少し涼しくなってきたので、どこかへ出掛けたい。栃木県足利市の鑁阿(ばんな)寺と足利学校に行ってみようと思った。どっちも30年ぐらい前に行ってるのだが、その後に鑁阿寺が国宝に指定された。また、「日本100名城」にも選定された。えっ、単にお寺としか思わなかったけど、鑁阿寺はお城だったの? そう思うと、ここは「足利氏宅跡」として国史跡になっていた。
ここは京都で将軍になる前、鎌倉時代に作られた中世武士の館だったのだ。だから寺の周囲は濠で囲まれ土塁が築かれている。そこに足利氏によって寺が建てられ、1234年には足利氏の氏寺になった。鑁阿(ばんな)は足利氏2代目義兼の出家後の法名。(足利尊氏は8代目。)「鑁阿」はサンスクリット語を漢字にあてただけで、「大日如来」のことを指す。
(鑁阿寺本堂=国宝)
国宝指定の本堂は1199年に持仏堂が作られた。その後火災で焼失していたものを、足利義兼によって1299年に建立された。15世紀初頭に全面的に改築されている。「密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重」と寺のホームページに出ている。100名城スタンプは本堂を登ったところにある。関東地方の国宝建造物は数少なく、昔は日光と鎌倉(円覚寺舎利殿)と東村山の正福寺地蔵堂しかなかった。その後、埼玉県の歓喜院聖天堂、迎賓館、富岡製糸場も指定されている。京都・奈良などと比べると、歴史が浅いなあと思う。鑁阿寺は2013年に指定された。
本堂以外に、重要文化財指定建造物が二つあって、それが一切経堂と鐘楼。一切経堂は美しさでは一番かなと思う。現存のものは、1407年に関東管領足利満兼により再建されたものとある。普段は外部のみ見学だが、内部を公開する日もあるらしい。鐘楼はホームページに出てないのでよく判らない。県や市指定文化財の建造物は他にもあるが、長くなるから省略。
(本堂)
(一切経堂)
(鐘楼)
今回は「100名城」として行ったので、やはり周囲を見ないと。その濠や土塁は確かに言われてみれば、これはただのお寺ではない。奈良や京都の寺に行って、こういう風に囲まれている所はないだろう。しかし、中世武士の館と言われても何の痕跡もなく、今では普通のお寺として見る人が多いはず。お城という感じは受けないが、そこにこそ「100名城」選定の意義がある。中世の山城、武士の館からアイヌのチャシ遺跡群や吉野ヶ里遺跡も選ばれていて、「城」への意識を大きく拡大していた。
(濠と土塁に囲まれて)
本堂前には大銀杏があって、それもみどころ。境内は緑に覆われ、紅葉すると見事だろう。門も正面の楼門だけでなく、西門、東門が残っている。多くの寺は四方から自由に入れると思うが(見学無料の場合)、そこは武士の館で濠があって入れない。入る時には門を通る必要がある。濠には鴨が多数泳いでいて、大きな鯉もいた。
(境内)
(大銀杏)
(西門)
鑁阿寺の前に足利学校に行った。建物は国宝じゃないが、収蔵物には国宝がある。中に入るには有料だが、いろいろ見られて歴史好きには面白い。「日本最古の学校」をうたい、近世の藩校などと一緒に「日本遺産」になっている。「めざせ!世界遺産」だそうである。正確な創建年代は不明だが、室町時代の上杉憲実(関東管領)が再興につとめて「庠主(しょうしゅ)」(学長)制度を設けた。関東を中心に全国から学徒が集まり、ザビエルが「最も有名な坂東の大学」と紹介したことで知られる。戦国時代に「軍師」と呼ばれた人も、多くはここで学んだことが明らかになっている。
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上杉氏が滅びると後北条氏が保護し、その滅亡で危機に陥ると徳川家康に接近して存続できた。もともと寺だったところで仏像もあるが、孔子堂も作られ江戸時代には儒教の古書が保管された場所として尊重されたという。つまり学校というより、図書館として続いたわけである。その後紆余曲折あったが、1921年に国史跡に指定され保存されるようになった。1990年には建物と庭園が復元され、歴史ムードを感じられる場所になっている。
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方丈(ほうじょう)は学生が講義を受けたり行事などに使われた場所だが、復元施設。中に入れるので、上がってみるとここで勉強するのかと面白い。漢字テストが置いてあったが、やらなかった。その奥に「庫裏」(くり)、つまり台所がある。そこら辺が足利学校の中心で、有料チケットを買わないと入れない。
(庭)
(歩道橋から)
(訪れた人々)
図書館の入口に「今までに訪れた人々」が書かれていて、古くは林羅山から渡辺崋山、吉田松陰、高杉晋作、近代になると渋沢栄一、大隈重信、乃木希典、東郷平八郎など多彩な顔ぶれが来ていたことが判る。学びに来たと言うよりは、まあ観光みたいな人が多いと思うが。車で行って太平記館の駐車場(無料)に停めた。そこは太平記の解説施設じゃなくて、単にお土産所だった。足利名物の「古印最中」などを買って帰ってきた。他に行きたいところもあったが、行きに渋滞にハマったのでさっさと帰宅。
