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絵本の話を中心に、好きなもの、想うことなど。

梨木3作品

2010-02-16 15:53:24 | 好きな本
西の魔女が死んだ』と、『ペンキや』『ワニ』の、短い絵本の作品は
読んだことがあり、うまいなあと思ったのですが、その後が続かなかった、
梨木香歩さんの作品。
去年の今頃も、ことり文庫さんの、ことり便に入ってた『りかさん』を頼もうか
どうしようか迷い、結局やめたのでした。

そのときやめた理由は、人形とおばあさん。
梨木さんの他の作品にも、おばあさんはよく出てくるみたいで‥父方の祖母が
自分にとって特別な存在だったからか、おばあさんものに手を出すときは
なんかびくびくしてしまうのです。


それなのに、今年になってから続けて3冊、梨木さんの本を読みました。
きっかけは、ある日、ブログ散歩をしていて、ほのぼの文庫さんのブログの脇に
家守綺譚の植物アルバムというリンクを見つけたことでした。

001のサルスベリからはじまって、111の槇まで、お馴染みの花もあれば、
初めて名前を知る植物もあって、図鑑としてだけでも十分楽しいものでした。
それらの植物が、話にすべて入っていることにとても興味を持ち、早速
家守綺譚』を借りに図書館へ。そして、そこで目にとまった他2冊も、
一緒に借りてきました。



家守綺譚』  梨木香歩


綺譚とは、珍しいはなし、不思議なはなしという意味。
縁あって、亡き親友、高堂の家に住まわせてもらい、「家を守る」ことになった
もの書きの綿貫征四郎と、彼のまわりで起こる現実と非現実が、分け隔てなく
淡々と悠々と綴られています。

この世にはいないはずの高堂が、最初に綿貫の前に姿を現したのは、
風雨がひどい晩、掛け軸の中に描かれている水辺に、ボートを漕いで、でした。

ーどうした高堂。
私は思わず声をかけた。
ー逝ってしまったのではなかったのか。
ーなに、雨に紛れて漕いできたのだ。
高堂は、こともなげに云う。

ボート部に所属していた高堂は、湖でボートを漕いでいる最中に行方不明になり
それっきり、ということだったので、ボートに乗って現れるのも、当然といえば
当然のようですが、私は、こちらの世界と、あちらの世界は、大きな川で遮られていて、
両者の間には、橋がかかっているという漠然としたイメージを持っていたので、
この「ボートを漕いで」は、とても新鮮に思えました。

湖の底の禁断の葡萄。口にしたものと、しなかったもの。
征四郎を思いとどまらせたのは、自分では感じていなかったでしょうが、
犬のゴローや隣のおばさんの存在があったからかも、と私は思いました。
(隣のおばさんは、話の中でとてもいい味だしてました)



エンジェル・エンジェル・エンジェル


コウコとおばあちゃんの話。
私が、びくびくしていた「おばあさんもの」です。

とてもよくできている話でしたので、一気に読んでしまいました。
今の、コウコとおばあちゃんの場面と、おばあちゃんの回想場面が交互に
語られていきますが、おばあちゃんのシーンは、今はもう誰も使わないような
丁寧な言葉になっていることに、遥かな時間の流れを感じました。
死んでゆく前に、ひっかかりが解けてよかったといったらいいのか、ひっかかりが
解けたから、やっと死んでいくことができたのか‥。
おばあちゃんのことを思うと、胸が疼くけれど、名前のことといい、天使のことといい、
すべてがきれいに納まっておわるのが心地よく、それで気持ちも少し軽くなりました。




りかさん

こちらは、ようことおばあちゃんの話。
ことしの雛人形を出す前に、読んでおこうという気持ちになりました。

それだけでなく、桜蕾染めをする前に読めたことが、なんか偶然では
なかったかも、と後からですが、思いました。

強すぎる思いは、人形にくみとってもらったり、また逆に、人形が抱き続けてきた
想いを、持ち主になった人間が聴いてあげたり。

そういうことって、対人形だけでなく、対植物でも同じだなーとなんとなく思います。


今日、今年の雛人形を飾りました。
足りないお道具はないかしら。男雛はちゃんと冠をかぶっているかなと
いつになく点検してしまいました。それから、ひとりひとり(ひとつひとつ)の
お人形の顔をじっくりと眺めました。



梨木作品、さらに3冊、図書館から借りてきました。
2月後半は、梨木強化月間です。


コメント (8)
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