旅行や体調不良でなかなか新作映画を見てないんだけど、全然見てないわけじゃない。書かなくてもいい場合は書いてないということである。でも、「顔のないヒトラーたち」は紹介しておきたいと思う。題名だけでは意味不明だが、これは1963年に行われたアウシュヴィッツ裁判をめぐる映画である。
ナチス・ドイツの出てくる映画は、今も毎年たくさん作られている。娯楽戦争映画から歴史ドキュメンタリー映画まで。「アウシュヴィッツ」(絶滅収容所)も、今では誰もが知っている。詳しくは知らないかもしれないが、名前は知っているし、「とてもひどいことが行われた場所」だという認識は多くの人が持っているだろう。でも、1958年のドイツ、フランクフルトではほとんど誰も知らなかったということがこの映画で判る。ナチスではヒトラーやゲッペルスは自殺したものの、ゲーリングなどの「大物」は「ニュルンベルグ裁判」で裁かれた。その時に裁かれなかった被告は、1949年までに行われた12の裁判で裁かれた。その継続裁判を描いたのが、アメリカ映画「ニュールンベルグ裁判」(1961、スタンリー・クレイマー監督)で、62年のキネマ旬報ベストテンの2位に選ばれている。
ドイツ人は「それで終わり」と思っていたのである。それは日本でも同様で、「東京裁判」やいくつものBC級裁判が終わると、日本の戦争責任を自ら追及するという動きはどこからも出てこなかった。70年代になって、ようやく「民衆の戦争責任」や「日本の加害責任」が問われてくる。だけど、ドイツでは60年代初期に、この映画で描かれた「アウシュヴィッツ裁判」が行われて、国民意識に大きな影響を与えたということなのである。そういうことがこの映画で判った。
映画としては、メロドラマやミステリー的な興味をうまく取り入れながら、最後まで興味深く見られる映画に仕上げている。だけど、はっきり言って普通の出来で、ウェルメイドな作り方がどうも物足りない。しかし、この映画で描かれる出来事は今まで知らなかったことだらけ。歴史的関心だけで見たのだが、その知的問題意識は十分に満たされる。現代史や社会問題に関心が強い人は、ぜひ見逃さないようにしてほしい映画だ。特に日本ではいろいろと考えさせられることが多いと思う。
1958年のフランクフルト。アウシュヴィッツの収容体験のあるユダヤ人が、ある日当時残虐行為を行っていた看守が小学校の教師になっているのを見た。それを聞いた新聞記者が大きく取りあげたが、誰も耳を傾けない。ある若い検事だけが、その訴えを取り上げ、捜査を始めるのである。ナチス時代の犯罪の多くは時効になっていたが、殺人罪は当時から時効がなかったので、殺人罪に問えるのではないかと追及するのである。その若い検事、ヨハン・ラドマンの捜査ぶり、悩み、ロマンスなどを硬軟取り混ぜて、どうなるんだろうと興味をつないでいく。応援する検事もいるが、もう済んだことだと公然と反発する勢力もある。明らかに残虐行為に関わっていた者たちも、南米に逃れたり、公的な職業についていたりする。人体実験を行った医師、「死の天使」メンゲレなどは、アルゼンチンに潜みながら時々偽名でドイツに帰国したりしていた。そのことをヨハンはつかむが、メンゲレを逮捕することはできなかった。(イスラエルのモサドは、メンゲレの居所をつかんでいたが、アイヒマンの拘束と移送を優先したため、メンゲレは逃亡した。1979年にブラジルで水泳中に心臓発作で死亡した。)