ここは京都で将軍になる前、鎌倉時代に作られた中世武士の館だったのだ。だから寺の周囲は濠で囲まれ土塁が築かれている。そこに足利氏によって寺が建てられ、1234年には足利氏の氏寺になった。鑁阿(ばんな)は足利氏2代目義兼の出家後の法名。(足利尊氏は8代目。)「鑁阿」はサンスクリット語を漢字にあてただけで、「大日如来」のことを指す。
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国宝指定の本堂は1199年に持仏堂が作られた。その後火災で焼失していたものを、足利義兼によって1299年に建立された。15世紀初頭に全面的に改築されている。「密教寺院における禅宗様仏堂の初期の例として、また関東地方における禅宗様の古例として貴重」と寺のホームページに出ている。100名城スタンプは本堂を登ったところにある。関東地方の国宝建造物は数少なく、昔は日光と鎌倉(円覚寺舎利殿)と東村山の正福寺地蔵堂しかなかった。その後、埼玉県の歓喜院聖天堂、迎賓館、富岡製糸場も指定されている。京都・奈良などと比べると、歴史が浅いなあと思う。鑁阿寺は2013年に指定された。
本堂以外に、重要文化財指定建造物が二つあって、それが一切経堂と鐘楼。一切経堂は美しさでは一番かなと思う。現存のものは、1407年に関東管領足利満兼により再建されたものとある。普段は外部のみ見学だが、内部を公開する日もあるらしい。鐘楼はホームページに出てないのでよく判らない。県や市指定文化財の建造物は他にもあるが、長くなるから省略。
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今回は「100名城」として行ったので、やはり周囲を見ないと。その濠や土塁は確かに言われてみれば、これはただのお寺ではない。奈良や京都の寺に行って、こういう風に囲まれている所はないだろう。しかし、中世武士の館と言われても何の痕跡もなく、今では普通のお寺として見る人が多いはず。お城という感じは受けないが、そこにこそ「100名城」選定の意義がある。中世の山城、武士の館からアイヌのチャシ遺跡群や吉野ヶ里遺跡も選ばれていて、「城」への意識を大きく拡大していた。
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本堂前には大銀杏があって、それもみどころ。境内は緑に覆われ、紅葉すると見事だろう。門も正面の楼門だけでなく、西門、東門が残っている。多くの寺は四方から自由に入れると思うが(見学無料の場合)、そこは武士の館で濠があって入れない。入る時には門を通る必要がある。濠には鴨が多数泳いでいて、大きな鯉もいた。
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鑁阿寺の前に足利学校に行った。建物は国宝じゃないが、収蔵物には国宝がある。中に入るには有料だが、いろいろ見られて歴史好きには面白い。「日本最古の学校」をうたい、近世の藩校などと一緒に「日本遺産」になっている。「めざせ!世界遺産」だそうである。正確な創建年代は不明だが、室町時代の上杉憲実(関東管領)が再興につとめて「庠主(しょうしゅ)」(学長)制度を設けた。関東を中心に全国から学徒が集まり、ザビエルが「最も有名な坂東の大学」と紹介したことで知られる。戦国時代に「軍師」と呼ばれた人も、多くはここで学んだことが明らかになっている。
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上杉氏が滅びると後北条氏が保護し、その滅亡で危機に陥ると徳川家康に接近して存続できた。もともと寺だったところで仏像もあるが、孔子堂も作られ江戸時代には儒教の古書が保管された場所として尊重されたという。つまり学校というより、図書館として続いたわけである。その後紆余曲折あったが、1921年に国史跡に指定され保存されるようになった。1990年には建物と庭園が復元され、歴史ムードを感じられる場所になっている。
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方丈(ほうじょう)は学生が講義を受けたり行事などに使われた場所だが、復元施設。中に入れるので、上がってみるとここで勉強するのかと面白い。漢字テストが置いてあったが、やらなかった。その奥に「庫裏」(くり)、つまり台所がある。そこら辺が足利学校の中心で、有料チケットを買わないと入れない。
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図書館の入口に「今までに訪れた人々」が書かれていて、古くは林羅山から渡辺崋山、吉田松陰、高杉晋作、近代になると渋沢栄一、大隈重信、乃木希典、東郷平八郎など多彩な顔ぶれが来ていたことが判る。学びに来たと言うよりは、まあ観光みたいな人が多いと思うが。車で行って太平記館の駐車場(無料)に停めた。そこは太平記の解説施設じゃなくて、単にお土産所だった。足利名物の「古印最中」などを買って帰ってきた。他に行きたいところもあったが、行きに渋滞にハマったのでさっさと帰宅。
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