尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

サタジット・レイの映画を見る

2015年10月01日 23時11分01秒 |  〃 (世界の映画監督)
 9月下旬はずっと体調不良で、あまり出かけることもなかった。ようやく少し元気が出てきて、自分で書いたサタジット・レイの映画も終わりに近づいているので、見逃したくないので見に行った。ホントは今日から大岡昇平の話を書こうと思ったんだけど、どうも長くかかりそうで大変だ。サタジット・レイは記憶にある以上に感銘を受けたので、前に書いたものを手直しして紹介しておこうと思う。

 インド映画界の巨匠、サタジット・レイ監督(1921~1992)の特集上映が10月9日まで4週間にわたって行われている。東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで「シーズン・オブ・レイ」と題して、「チャルラータ」と「ビッグ・シティ」(以前「大都会」として公開)のデジタル・リマスター版が上映されるのである。没後20年以上たって、もうサタジット・レイの映画を見たことがない人も多くなっているかと思うが、非常に素晴らしかったので是非見て欲しい。
  
 近年はインド映画もたくさん公開されるようになったけど、その多くはムンバイ(旧ボンベイ)で作られたヒンディー語の歌と踊り入りの大娯楽映画である。あるいはチェンナイ(旧マドラス)で作られるタミル語映画も、ラジニカーント主演の「ムトゥ 踊るマハラジャ」などかなり公開されている。しかし、サタジット・レイの映画はベンガル語のアートシネマで、娯楽映画が日本で公開されるようになる前に、日本で見られた唯一のインド映画だった。だから、ベルイマンやブレッソンの映画を見に行く感覚である。

 「チャルラータ」はタゴール(アジア初のノーベル文学賞を受賞したインドの詩人)の原作で、1879年のカルカッタを舞台にしている。大邸宅に暮らすチャルラータは、裕福な新聞社の社長の妻だが、夫は多忙で妻は孤独である。そこに詩を口ずさむ芸術家肌の夫のいとこアマルが現れる。揺れるチャルラータの心。夫は独立運動とまではいかないが、英国の選挙では自由党の勝利を祈っている立場。政治の動きに関心を持っている。しかし、妻とはこの話題は出来ないものと思い込んでいる。女は政治に関心がないと決めつけている。夫の政治新聞に妻の居場所はない。そこに若くて芸術家肌の青年が現れたわけである。夫はアマルに妻の文学的才能を見極めて欲しいと頼む。妻も詩を書いたりし始める。日々を静かに見つめながら、緊迫した映像を作りだした「チャルラータ」は、サタジット・レイの最高傑作という人も多い。僕も一番好きな作品である。レイ自身が脚色、音楽も担当している。もちろん、具体的には何も起こらないので、心の中だけの心理的サスペンスなのだが、緊迫した画面に見入ってしまう。主演のマドビ・ムカージーが素晴らしく、モノクロ撮影の美しさにうっとりする。

 「ビッグ・シティ」は1958年のカルカッタを舞台にして、家計を補うために働きに出始めた妻を描いている。「女が外で働く」ことがインドの中流階級では珍しかった時代。そんな女性が営業の才能を発揮し始めていく中、夫の銀行が倒産してしまう…。まさに「大都会」そのものを描くこの映画は、同時代の日本や中国(戦前の上海映画)に描かれた「大都会」のイメージと比較して論じたくなる作品。アジアの共通の問題意識を感じたように思う。記憶の中では、「大都市」を描く映画というイメージだったのだが、見直してみると「女が働くこと」をテーマにした一種のフェミニズム映画だった。最初に見たのは若い時だから、その観点は印象に残らなかったのだろう。ラスト、妻のアロティが会社の社長に抗議する場面の気高いシーンは見逃せない。どんな思いで監督がこの映画を作ったのか、よく伝わる。半世紀前のコルカタというアジア有数の大都会で、インドの家族状況をじっくり観察できるのも魅力だ。教師をしていた義父(夫の父親)が貧乏になって見せる姿も印象的。(以下の紹介は前回書いたもの。)

 サタジット・レイはコルカタ(旧カルカッタ)の芸術一家に育ち、ジャン・ルノワールがインドで撮った「河」の製作に協力したり、イギリス滞在中に「自転車泥棒」(デ・シーカ)に衝撃を受けるなどして、映画を作り始めた。つまり、商業映画界の出身ではなく、インディペンデントの個人映画が出発なのである。完成した「大地のうた」(1955)はインドでも外国でも好評を博した。この映画はインド農村で育つオプーという少年の物語で、翌年作られた続編「大河のうた」はヴェネチア映画祭で金獅子賞を受けた。日本での公開は遅れて、1966年に「大地のうた」がアートシアター系で公開されて、外国映画ベストワンになった。「大河のうた」も1970年にATG系で公開されたが、オプー三部作の最後の作品は未公開だった。その「大樹のうた」(1958)が日本で公開されたのは、1974年。高野悦子らの「エキプ・ド・シネマ」の岩波ホールの映画上映は、「大樹のうた」から始まったのである。

 僕はその時は見に行かなかった。三部作の最後から見るのもなあと思い、岩波ホールでは次のエジプト映画「王家の谷」から見ている。その後、岩波ホールでオプー三部作の一挙上映があり、その時にすべて見た。以後、岩波ホールは、映画祭で受賞したサタジット・レイの名作を次々と公開し続けた。たぶん、今回リバイバルの「大都会」(1963、ベルリン映画祭銀熊賞)、「チャルラータ」(1964、ベルリン映画祭銀熊賞)及び「詩聖タゴール」(1961)の3作品連続上映が最初ではなかったか。以後もレイ作品はたくさん公開されているが、全部名前を挙げても仕方ないだろう。特に面白かったのは「遠い雷鳴」(1973、ベルリン映画祭金熊賞)や「チェスをする人」(1977)などで、「家と世界」(1984)、「見知らぬ人」(1991)など最後の頃の映画も岩波で上映された。僕は全部見ているし、とても好きだったけど、日本では「大地のうた」以外はベストテンに入っていない。インドの風習や歴史などがとっつきにくいと思われた部分もあったのではないか。ぞれが僕には残念な気がしたものである。今回の上映をきっかけに、日本でもサタジット・レイの再評価を望みたい。
コメント (2)
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