トムラウシまで縦走したのが最高の思い出。日本アルプスなら山小屋泊りで計画するが、北海道には小屋がないのでテントを持参した。食料をいっぱい詰め込むと重くて重くて大変だった。やっぱり本を持っていかないとダメなので、テントで岩波文庫の「カフカ短編集」を読んでいた。何となく、そんなことが忘れられないのである。北海道最高峰の旭岳(大雪山)やちょっと離れた十勝岳には別の機会に登っている。十勝岳では途中でキタキツネが出てきて、付かず離れず一緒に登頂したもんだ。どこかに写真があるんだけど、整理してないから見つけられないのが残念。

 大変だったのは、あまりにもアプローチが長かった上、ハエというかアブというかがずっとまつわりついてきた日高山脈の幌尻岳が一番。車を置いてから、登り口の避難小屋までが長かった。翌日に何とか登って下りて、車を運転して、その日の宿泊地、襟裳岬にたどり着いた。温泉ではないから、とにかく部屋で風呂に入ったら、靴や服の間からハエの死骸がいっぱい出てきてがく然とした。食事もおいしくて、ほんと生き返った気がしたものだ。百名山級ではなぜか登ってない羊蹄山(シリベシ山)を除いて、大体登ってるんだけど、知床の羅臼岳は、体調不良で途中の羅臼平でリタイアしたので登ったとは言えない。斜里岳はサンハウスの平野夫妻と一緒に旅行した時に登ったけど、行動は夫婦別。

 そういう旅行に時は、大体温泉宿に泊った。大きいところから小さな秘湯まで。然別湖(しかりべつこ)の奥にあって、しばらく休業していた菅野温泉もやってるうちに泊った(ここは昨年宿泊が再開された。)十勝の最奥にある幌加(ホロカ)温泉も素晴らしい野趣だった。北海道は観光シーズンが短く、観光地間の距離が長いから、団体旅行で大きな温泉に泊りながら移動することが多い。そのため、大きな温泉地には大観光ホテルが林立している。登別、洞爺湖、定山渓、湯の川(函館)、層雲峡、阿寒湖、川湯、十勝川、ウトロ(知床)、温根湯(おんねゆ)…などなど。どれも一度は泊ったけれど、確かに似たような感じの宿が多い。まあ、どこも普通に満足できるとも言える。登別温泉の第一滝本館なんかは、温泉も素晴らしいし(登別に出る7つの泉質が全部ある)、食事や部屋も満足できた。

 でも、思い出が深いのはやはり秘湯系。ベストは支笏湖畔の「丸駒温泉旅館」(下の写真)で、湖畔の露天風呂の気持ち良さは、高峰温泉や桜島の古里温泉の古里観光ホテルなどと並ぶ素晴らしさである。(古里観光ホテルは廃業してしまったようだが。)次に道南の「銀婚湯温泉」で、この名前は大正天皇の銀婚式に日に温泉が出たことで付いたというんだけど、気持ち良い湯が大量に出ている。行きにくい場所にあるけど、それも秘湯感を増している。それこそヒマとお金がある程度できたころの銀婚夫婦がよく来るらしいけど、そうでなくても一度は行きたいところである。まあ、どこも車がないと行きにくいんだけど。行ってないのは、ニセコの秘湯や大雪高原温泉、トムラウシ温泉など。やっぱり遠いので飛行機やフェリーで行くのも大変だから、しばらく北海道に行ってなかった。函館はまあ南の端っこみたいなところだが、また北海道に行きたくなってしまったので、つい思い出話を番外で書いた。
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上高地・乗鞍高原旅行

2014年09月03日 00時35分55秒 |  〃 (温泉)
 8月の半ば、暑い暑い日が続き、夫婦で日程が合う月末にどこかへ行きたいと考えた。初めは富山県利賀のSCOTの演劇祭に30数年ぶりに行こうかと思ったんだけど、結局休暇村乗鞍高原に連泊して上高地に行こうということになった。昔は山に登り、その後は秘湯を訪ね歩いたものだが、だんだん過ごしやすさに重きを置くようになってしまい、休暇村の会員になってよく利用している。「休暇村」というからダサい公共の宿っぽいけど、実際は低価格のリゾートホテルと言える。大きいから温泉が循環で、今回も何でこんなに塩素臭がするのかと思う。食事もバイキングが多く、美味しいものが多いけど、ついあれもこれもと食べ過ぎ、最後にアイスクリームなんかまで取り過ぎて後悔する。でも、部屋が広くてきれいで、放っておいてくれるから、居心地よくて気が楽なのである。

 しかし、月末近くになって突然気温が下がり、雨の日が続くようになった。これではどうもやっと涼しいとこへ行くぞというワクワク感が薄れてしまう。まあ、それは仕方ない。雨にならなきゃいいな。まず初日はさっさと行こうと高速にすぐ乗り、上信越道経由で松本で降り、どんどん乗鞍をめざす。上高地は1987年に穂高岳に登る時に泊って以来。乗鞍高原は昔、乗鞍岳に登る時に通っているけど、泊るの初めて。それはいつだか、10数年前か。どう行くんだか、もうすっかり忘れているけど、松本インターから一本で行きやすい。でも、乗鞍高原方面に行っても休暇村がどこにあるのか、どんどん行くと休暇村ゲレンデなどまで出てきて、宿泊施設の一番高いところにあったので、ビックリ。

