2021年6月23日に、最高裁大法廷は「夫婦別姓」を定めた戸籍法の手続きを合憲とする決定を下した。最高裁が以前の判断を変えない場合は、「小法廷」で決定を下すのが普通である。今回は15人の最高裁裁判官全員が関わる「大法廷」に回付された。その時点で「何らかの新しい憲法判断」がなされるのかと僕は予想しないでもなかった。結果的には新しい判断はどこにもなかった。2015年の最高裁判決を踏襲する判断でしかなく、その時は少数意見の違憲判断が5人だったのが今回は4人に減ってしまった。
(最高裁で「夫婦別姓」合憲判断)
僕もよく知らなかったのだが、今回の訴訟は戸籍法の規定によって婚姻届を受け付けられなかったことを受けて、家庭裁判所に家事審判を訴えたものである。裁判ではないので、原決定に対する特別抗告審になる。普通の裁判のような「判決」ではなく、単に「決定」である。裁判のニュースでよく並んだ裁判官を映す画像が出るが、今回はそういう画像もないし「不当判決」といった垂れ幕もない。判決言い渡しがないのである。2015年の訴訟は民法の規定を違憲として賠償を求めた民事訴訟だった。だから形式的に言えば、裁判の形が違っていて「新しい判断」と言えないこともない。それが大法廷に回された理由なのか。
(申立人の主張)
2015年訴訟を巡っては記事を5回書いた。基本的なことはそこで書いたので、リンクを貼っておく。
「夫婦別姓」問題①-最高裁判決の読み方(2015.12.21)
「女性の進出」問題-夫婦別姓問題②(2015.12.22)
「少子高齢化」の問題-夫婦別姓問題③(2015.12.23)
「子どもの姓」問題-夫婦別姓問題④(2015.12.24)
「事実婚」と「戸籍制度」-夫婦別姓問題⑤(2015.12.25)
その後も時々触れているが、最近では今年2月に以下の記事を書いた。
「夫婦別姓」に対応しない自民党ー結婚の「規制緩和」が必要だ(2021.2.15)
「夫婦別姓」は特に奇抜な要求でも何でもなく、もともとは1996年の法制審議会答申で出されたものである。日本が1985年に批准した女性差別撤廃条約によって国籍法が改正され、父親だけでなく母親が日本国籍である場合でも子どもに日本国籍が与えられるようになった。そのような法的整備の一環として、「婚姻年齢の統一」(2022年4月から実施)、「女性のみの再婚禁止期間引き下げ」、「婚外子の相続差別廃止」と並んで、「選択的夫婦別姓」が求められたのである。今や日本にのみ残っている「夫婦同姓強制制度」がなんで変わらないのか。
それは自民党の一部に強硬な反対論があるからだ。国会議員全体を見れば、野党議員の多くは賛成派だと思われるし、自民党内にも賛成派がいるから「党議拘束」を外せば成立するのではないか。つまり法的な性格を持たない「政党」という私的結社の都合で、「国民の代表」である国会で議論も出来ない。むろん野党側では何度も議員立法として提出しているのである。しかし、国会では与野党共同で提出する以外、議員立法は審議すらされないことがほとんどだ。まして採決まで行くということはあり得ないのである。しかし、それは国会の「慣習」に過ぎない。
日本の最高裁は政治的問題をめぐる裁判では消極的になることが一般的だ。憲法は「国権の最高機関」を国会としている。だから国会には大きな裁量権があるとするのも理解出来なくはない。しかし、国会が一向に判断を下さない場合はどうなるのか。2015年も、2021年も、多数意見は議論を国会にゆだねた。思い出すのは「一票の平等」をめぐる「議員定数訴訟」である。1976年に初めて違憲判決が出るまでには、門前払いされる訴訟が何回もあった。その後何度も違憲判決が出ているが、それを受けて国会としても選挙区の区割りや議員定数を変えるなどの対策が行われた。まだ完全とは言えないが、最近は「違憲状態」と認めながらも、「選挙は有効」という「事情判決」が出ることがある。
(最高裁裁判官の多数意見、少数意見の顔ぶれ)
僕は今回はこの「事情判決」が出る可能性があると思っていた。「婚姻届」で「同姓」を求めるのは、憲法違反とまでは言えない。しかし、女性に姓の変更が求められることが多く、働く女性に不利になっている現状は否定できない。それを「事実上の違憲状態」ととらえ、国会が何らかの対応を講じない場合は「違憲」となりうるという論理である。今回はまだ「合憲」だが、国会が結論を出せない場合は違憲判決になりますよという判断である。今も他に行われている裁判があるようだ。自民党がいつまでも放っておくと、いつか必ず違憲判決が出るのではないか。
「選択的夫婦別姓」は損する人が誰もいない。同姓にしたい人は同姓にすればいいし、結婚制度に縛られたくない人は事実婚のままでいい。もちろん結婚しない、したくない人にも影響しない。「親子の姓が異なるようになる」という人がいるが、今もそういう子どもは、親の離婚・再婚に伴って現実にたくさんいる。日本は古来から夫婦別姓というのも大間違いで、源頼朝の妻は北条政子だと皆習ったはず。保守派が「守るべき伝統」というのは大体が明治以後の「創られた伝統」である。この程度のことさえ解決できない日本の政治では困る。これより大変な問題は何も解決できず、有望な若者が日本を去ってしまう。それを憂えるのである。
