尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「三つの捏造」の意味するものー「袴田事件」再審無罪判決②

2024年09月29日 22時29分02秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 「袴田事件」に関しては、8月に文春新書から青柳雄介著『袴田事件 神になるしかなかった男の58年』が出た。昔出た本はあるが、近年は再審請求の真っ最中だったこともあり、「5点の衣類捏造説」後の情報を盛り込んだ一般向け書籍が見当たらなかった。(専門的な本やパンフレット類、ドキュメンタリー映画などはある。)袴田巌さんに密着しながら、事件内容を簡潔に紹介した本として貴重な本だと思う。また市民集会で聞いた小川弁護団事務局長の報告と合わせて事件の構造を見てみたい。

 最初に袴田巌さんのボクサー時代のことを書いておく。昔はよく「無実のプロボクサー」と呼ばれ、アメリカで映画にもなった元ウェルター級チャンピオン、ルービン・ハリケーン・カーター(1937~2014)と比べられた。彼は1966年に殺人罪で逮捕され終身刑を宣告されたが、無実の証拠が見つかり1988年に釈放された。この事件はデンゼル・ワシントン主演、ノーマン・ジェイソン監督で映画『ザ・ハリケーン』となった。またボブ・ディランの歌にもなっている。1993年には世界ボクシング評議会(WBC)から、世界ミドル級名誉チャンピオンの称号とベルトを授与された。
(ボクサー時代)
 袴田さんも2014年に釈放された後、世界ボクシング評議会(WBC)認定の名誉チャンピオンの称号を受けた。世界でただ二人である。袴田さんは中学卒業後にボクシングを始め、国体で活躍した。1959年に上京してプロボクサーとなり、最高位は全日本フェザー級6位だった。さて先の新書で初めて知ったが、当時寺山修司がボクサー袴田に注目し、「渋いファイトをする」と書いていた。しかし、「今なお日本最多記録である年間十九試合」に出場し、体を壊して1961年に引退したのである。同時期に東京拘置所にいた石川一雄さんは、運動時にシャドーボクシングをしていたと記憶を語っていた。

 さて今回の無罪判決は、「三つの捏造」を指摘した。「自白」「衣類」「共布」である。このことは大きな驚きと衝撃をもって受けとめられた。何故なら弁護団も「5点の衣類」捏造は主張したが、「自白の捏造」などは(言葉としては)主張していなかったからである。そもそも今回検察側は「自白調書」「5点の衣類」がなくても、有罪は立証出来るという理解不能な方針で死刑を求刑した。多くの冤罪事件は検察側提出の「自白」が「新鑑定」によって揺らぐという成り行きで、再審無罪となることが多かった。しかし、今回は検察側は「自白調書」を証拠請求しなかったのである。

 再審では弁護側から「自白調書」が無罪の証拠として提出されたのである。どうして検察が提出できなかったかと言えば、今までないとされてきた「録音テープ」が証拠開示された結果、警察の取り調べに拷問、強要、偽証があったことが明らかになったからである。さらに今まで思われていた以上に、長時間の取り調べがあったらしいこと、自白調書の日付などにも食い違いがあることも判ってきた。それらを総合して、裁判所は「自白は捏造」と判断したのである。

 「自白の捏造」とは、検察も「証拠価値のない自白」だったと知っていたと判断したのである。検察側は「5点の衣類」を捏造する動機がない、何故なら「犯行時の着衣はパジャマ」という「自白」をもとに起訴していたからと反論した。検察が自白を揺るがす「証拠捏造」を自らするはずがないというわけである。しかし、当時公判では「パジャマの血痕は少なすぎる」という疑問が出されていた。つまり「物証」がなくなる危機にあった。1966年11月15日の初公判で無罪を強く主張、67年8月31日に味噌タンクから「5点の衣類」発見、68年5月に求刑、最終弁論という日程を見ると、検察側も衣類を長く味噌に漬けておく時間がなかった。
(5点の衣類)
 一審途中で出現した「5点の衣類」は、「共布」(ともぎれ)が袴田母宅で押収されたことによって、様々な疑問が出されつつも「有罪」の最大根拠となってきた。「赤みが残っているのは不自然」という論点は再審開始の重大ポイントになった。しかし、「血を味噌に漬けるとどうなるか」を研究している学者なんかいなかった。最初は支援者の一市民が実験したのである。そこら辺の科学論争はここでは触れない。その問題と別にしても幾つも疑問がある。返り血を浴びたはずなのに、ズボンより(下着の)ステテコに赤みが残っているのは不自然だ。シャツにあるというかぎ裂きなど不自然な点が多すぎる。
(ズボンがはけなかった)
 特に裁判中にはかせてみたら「ズボンがはけなかった」問題。検察は「味噌漬けで縮んだ」「獄中で太った」と主張した。そしてズボンにある「B体」というタグを「大型」と主張したのだが、実はこれは「色」を示す記号だった。そして、公判中に衣料会社から検察充てにそのことが示されていた。証拠開示でそのことがはっきりしたが、検察側は公判中にそのことを隠して「ズボンは袴田のもの」と主張したのである。これは「捏造」を知っていた証拠と言えるだろう。
 
 「5点の衣類」が捏造なら、当然「共布」も捏造になる。実は当初から不自然なことが多かった。共布なんか、普通はどこにあるか覚えてないものだろう。時間をかけてタンスを探し回ったかと思うと違った。それまでに家宅捜索した場所から、5分ほどで「あった」となって帰ったらしい。そして「ズボンと共布が同じ布である」という科学的鑑定が出る前に、裁判所に証拠請求していた。これらを総合判断すれば「共布は捏造」、つまり「捜査側が仕込んだ」ということになる。今までにもそういう疑惑のある事件は幾つもあるが、裁判所がはっきりと認定したのは初めてではないか。この判断は他の事件にも影響するだろう。
(「凶器」のくり小刀)
 裁判所は以上3つを「捏造」と判断したが、僕はもっと多くの捏造があったと考えている。再審では「5点の衣類」を中心に争われたので、他の論点に触れられていないだけである。特に「凶器」とされた「くり小刀」は不可解。4人も殺害され、特に専務の男性は体格も大きくスポーツマンだったというのに、こんな小さな凶器だったとは考えにくい。弁護団は真犯人は「怨恨・複数犯」と主張している。事件を虚心坦懐に見てみるなら、誰でもそういう結論になるのではないか。たまたま手近なところに「ボクサー崩れ」がいたという偏見で、見込み捜査、自白強要が行われ、ついに証拠捏造に至った。それが真相だと思う。

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