 さすがに涼しいけど、せっかく早く着いたから近くを散歩。宿がもう乗鞍高原の散策路の中にあるような位置関係で、歩いてすぐそばに牛留池(うしとめいけ)がある。晴れていれば「逆さ乗鞍」が美しいというんだけど、山は雲って見えない。車いすでも行けるように木道が整備されている。池と白樺の木は大変美しかったが、山が一望できればどんなに素晴らしかっただろう。池を超えたところで、クルッと回った木を発見。これはすごい。(ペットボトルは、大きさを見るために置いたもの。)
   
 翌日はいつ降ってもおかしくない曇天だけど、上高地に出かける。途中の沢渡(さわんど)に車を止め、そこからシャトルバスに乗る。チケットは宿で買ってある。駐車場はいっぱいあるけど、宿で聞いたら一番手前に置いてバスに最初に乗る方がいう話で、なるほどと思って助言通りにした。上高地は9月になったとはいえ、バスが多い。大正池は昔見てるので、バスの終点まで乗ってまず河童橋へ。梓川が気持ちいいなあ。山の中で、川沿いにこんなに長く歩けるハイキングコースも珍しいのではないか。もっとも穂高が間近に見えるはずだけど、全く見えない。雲というか、山用語で「ガスってる」状態で、まあ雨が降ってないだけで良しとする。ホテルの売店を見たり、ビジターセンターに寄ったりしながら、上流をめざす。河童橋そのものは人が多いので写真省略。
   
 1時間ほど歩いて樹林風景にも飽きたころ、明神館が見えてくる。そこから明神橋を渡って、穂高神社奥宮がある。拝観料300円かかるけど、明神池があり、ここは絶対落とせないビューポイントだと思った。前に来た時は上高地温泉ホテルに泊まり涸沢まで登ったから、途中の明神池なんかは飛ばしている。今回初めて見て、すごく良かった。一ノ池と二ノ池があるけど、なんだかつながっている感じがする。でも入ってすぐの広々した一ノ池と、天然の日本庭園と表現するしかない二ノ池は好対照で面白い。そばに「嘉門次小屋」があり、ここで食事。安いし、風情があって面白い。高級ホテルは高すぎるけど、ここなら安い。写真は前の2枚が一ノ池、後の2枚が二ノ池。小屋や神社も撮ったけど、やはり池の方がいい。写真もどうも納得できず、本物の方がずっといい。
    
 その後、雨が降ってきて次第に本格的になっていった。ひたすらバスターミナルをめざし歩く。雨の岳沢湿原も美しいけど、雨が激しくなる。ウエストン碑や帝国ホテルのあたりまで行こうと思っていたけど無理。帰りのどこか温泉に立ち寄りしようと思っていたけど、それもやめてひたすら宿に戻る。大雨注意報が長野県に出るような日だったので致し方ない。半日持っただけでもラッキー。
   
 一夜明けると空は快晴。最初の写真は部屋から見たもの。この後は簡単に書くけど、せっかく晴れているので近くを回る。一ノ瀬園地という乗鞍高原の整備された自然コースは、あまり知られていないけど、いや素晴らしかった。いつか、ここだけじっくりハイキングしたい。まず宿から少し行った「善五郎の滝」。どんどん降りるけど、案外楽に行ける。すごい迫力で是非行きたい瀧。車で一ノ瀬園地まで行って、あざみ池まで歩く。素晴らしく晴れて、気持ちいい日だった。
   
 そこで山は終わりにして、松本で食べるとともに、行ってない旧開智学校に行きたいなと思う。明治の擬洋風建築の小学校で、重文。昨年秋に旧中込学校という佐久にある学校を見たので、こっちも見たかった。どっちがどっちと言えない美しい建物だ。松本城の北に移築されている。
    
 その隣に「旧宣教師館」という建物があって、そっちは無料で公開。そこも見ると、2階から旧開智学校がよく見える。向こう側にガラスの建物があり、何だと思うと市立図書館だった。そこに「パノラマ」という喫茶があると書いてある。美味しい蕎麦屋でも探そうと思っていたけど、車で迷う経験が多く、面倒だからここで食べちゃうか。これが結構面白く、確かに3階にあって大パノラマ。下の4枚目の写真だけど、左が旧開智学校、右が旧宣教師館、その間に松本城も見えるではないか。よく判らないと思うけど、2回クリックして拡大すると見える。食事は懐かしのエビピラフを食べて、それは業務用なんだろうけど懐かしの味で、400円だからまあいいか。市立図書館は松本を訪れることがあったら、是非お勧めの場所である。
   
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栃木県東北部の旅行

2014年02月26日 00時05分35秒 |  〃 (温泉)
 栃木県の東北部、那珂川町や大田原市のあたりを旅行。栃木県は日光に何十回も行ってる他、那須・塩原あたりもよく行っている。温泉や観光地はいっぱいあるが、東北新幹線、東北自動車道(あるいは国道4号線)を境にして、西の方に集中している。だから、東の茨城県の近い辺りはほとんど行ったことがない。(那須へ行ったときに雨だったので、「那須風土記の丘」という古代文化の集中地域をドライブしたことがあるだけ。)今回は「とちぎ券」という栃木県内の旅館で使えるクーポン券の日付が今週末までということで。買ったはいいけど、なかなか時間が取れず、結局日切れ近くになってしまった。