日本では一般にドイツは戦争犯罪に誠実に向き合ってきたと思っている人が多いと思う。でも、もちろんそんなことはないのである。生活のため、多くの人がナチに入党した過去を持つドイツでは、主要な大物戦犯が裁かれたことで終わりにしたい、それ以上触れて欲しくないという国民感情が大きかったのである。そんなドイツの事情を描いた映画は前にもあった。1990年のベルリン映画祭で銀熊賞を得た「ナスティ・ガール」という映画である。「白バラ」や「白バラは死なず」を作ったミハエル・フェアヘーヴェン監督の映画。ドイツの地方都市、カトリックが有力な町で、優秀な女子高生ソーニャが先生の指導の下、全国論文コンクールで最優秀となり、パリ旅行に行く。次のテーマを「ナチス時代のわが町」として調べ始めると、その町でもユダヤ人密告事件があったことを突き止める。さらに調べ始めると町の人々は一家に冷たく当たり、孤立してしまう。10数年後、恩師と結婚して子どもも生まれたソーニャは、育児が一段落して大学へ通って、昔のテーマをまた追求する。その結果として、家が爆破されたり、夫が別居を求めたりしたあげく、町に隠された驚くべき真相を突き止めたのである。
これは実話の映画化だそうで、「ナスティ」(nasty)というのは、英語で「下品な」とか「不愉快な」と言った意味。町で孤立して「いけない女」になってしまったソーニャを指す。かつて一緒に論文コンクールを頑張った先生に憧れて、ともに理想を共有して結婚までした教師が、決定的な時点で去って行こうとするというのも、何だか身につまされたものである。こういう映画を見て判るのは、やっぱりドイツだって「臭いものにはふた」という態度で歴史をあやふやにしてしまおうという勢力が強かったのである。しかし、そんな風潮に敢然と対抗した人々の勇気ある行動があって、ドイツの歴史認識が作られて行ったのだ。そういうことを、特に日本でも知って学んで伝えていかないといけないと思う。戦争認識をめぐる問題に関心がある人向けだけど、まあ、誰が見ても楽しめるように作ってある。そういうたくましさを見る意味があるかもしれない。
検事ヨハンは、アレクサンダー・フェーリングという人で、「イングロリアス・バスターズ」「ゲーテの恋」などに出てたというが、いかにもドイツ人的な美形男優。その恋人マレーネはフリーデリーケ・ベヒトという人で、「ハンナ・アーレント」の若き日を演じた人。監督・脚本は1965年イタリア生まれのジュリオ・リッチャレッリの初監督作。俳優も監督もとても覚えられない。
ナチス・ドイツの出てくる映画は、今も毎年たくさん作られている。娯楽戦争映画から歴史ドキュメンタリー映画まで。「アウシュヴィッツ」(絶滅収容所)も、今では誰もが知っている。詳しくは知らないかもしれないが、名前は知っているし、「とてもひどいことが行われた場所」だという認識は多くの人が持っているだろう。でも、1958年のドイツ、フランクフルトではほとんど誰も知らなかったということがこの映画で判る。ナチスではヒトラーやゲッペルスは自殺したものの、ゲーリングなどの「大物」は「ニュルンベルグ裁判」で裁かれた。その時に裁かれなかった被告は、1949年までに行われた12の裁判で裁かれた。その継続裁判を描いたのが、アメリカ映画「ニュールンベルグ裁判」(1961、スタンリー・クレイマー監督)で、62年のキネマ旬報ベストテンの2位に選ばれている。
ドイツ人は「それで終わり」と思っていたのである。それは日本でも同様で、「東京裁判」やいくつものBC級裁判が終わると、日本の戦争責任を自ら追及するという動きはどこからも出てこなかった。70年代になって、ようやく「民衆の戦争責任」や「日本の加害責任」が問われてくる。だけど、ドイツでは60年代初期に、この映画で描かれた「アウシュヴィッツ裁判」が行われて、国民意識に大きな影響を与えたということなのである。そういうことがこの映画で判った。
映画としては、メロドラマやミステリー的な興味をうまく取り入れながら、最後まで興味深く見られる映画に仕上げている。だけど、はっきり言って普通の出来で、ウェルメイドな作り方がどうも物足りない。しかし、この映画で描かれる出来事は今まで知らなかったことだらけ。歴史的関心だけで見たのだが、その知的問題意識は十分に満たされる。現代史や社会問題に関心が強い人は、ぜひ見逃さないようにしてほしい映画だ。特に日本ではいろいろと考えさせられることが多いと思う。