(最高裁で「夫婦別姓」合憲判断)
僕もよく知らなかったのだが、今回の訴訟は戸籍法の規定によって婚姻届を受け付けられなかったことを受けて、家庭裁判所に家事審判を訴えたものである。裁判ではないので、原決定に対する特別抗告審になる。普通の裁判のような「判決」ではなく、単に「決定」である。裁判のニュースでよく並んだ裁判官を映す画像が出るが、今回はそういう画像もないし「不当判決」といった垂れ幕もない。判決言い渡しがないのである。2015年の訴訟は民法の規定を違憲として賠償を求めた民事訴訟だった。だから形式的に言えば、裁判の形が違っていて「新しい判断」と言えないこともない。それが大法廷に回された理由なのか。
(申立人の主張)
2015年訴訟を巡っては記事を5回書いた。基本的なことはそこで書いたので、リンクを貼っておく。
「夫婦別姓」問題①-最高裁判決の読み方(2015.12.21)
「女性の進出」問題-夫婦別姓問題②(2015.12.22)
「少子高齢化」の問題-夫婦別姓問題③(2015.12.23)
「子どもの姓」問題-夫婦別姓問題④(2015.12.24)
「事実婚」と「戸籍制度」-夫婦別姓問題⑤(2015.12.25)
その後も時々触れているが、最近では今年2月に以下の記事を書いた。
「夫婦別姓」に対応しない自民党ー結婚の「規制緩和」が必要だ(2021.2.15)
「夫婦別姓」は特に奇抜な要求でも何でもなく、もともとは1996年の法制審議会答申で出されたものである。日本が1985年に批准した女性差別撤廃条約によって国籍法が改正され、父親だけでなく母親が日本国籍である場合でも子どもに日本国籍が与えられるようになった。そのような法的整備の一環として、「婚姻年齢の統一」(2022年4月から実施)、「女性のみの再婚禁止期間引き下げ」、「婚外子の相続差別廃止」と並んで、「選択的夫婦別姓」が求められたのである。今や日本にのみ残っている「夫婦同姓強制制度」がなんで変わらないのか。
それは自民党の一部に強硬な反対論があるからだ。国会議員全体を見れば、野党議員の多くは賛成派だと思われるし、自民党内にも賛成派がいるから「党議拘束」を外せば成立するのではないか。つまり法的な性格を持たない「政党」という私的結社の都合で、「国民の代表」である国会で議論も出来ない。むろん野党側では何度も議員立法として提出しているのである。しかし、国会では与野党共同で提出する以外、議員立法は審議すらされないことがほとんどだ。まして採決まで行くということはあり得ないのである。しかし、それは国会の「慣習」に過ぎない。
日本の最高裁は政治的問題をめぐる裁判では消極的になることが一般的だ。憲法は「国権の最高機関」を国会としている。だから国会には大きな裁量権があるとするのも理解出来なくはない。しかし、国会が一向に判断を下さない場合はどうなるのか。2015年も、2021年も、多数意見は議論を国会にゆだねた。思い出すのは「一票の平等」をめぐる「議員定数訴訟」である。1976年に初めて違憲判決が出るまでには、門前払いされる訴訟が何回もあった。その後何度も違憲判決が出ているが、それを受けて国会としても選挙区の区割りや議員定数を変えるなどの対策が行われた。まだ完全とは言えないが、最近は「違憲状態」と認めながらも、「選挙は有効」という「事情判決」が出ることがある。
(最高裁裁判官の多数意見、少数意見の顔ぶれ)
僕は今回はこの「事情判決」が出る可能性があると思っていた。「婚姻届」で「同姓」を求めるのは、憲法違反とまでは言えない。しかし、女性に姓の変更が求められることが多く、働く女性に不利になっている現状は否定できない。それを「事実上の違憲状態」ととらえ、国会が何らかの対応を講じない場合は「違憲」となりうるという論理である。今回はまだ「合憲」だが、国会が結論を出せない場合は違憲判決になりますよという判断である。今も他に行われている裁判があるようだ。自民党がいつまでも放っておくと、いつか必ず違憲判決が出るのではないか。
「選択的夫婦別姓」は損する人が誰もいない。同姓にしたい人は同姓にすればいいし、結婚制度に縛られたくない人は事実婚のままでいい。もちろん結婚しない、したくない人にも影響しない。「親子の姓が異なるようになる」という人がいるが、今もそういう子どもは、親の離婚・再婚に伴って現実にたくさんいる。日本は古来から夫婦別姓というのも大間違いで、源頼朝の妻は北条政子だと皆習ったはず。保守派が「守るべき伝統」というのは大体が明治以後の「創られた伝統」である。この程度のことさえ解決できない日本の政治では困る。これより大変な問題は何も解決できず、有望な若者が日本を去ってしまう。それを憂えるのである。