 ところで、この地方には何があるのか?合併して今はなき町名だが、喜連川(きつれがわ)とか黒羽(くろばね)などの地方。その黒羽(今は大田原市)は松尾芭蕉が「奥の細道」を歩いた時に一番長く(13泊も)滞在した場所なのである。当時は「黒羽藩」があり、その城跡に「芭蕉の館」がある。(近くの国道から川を渡るときの案内板がないので判りにくい。)館の前には、芭蕉と曾良の碑がある。あれっ、芭蕉が馬に乗っている。いや「奥の細道」では那須野で馬を借りているのである。黒羽のあちこちに、「俳聖芭蕉と黒羽」の案内板がある。
  
 写真を見れば判るように、まだ雪がかなり残っていた。芭蕉が黒羽を訪ねたのは、黒羽藩の城代、浄法寺図書(俳号桃雪)という人に招かれたのである。黒羽藩大関氏1万8千石で、幕末までずっと大関氏が続いた。もともとは下野北部の那須氏を支える「那須七党」と呼ばれた一族だというが、1590年に大関高増が小田原に参陣し、1600年には子の資増が東軍に味方して家康の小山評定に参陣した。こうして主家の那須氏が秀吉の怒りを買ってつぶされた後も、独立大名として生き延びた。地元の人々を除けば、よほどの歴史マニアでも知らないと思うけど、小なりと言えども幕末まで続いたのである。幕末には外様ながら海軍奉行を務めるが、戊辰戦争では新政府軍について会津戦争に参加して功を挙げる。よくよく、重要な時期に付く側を間違わなかった一族である。その大関氏の黒羽城に「芭蕉の館」が建てられている。城跡はなかなか堀が深く、今は公園として整備されている。今はまだ雪がいっぱい。
  
 その大関氏一族の墓のある大雄寺(だいおうじ)が城のすぐ下にある。なかなか立派な禅寺で、一族の墓がズラッとあるのは壮観。(なお、芭蕉は黒羽の奥にある雲巌寺(うんがんじ)というところも訪れ、一句詠んでいる。是非行きたかったが、多分雪が大変だろうと思い、次の機会にすることにした。)
  
 芭蕉ゆかりの地は、平泉、山寺、象潟などの他、尾花沢や市振なんかも行っている。特に「奥の細道」を追いかけているわけでもないんだけど、機会があれば他のところも見てみたい。さて、そこから道の駅「那須与一の郷」で休む。近くの那須神社には那須与一の刀もあるらしい。今年になって国の重要文化財に指定されたという。ちょっと離れたところに「くらしの館」というかやぶき農家の建物が残り、物産センターなんかもある。そこで竹細工を展示して売っていた。下の写真の左側は「里芋洗い機」とあって、6000円なり。
 
 泊ったのは那珂川町なのだが、そこには何があるのか?「広重美術館」や「いわむらかずお絵本美術館」などがある。(今回は月曜で休館)また「御前岩」や「唐の御所」という他の地域ではほとんど知られていない名所もある。「御前岩」は水戸黄門が見て奇岩なりと命名したという岩。「国史跡・唐の御所」は、それだけ聞くと不思議なネーミングだけど、行ってみたら古代の横穴墓だった。埼玉の「吉見百穴」みたいなもの。あれほど多くはないけど。将門伝説と絡んで、「御所」と名前が付いたらしい。最初が山登りで、どこにあるんだか判らない。ホントにあるんかと思うくらい登って、そこに案内がある。
    
 さて、いつもは泊った場所の感想を書くのだが、今回は泉質は良かったけど、残念ながら紹介はしない。自分もうっかりしていたのだが、情報で得たつもりの値段と請求の値段が違った。よく見ると「お二人様の場合千円増し」とすごく小さな字で書いてあった。さらに建物が外壁改装工事中だった。建物全体が足場で覆われ、作業員が5時過ぎまでガラス清掃や外壁塗り替えをしている。4時半過ぎに部屋に入ったのに窓の外を見たら、ガラスに高圧で水をかけていた。向こうに人がいた。外にある露天風呂の帰りに見た裏からの全景を載せておく。
 ま、今回は栃木県の道の駅をめぐりながら、東京では高い野菜の買いだしに行ったという感じの旅行。
(宿は工事中)
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中棚荘と花屋旅館-東信旅行④

2013年11月24日 00時07分05秒 |  〃 (温泉)
 最後に泊った宿の話。1日目は小諸の中棚荘、2日目は別所温泉の花屋旅館。どちらも「大正ロマン」風のレトロな造りと文化の香りで全国的に有名な宿である。どちらも一度行きたいと思っていたところで、やっと初めての宿泊。助成を使えたので、久しぶりに「いい宿」に泊った。

 小諸は山の方にいい宿があり、今まで市内は通り過ぎてしまった。山へ登ると、高峰温泉という日本最高級の露天風呂がある標高2千メートルの秘湯がある。夜は天体観測ができるし、タヌキが訪れるという自然に親しむ宿。また、鉄分の色がすごい天狗温泉浅間山荘という浅間登山口の温泉がある。中棚荘は小諸城址の片隅、地名で言えば「小諸市古城」にある一軒宿。中棚温泉は、昔は鉱泉と言っていたように、温度が低く加温している。中の風呂は循環併用だが、露天は掛け流し。風呂が遠いけど、長い通路を上っていくと冬季のみリンゴを浮かべた「初恋りんご風呂」。
 