1958年のフランクフルト。アウシュヴィッツの収容体験のあるユダヤ人が、ある日当時残虐行為を行っていた看守が小学校の教師になっているのを見た。それを聞いた新聞記者が大きく取りあげたが、誰も耳を傾けない。ある若い検事だけが、その訴えを取り上げ、捜査を始めるのである。ナチス時代の犯罪の多くは時効になっていたが、殺人罪は当時から時効がなかったので、殺人罪に問えるのではないかと追及するのである。その若い検事、ヨハン・ラドマンの捜査ぶり、悩み、ロマンスなどを硬軟取り混ぜて、どうなるんだろうと興味をつないでいく。応援する検事もいるが、もう済んだことだと公然と反発する勢力もある。明らかに残虐行為に関わっていた者たちも、南米に逃れたり、公的な職業についていたりする。人体実験を行った医師、「死の天使」メンゲレなどは、アルゼンチンに潜みながら時々偽名でドイツに帰国したりしていた。そのことをヨハンはつかむが、メンゲレを逮捕することはできなかった。(イスラエルのモサドは、メンゲレの居所をつかんでいたが、アイヒマンの拘束と移送を優先したため、メンゲレは逃亡した。1979年にブラジルで水泳中に心臓発作で死亡した。)
日本では一般にドイツは戦争犯罪に誠実に向き合ってきたと思っている人が多いと思う。でも、もちろんそんなことはないのである。生活のため、多くの人がナチに入党した過去を持つドイツでは、主要な大物戦犯が裁かれたことで終わりにしたい、それ以上触れて欲しくないという国民感情が大きかったのである。そんなドイツの事情を描いた映画は前にもあった。1990年のベルリン映画祭で銀熊賞を得た「ナスティ・ガール」という映画である。「白バラ」や「白バラは死なず」を作ったミハエル・フェアヘーヴェン監督の映画。ドイツの地方都市、カトリックが有力な町で、優秀な女子高生ソーニャが先生の指導の下、全国論文コンクールで最優秀となり、パリ旅行に行く。次のテーマを「ナチス時代のわが町」として調べ始めると、その町でもユダヤ人密告事件があったことを突き止める。さらに調べ始めると町の人々は一家に冷たく当たり、孤立してしまう。10数年後、恩師と結婚して子どもも生まれたソーニャは、育児が一段落して大学へ通って、昔のテーマをまた追求する。その結果として、家が爆破されたり、夫が別居を求めたりしたあげく、町に隠された驚くべき真相を突き止めたのである。
これは実話の映画化だそうで、「ナスティ」(nasty)というのは、英語で「下品な」とか「不愉快な」と言った意味。町で孤立して「いけない女」になってしまったソーニャを指す。かつて一緒に論文コンクールを頑張った先生に憧れて、ともに理想を共有して結婚までした教師が、決定的な時点で去って行こうとするというのも、何だか身につまされたものである。こういう映画を見て判るのは、やっぱりドイツだって「臭いものにはふた」という態度で歴史をあやふやにしてしまおうという勢力が強かったのである。しかし、そんな風潮に敢然と対抗した人々の勇気ある行動があって、ドイツの歴史認識が作られて行ったのだ。そういうことを、特に日本でも知って学んで伝えていかないといけないと思う。戦争認識をめぐる問題に関心がある人向けだけど、まあ、誰が見ても楽しめるように作ってある。そういうたくましさを見る意味があるかもしれない。
検事ヨハンは、アレクサンダー・フェーリングという人で、「イングロリアス・バスターズ」「ゲーテの恋」などに出てたというが、いかにもドイツ人的な美形男優。その恋人マレーネはフリーデリーケ・ベヒトという人で、「ハンナ・アーレント」の若き日を演じた人。監督・脚本は1965年イタリア生まれのジュリオ・リッチャレッリの初監督作。俳優も監督もとても覚えられない。