尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

これは傑作、『わたしは最悪。』ーノルウェー女性の「自分探し」

2022年07月14日 22時15分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 カンヌ映画祭女優賞米国アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートの『わたしは最悪。』(英語題「The Worst Person in the World」)という映画が公開されている。まあ賞を取っているんだから、それなりに面白いだろうとは思って見に行ったが、始まってすぐ「オッ、思った以上の傑作だぞ」と居住まいを正して見ることになった。監督のヨアキム・トリアーは、デンマークの人だがノルウェーの首都オスロで撮影した「オスロ三部作」の3本目だそうである。『母の残像』『テルマ』という映画が日本で公開されたが、見てないので初めて。アカデミー賞で脚本賞にもノミネートされているのが凄い。

 冒頭では医学部の大学生だったユリヤレナーテ・レインスヴェ)は、解剖でつまづいて自分は医者向きじゃないと悟る。成績が良かったから医学部へ行ったって、ノルウェーでもそんなことがあるんだ。でも人間の体ではなく、心に関心があるんだと心理学部に転部。だけど、学問より表現を求めていたと気付いて写真の勉強に。こういう「自分探し」をしているうちに、大学の本屋でアルバイトしながら、何となく年取って段々30歳に近づいている。って、何だか日本でもありそうな設定である。
(ヨアキム・トリアー監督)
 最初にこの映画は12章とプロローグ、エピローグで構成されると出る。その連作小説的構成と巧みなナレーションによって、見る者は快調な流れに乗せられてしまう。ということで、天職にも運命の男性にも巡り会わなかったユリヤだが、ある日突然年上の漫画家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と出会ってしまう。女性嫌悪のようなコミックを描いて評判を取っている人で、最初の印象は悪かったが突然恋におちる。ただ、もう40歳過ぎのアクセルは身を固めたい願望がある。家族のパーティにも連れて行くし、子どもが欲しいという。でも、愛しているんだけど、今ひとつユリヤはそこまで踏み切れない。
(アクセルと)
 そんな時にたまたま知らないパーティに潜り込んだら、アイヴィン(ハーバート・ノードラム)と出会って、何だか気になる。そうしたら働いている本屋にアイヴィンと妻がやってくる。何故かアイヴィンにも惹かれてしまうユリヤ。ある日、突然アイヴィンに会いたくなって家を飛び出すと、世界は停まっている。つまり、街にいる人物は動かない中をユリヤだけが駆け抜けていく。オスロの街をリリカルに映し出す素晴らしいシーンだ。そして、アクセルに別れを告げてしまう。
(街を走るユリヤ)
 というように、ユリヤをめぐる小世界を描くだけだし、ユリヤは仕事も恋愛もどうなのよという話である。でも、キビキビした展開の構成が素晴らしいのである。脚本の妙である。撮影も素晴らしい。オスロの街をとても魅力的に描き出す。世界観に共鳴するわけでもなく、特に主張を強く打ち出すわけでもない。むしろ「最悪なわたし」を描いているわけだが、そこがアラサー女性「あるある」感いっぱい(なんだと思うけど)。もうずいぶん昔のことになってしまった僕にさえ、心に響いてくる。それがアートの力というもんだろう。
(アイヴィンとタバコの煙を渡しあう)
 ヨアキム・トリアー(1974~)は、デンマークの巨匠ラース・フォン・トリアーの遠縁なんだという。21世紀になって、映画やミステリー小説で北欧の活躍が素晴らしい。今年のアカデミー賞の国際長編映画賞は『ドライブ・マイ・カー』が受賞したが、出来映えは匹敵すると僕は思った。一体、彼女はどうなるの? 別れたアクセルは? など最後まで目が離せない。内容からして、やはり20代、30代ぐらいの女性観客の方が共感度は高いと思う。しかし、これを見逃すのはもったいなさすぎる。この語り口のうまさは絶品だ。そして、自分の人生も振り返ってみることになる。
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