 なんで「初恋」かと言えば、ここは「藤村ゆかりの宿」なのである。島崎藤村、というより彼を小諸に招いた小諸義塾の木村熊二が見つけた鉱泉がもとで、藤村も泊った。僕が泊った部屋の真ん前が「藤村の間」だった。ロビーには藤村の本を集めたコーナーもある。藤村の詩「初恋」(まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき…)の書き出しは、読んでなくてもどこかで聞いたことがあるのではないか。ということで、「初恋」が発表された日の「10月30日」が「初恋の日」ということに、中棚荘申請で日本記念日協会が認定している。「初恋はがき大賞」なんてのもやっている。藤村などが集った「水明楼」という建物が宿のすぐ近くに現存している。木村熊二の建てたものである。次の日に訪れたが、建物が多くなり千曲川がよく見えないのが残念。
   
 僕が泊ったのは、大正館という古い所で、トイレや風呂が部屋に欲しければ平成館もある。でもレトロ感を味わえる大正館で十分。今回は2階に泊った。でも駐車場からフロントが遠く、さらに部屋までは一端建物を出て大正館へ、さらに風呂へ行くには平成館に戻って大分歩いて行く。雨や真冬だとつらいかな。今回もかなり寒かった。まあ、そういうのも込みで、文学的香気を味わう旅情と思えるかどうかで、そこが日本の温泉旅館の楽しみ方だろう。部屋や建物はかなりレトロ趣味。
   
 今はどこもいい食事を出すけど、ここは中でも美味しかった。「浅間嶽」の大吟醸がものすごく上等でうまかった。夕食は「はりこし荘」という食事処だったが、どこ行くにも移動が大変。朝食は大正館で取ったけど、山羊乳かリンゴジュースが選べるという。山羊乳にしたけど、クセもなく美味しい。昨日、車で宿に入った時、長い坂道の最初にまず山羊が目に入った。へえと思ったけど、ホントに山羊乳が出るとは。出る前に庭を散歩すると、案外奥が深く、そこに山羊の家が。池にはカモもいる。玄関近くには犬もいる。名前は「チビ」。予約すれば散歩に行けるという。そういう個性豊かな宿で、オリジナルのワインやはちみつなど自家製のお土産も多い。一度は行きたいおすすめの宿。
   
 次の日の別所温泉はいろいろ泊まり歩き、今度は花屋。この宿は完全にレトロな風情(「大正浪漫」)で売ってる。宿を歩くだけで楽しい。どこ行くにも外に面した回廊を通るから、今からの季節は寒いけど。
   
 風呂は大理石風呂若草風呂(伊豆の若草石というのを使ってる)を朝夕で男女別に。他に露天風呂。この大理石風呂(男は夜10時まで)が素晴らしい。入り口は二つあるが、脱衣所は一緒。だけど風呂はまた二部屋になる。片方は風呂が二つあり、もう片方は一つ。という不思議な造りで、昔はここだけだったんだろうなと思う。全部源泉掛け流し。露天風呂が外の廊下をかなり歩くので、遠いのが難だけど。
   
 ここは動物はいないけど、建物や庭の風情を楽しむ宿。こういうところに若い時にグループで一度行く、あるいは夫婦で少しゆとりができると行ってみる体験が日本文化には必要だと思う。日本の温泉宿は、近くにある国宝めぐりや文学散歩などに必須のセットで、日本文化そのものだと思う。自然散策や秘湯の宿もいいけど、今回は文化の旅ということで。浅間が望める風景がどこでも心に残る。最後に部屋から見た風景を少し。後の2枚は、朝になって部屋から外を、点灯、消灯で撮ってみた。
  
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塩田平をめぐる-東信旅行③

2013年11月22日 23時14分09秒 |  〃 (温泉)
 上田電鉄の上田駅と別所温泉駅を結ぶ線路の南側一帯を塩田平(しおだだいら)という。千曲川の河岸段丘が広がる一帯で、古くから多くの寺社があり、たくさんの人が訪れてきた。この地域に新しい魅力を付け加えたのは、信濃デッサン館という小さな美術館。1979年に、窪島誠一郎氏が前山寺の門前に開館した。村山槐多などの若くして亡くなった画家のデッサンが集められている。さらに1997年、窪田氏はデッサン館に近い場所に、戦没画学生の遺した絵だけを展示する「無言館」を開館して、大きな反響を呼んだ。僕も開館まもなくに訪れたけれど、とても心打たれる鎮魂の場所だった。今は第二展示館も出来、当初は「志納」だった料金も千円と決められているようだ。デッサン館は二度、無言館は三度訪れているので、今回はパス。

 寺社と美術が塩田平の魅力だったわけだけど、今回訪れたらもう一つこの地域の特色があると知った。それは「ため池」である。雨量が少なく、昔からため池がたくさん作られ、41にもなるという。農水省選定の「ため池100選」にも選ばれ、ため池マップもあった。今までこの地域に何回も来ているのに、全然気づかなかった。問題意識がないと、つまり見る気がないと見えないということである。道から遠い池、道より高くて見えない池なども多いけど、知っててドライブすると確かにどんどん見えてくる。「舌喰池」という大きな池を見たので写真を撮った。
 
 この舌喰池の真ん前が「塩田の里交流館」(とっこ館)で、ここに今書いたため池マップがあった。それよりここは旧西塩田小学校で、僕は一度見てみたかった。上田地域は昔から映画やテレビのロケによく利用され、黒澤明の「姿三四郎」、鈴木清順「けんかえれじい」などもこの地域。アニメだけど、最近の「サマーウォーズ」もこの地域を舞台にしている。その中で、小津安二郎の「一人息子」(戦前の名作)などのロケが行われたのが、その小学校だという。今は「さくら国際高等学校」になってるけど、これは通信制高校だという。レトロな感じが残る校舎で、車で来てたら寄ってみたいところ。「とっこ館」から校庭が見られる。なお、上田のロケ地マップも出来てるし、上田フィルムコミッションのサイトでは、戦前にまでさかのぼりこの地域のロケ作品を網羅している。
    
 さて、後は塩田平のお寺めぐりだけど、時間が少ないので重文指定の建築がある中禅寺前山寺に行った。中禅寺の薬師堂は長野県で一番古い木造建築だという。茅葺き建築が素晴らしい。そこから車で数分、前山寺は三重塔がある。見ると他の塔に比べてやはり小さな感じで、そこが国宝と重文の違いかなと思うけど、写真を撮るとなかなかいい。ここはガイドによく「住職夫人のつくるくるみおはぎを予約すれば食べられる」と出てるけど、食べたことはない。まあ今後もないと思う。他にも龍光院とか塩田城跡などがあるがパス。
  
 別所温泉に戻り、この日は上田市街に本店のある「おお西」の別所支店で蕎麦を食べる。「発芽そば」をウリにして、「蕎麦道」を唱えている。僕も「そば道系の店」という言葉を使っていたが、ホントに「蕎麦道」で「名人」認定をしている立川談志みたいな蕎麦店主がいるとは思わなかった。驚くべき細い蕎麦で、手打なのにここまで細く切れるのはすごい。三種盛りを頼む。左から更科、発芽、田舎。

 そこから青木村まで車で20分程度。大法寺へ行くと、昔は足が不自由な犬がいた。さすがにもういないのは死んだんだろう。10年以上前だから。階段わきでリンゴを売っているおじいさんもいたけれど、出ていない。大体寺の見学料を取る人もいない。11月の平日だからだろうか。ここもかなり登るが、上の道路まで出ると三重塔がよく見ることができる。鎌倉幕府滅亡の頃の建立で、「見返りの塔」と言われる。英語で「Lookinng for Pagoda」だと出てた。ここも快晴で陽射しのために写真が撮りにくい。
   
 その後、道の駅青木で買い物して、上田へ出て帰る。上田城は前に見てるけど、上田高校が「けんかえれじい」のロケに使われたと知り、寄ってみたかった。でも、今回は時間がない。しかし、地図に重文指定とある近代化産業遺産の「常田製糸」(ときたせいし)という工場が見つかったので、外部見学。時間が早ければ中を見られたかもしれない。予約がいるのかもしれないが。こういう産業遺産を調べれば、各地にもっともっと面白いものが残っているはずだ。2012年に重文指定というから、まだあまりガイドに出てないが、信州大学繊維学部近くにある。
   
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信州の鎌倉-東信旅行②

2013年11月21日 23時47分24秒 |  〃 (温泉)
 長野県上田市の別所温泉塩田平のあたりを「信州の鎌倉」とよく呼んでいる。文化財がたくさん集中していると共に、北条氏の一族が支配し、鎌倉時代にさかのぼる寺院が多いこともあるだろう。旅館に囲い込まれて町を歩く人が少ない温泉も多いが、ここは草津や道後のように温泉街を回る人が多い。外湯も3つあるし。僕は前から大好きで、今回で5回目の泊まり。だけど、近くの別の温泉(鹿教湯、沓掛など)に来た時も別所温泉を回ったことがある。上田駅から上田鉄道というかわいい私鉄が通っているので、電車でもすぐ来られる。それも昔行って面白かった。しばらく来てなかったけど、とてもいいところで、関東関西からは一度は行きたい温泉。

 この地域の文化財は数多いが、やっぱり一番の魅力は、国宝の二つの塔だと思う。別所温泉街の安楽寺と、少し離れた青木村の大宝寺の三重塔である。まず、その二つの塔の写真を載せておきたい。前者が安楽寺で、四重に見えるが一番下は裳階(もこし)で、さらに八角三重塔と言う実に珍しい形式。写真ではその素晴らしさが伝わらない。日本を代表する塔の一つだと思う。一方、次の大宝寺は「見返りの塔」と呼ばれる美しい塔で、見飽きない塔で、どちらも優劣つけがたい立派な国宝だと思う。
    
 車を安楽寺に停めて、まず大好きな八角三重塔を見に行く。石段を上り、寺内に入ると、鐘楼と刈り込まれたコウヤマキの巨木が目に入る。料金所を通って三重塔へ。階段を登ると次第に目に入ってくる。途中に重文指定の開山時代の和尚像をおく「傳芳堂」(太陽の具合で全く写真が撮れないが、とても立派な彫像である)、島木赤彦の碑などがある。上がるたびに塔が大きくなっていく。
   
 登り切ったら、あとは四方を回りゆっくり三重塔を見て回るだけ。実に不思議な形の塔である。建立は鎌倉末期と言われている。日本最古の禅宗様式の塔とされる。どうも快晴の日の午前中は太陽の加減で写真が撮りにくい。
   
 いつまで見てるわけにもいかないので、飽きないけど降りていく。そこから車ではなく、歩いて常楽寺へ行くのがおすすめのコースで、これは是非。浅間山、四阿山(あずまや)などの名峰がきれいに望めるし、塩田平を一望できる。また、すぐ近くに戦前に建てられた山本宣治の碑、タカクラテルの碑などがある。「山宣」は戦前の政治家、社会運動家、医師で、無産政党の代議士として治安維持法に反対を貫き、右翼に暗殺された。「山宣ひとり孤塁を守る」の言葉で有名。忘れてはならない人物である。その碑を上田自由大学の関係者が作り、戦時中を守り抜いた。
  
 10分もしないで常楽寺に着く。ここは重要文化財の石造多宝塔で知られる。まあ見てもよく判らない文化財だけど。境内には大きな松がある。奥にある多宝塔はとても暗い中にあるが、写真を撮るとけっこう明るい。実際の印象は杉木立の中で日が差さない場所。戻ってくると美術館があるが、入ったことがない。お茶とお菓子の梅楽苑というお店もあり、今回初めて入った。ここだけの梅の菓子がある。また寺を出たところに「お茶の間」という名前の店がある。この不思議な名前の店は一度入りたいと思い以前に入ったことがある。ほんとの「お茶の間」のアットホームな場所だった。
  
 別所温泉にはもう一つ有名なお寺がある。それは「北向観音」。何で北を向いているかというと、長野の善光寺と向かい合っているというのである。「愛染かつら」があることでも知られている。川口松太郎の原作が映画化され大ヒットした。主題歌も有名である。今も名前は何となく知られているだろうけど、別所温泉にモデルの桂の木があることを知らない人が多い。参道も面白い。写真の最後、鐘楼の隣が愛染かつら。別所温泉だけで長くなったので、塩田平は別に書きたい。
   
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佐久と小諸-東信旅行①

2013年11月20日 23時35分58秒 |  〃 (温泉)
 長野県東部に2泊の温泉旅行。ちょうど紅葉が終わる前で、少し寒くなりかかかっていた。今回は小諸の中棚温泉と上田の別所温泉に泊ったが、宿の話は別に書きたい。今まで別所温泉は何度も行っていて、小諸も行っている。しかし、佐久インターで下りたことがなかった。調べてみると、日本唯二の「五稜郭」(五角形の洋風城郭)、「龍岡城」が近くにあった。もう一つはもちろん函館だけど、この龍岡城は駅名にもなってるのに知られていない。また中山道の宿場が4つもある。川待ちなどに備え短い距離に宿場が置かれたという。僕の大好きな相米慎二監督の映画「台風クラブ」のロケ地もある。(ロケした中学は焼失して再建。)そういう場所があるんだけど、今回は時間の関係で残念ながら見られなかった。今回見たのは、旧中込学校貞祥寺の二カ所。まずインターから南下し、旧中込学校へ。
   
 この美しい塔を持つ「旧中込学校」は、1875年(明治8年)に建てられた。洋風の小学校の建物のもっとも古いものの一つである。塔は太鼓を吊るして時を知らせたので「太鼓楼」と言われたという。正面にはベランダがあり、廊下にはステンドグラスがはめ込まれている。中に入ると、下の写真のような感じ。大きな部屋にはオルガンがあり、自由に弾いて下さいとある。2階へあがると、やはりステンドグラスが美しい。丸岡秀子さんが卒業生だということで、その紹介もあった。「農村婦人問題」などに取り組んだ女性運動家である。(ベランダと太鼓楼には出られない。)
    
 ということで、下りてきて隣りにある資料館や鉄道公園を見たあと、裏へ見ようかなとしたところ、なんと驚きの状態を見たのだった。何人か見物客はいたけど、大体表から写真を撮って帰っていたようだけど、裏はこんな様子。
  
 一見美しいけど、2カ所剥がれているではないか。どうしちゃったんだろうか。一か所はかなり大きく剥がれ落ちている。これも展示なのか。それはないだろう、修理してないだけなんだろうけど、裏まで手が回らないのかなあ。そこから貞祥寺(ていしょうじ)へ。ここは三重塔島崎藤村旧居がある。1521年創建のかなり大きい寺で、見て回る甲斐があった。塔の上の道まで出ると、黄葉がきれいだった。写真の最後2枚が寺の入り口にある藤村旧居。夏は公開してるらしいが、今は閉めていた。ここに藤村が住んでいたのではなく、小諸の住居を買い取った人がいて、ここに移築されたのである。ここを見た後で小諸に向かうことにした。
   
 小諸の中棚温泉に泊り、懐古園入園付プランだから、翌日に懐古園(かいこえん)に。まあ小諸城址だけど、島崎藤村が1899年(明治32年)に小諸義塾の教師として赴任し、1905年まで6年間在任した。その間に「千曲川のスケッチ」が著され、小諸城址も有名になったわけで、懐古園にも記念館がある。でも、まあ基本はお城。前日まで紅葉まつりだったけど、この日も素晴らしい紅葉を見られた。最後の写真は天守閣跡。石垣も明治以後壊されて、後に再建されたものだという。
   
 素晴らしい紅葉の数々。最後の写真は落ち葉に映る自分の影。 
   
 ところで、藤村以上に小諸に貢献したのは、木村熊二(1845~1927)ではないかと思った。木村は明治女学校を作ったクリスチャンの教育者で、名前は知っていたが詳しいことは知らなかった。でも、明治女学校を2番目の妻のスキャンダルで退き、後に小諸義塾を開いて藤村などを招いた。それだけでなく、「水明楼」という家を建て近くに鉱泉の出るのを見つけた。これが中棚温泉で、水明楼は現存している。その話は別に書くが、懐古園のそばに小諸義塾記念館もある。案外近いし、共通券で入れるので是非行きたい。当時の本館の建物だという。そこで見た年表によると、木村という人はスキャンダル後に、30近く離れた三度目の妻(早大の「都の西北」の作曲者の妹)と結婚し何人も子どもを作っている。昔の人はすごいね。木村の姿が懐古園の石垣にあった。最初が記念館。最後が島崎藤村。
  
 その後、町中に出るが、うまく停められない。大手門や本陣など重要文化財指定のものがあるが、見れなかった。「そば七」で食べる。ここは美味しかった。レトロな街並みが楽しい。その後もっと面白い「昭和レトロ」の街並みもあったけど、運転してると写真を撮れない。町を入ると、「藤村の井戸」(今も水が出る。飲めないけど。)や「藤村旧居跡」なども。先ほど載せた旧居はここにあったわけ。街には不思議な装飾の骨董店もあった。そば屋の隣の紙屋には、俵万智の色紙があった。そこから高浜虚子の疎開していた家に寄る。そこらへんの「虚子の散歩道」を歩いたが、今は家が立ち並び風情はかなり変わった感じ。でも浅間山が堂々たる姿を見せていた。(写真は撮らなかった。)下に載せた写真は、順番に「そば七」、骨董屋、藤村旧居跡、虚子旧居。  
    
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伊豆をめぐる旅

2013年03月22日 01時23分22秒 |  〃 (温泉)
 春直前に伊豆へドライブ。春休み前で安いプランがあったからだが、梅と桜の境目の時期だった。伊豆は東京から行きやすいから、初めは親に連れられ、学生時代はゼミ合宿、勤めれば職員旅行などとずいぶん行った。個人でもずいぶん行っているが、小さい時から本当によく行ってる日光に比べれば、伊豆箱根、軽井沢などはあまり行ってない。大体回っているんだけど、近年は東伊豆に伊豆大川温泉ホテルという素晴らしい宿を見つけて、ここばかり行っていたが、退職後はしばらく行ってない。

 最初の日は、中伊豆の湯ヶ島温泉というか、湯ヶ島から少し離れて木太刀温泉と称している木太刀荘。湯ヶ島は本当に久しぶりで、自分では夫婦で行ったつもりになっていた。嵯峨沢や修善寺は行ってるので、勘違いしていた。学生時代に2回くらい来たような気がする。ここは川端康成が「伊豆の踊子」を執筆した場所である。天城山のふもとで、昔最高峰の万三郎岳や八丁の池に登りに来た。だから昔のガイドがあるので持っていったが、見比べると旅館がずいぶん減っている。木太刀荘の川向かいにあった湯川屋は、梶井基次郎が泊った宿で記念の展示室があると書いてあったが、つぶれていた。イノシシ村という施設も昔あったはずだが、もうなくなっている。

 たまたま来る前に読んだ新聞に湯ヶ島小学校が今年限りで閉校になると出ていた。井上靖が湯ヶ島小学校を卒業し、自伝的作品の「しろばんば」などによく出てくる。昨年公開された「わが母の記」という名作映画でも、湯ヶ島が印象的に出てきた。(ロケ地めぐりのガイドが観光案内所に置いてあった。)「しろばんば」の散歩道も整備されているので、初日は湯ヶ島文学散歩。まずは井上家の跡地が公園になり、「しろばんば」の碑が立っている。そこから少し歩くと、小説で「上の家」と名付けられた井上本家。
  
 そこから奥の方に歩くと階段があって、小学校の敷地に出る。井上靖の詩碑があり、そこまでは入っていける。校庭から小学校を見る。校庭が広い。翌日の朝だが、正門の方へ行くと、そこにも「しろばんば」の碑が立っていた。湯ヶ島温泉の奥山が熊野山で、そこに霊園があって井上靖が眠っている。せっかくだから、かなり車が大変だったが行ってみた。井上靖は「敦煌」「楼蘭」などシルクロードをめぐる歴史小説や鑑真を描く「天平の甍」など数多くの歴史小説を中学時代に読みふけった。僕の感性に深い所で大きな影響を受けたと思う。大好きな作家である。
   
 さて木太刀荘は、家族風呂を入れて7つの風呂があり夜と朝で男女を入れ替えるので、みな入ることができた。渓流を望む露天風呂や洞窟風呂が両方にある。湯はザブザブと出ていて気持ちがいい。夕食は鯛の姿盛り(甘えび、イカそうめん、まぐろ、サーモンのお造り)、イセエビの陶板焼きと豪華に出て、なんと入湯税入れて八千円ほどという信じがたい値段である。大いにおすすめ。部屋はすべて世古峡に面した渓流ビューで、風呂はないがトイレはウォシュレット。広さもまあまあ。世古峡は下りていけるので翌日歩いてみる。その渓流沿いから見た宿の全景を載せておく。道路に面した入口が5階で、風呂は一番下の1階という作りである。
   
 次の日は湯ヶ島を少し回った後で、滑沢渓谷の辺りで車を停める。そこから「太郎杉」へ行ってみる。片道30分程度の適度なハイキングコース。入り口近くに、井上靖「猟銃」の文学碑も。ずいぶん碑がある。渓流沿いにさかのぼっていくと、突然大きな杉が出てくる。県の天然記念物だが、国指定の千葉県清澄寺の大杉と比べても遜色ないのではないか。ビックリするような巨樹だが、写真では感じがあまり伝わらない。
  
 さて歩いて戻って少し疲れたが、まだまだ。次は「旧天城トンネル」。これが行ったか行かないかがよく覚えていない。「伊豆の踊子」が通り、松本清張「天城越え」の舞台となり、映画化され、石川さゆりの歌になった。清張や歌の碑がないのは何故だろうか。今はそっちで有名だろう。本来は1907年に開通した「天城山隧道」という重要文化財指定の産業遺産である。昔来たようにも思うが、本や写真のイメージかもしれない。間違いないのは車では来てないことで、旧道に車で乗り入れたら結構大変だった。何とか着いてみると、車が今も旧トンネルを通れるけど、せっかくだから真っ暗い中を歩いてみた。観光客はいるのに、案外皆歩いてない。このトンネルはまっすぐで、500メートルもない程度だが格好のウォーキング。立派な石組みがよく見られる。
   
 そこから南へ下り、峰温泉で蕎麦を食べ、下田を抜けて、石廊崎へ。ここは昔夫婦で来て「ジャングルパーク」に入った。その後車で一回通ったけど、まあいいやと通り過ぎた。今回調べたら10年も前につぶれてた。全体的に伊豆の観光が大変なような気がした旅である。団体旅行の本場、家族で行く大施設という、東京近郊で一番栄えてた特徴が、今は裏目に出ているのだろう。石廊崎は雨が降ってきて、下賀茂の方に回って、下賀茂熱帯植物園に行ってみた。行けばなかなか面白い。園の中に猫がいたのがご愛嬌。客は他に一組だけ。春分の日で祝日なんだけど。花は咲き乱れ、トロピカルフルーツがなっている。スターフルーツがなっていたし、一番珍しかったのは青い房のようなものがいっぱい垂れ下がっていることである。ルソン島原産の「ヒスイカズラ」と言うそうだ。本当にヒスイのような色である。サボテンの「盆栽盛り合わせ」も色取り取りできれいだった。買わないけど。
  
 宿は「休暇村南伊豆」。豪華バイキングの夕食、広い部屋はいいんだけど、風呂に行ったらプールかと思う塩素臭にガッカリ。休暇村は日光湯元によく行くので、50歳以上の会員になっている。関東周辺の休暇村はかなり行ってるが、設備がよく食事も美味しい。安心して利用できるので、どこも子連れや高齢者でいっぱいである。それはいいんだけど、大量に来るからか、温泉に循環が多いのが残念だ。伊豆の湯は単純泉が多く、泉質では特徴がない所が多いので、源泉掛け流しの宿が多くなって欲しい。ところで、ここでビックリ。食事の後でロビーで新聞を読んでいたら、部屋に戻るときエレベーターで大学時代のゼミ同期生夫妻が乗り込んできた。こんな奇遇があるんだな。もっとも昔北海道に行くフェリーに乗ったら、同じ学校の教員にあったことさえあるんだけど。教授の定年パーティで会ったから、まあ何十年ぶりと言うことでもないけれど。

 3日目。昨日行けなかった石廊崎(いろうざき)、というか本当は奥石廊崎へ行きたい。ちょうど晴れてきた。石廊崎を通り過ぎ、「ユウスゲ公園」の駐車場がある。これが大正解で、ここに停めて少し登ると、伊豆七島を一望の大展望。反対側が奥石廊崎で、真っ青な海に岩が点在し実に美しい。海がこんなにきれいなのは、昔見た北海道の積丹半島、沖縄の宮古島、小笠原などに匹敵するのではないか。他は行きにくいから、東京の近くで見るにはここが一番だ。こういうのは海や気象条件にもよるので、たまたま素晴らしく恵まれていたということだろう。そこから少し行くと、あいあい岬のジオパークビジターセンター(と言うには中身がまだ整備されていなかった)があって、そこからの眺めも素晴らしかった。「ジオパーク」(大地の公園)というのは僕はとてもいいと思う。地層や化石など見るととても面白い。ジオパーク認定の前に、新潟の糸魚川を旅したことがあるが、ものすごく面白かった。今高校で地学や地理が授業で置きにくくなっている。この世界の果ての、地震や台風が毎年来る国で、それはまずいでしょう。大地の活動への関心を子どもの頃から呼びおこすきっかけになるといい。
   
 ここから一路西伊豆を北上。前に行ってるから、松崎なんかも素通り。堂ヶ島、土肥を経て修善寺へ出て、沼津へ。このあたりはいつも時間切れで通り過ぎてしまうんだけど、今回は時間があったので、道沿いの「沼津御用邸記念公園」に寄ってみた。日光の田母沢御用邸も公開されている。時期的に近いので似ているが、こっちは空襲でほとんど焼けたという。病弱だった大正天皇のために1892年に作られた。当時の道具などはかなり残っていて、興味深い。まあ、時間もなく簡単に見ただけだが。
  
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