昨夕、電動自転車で買い物に出かけた父が、なかなか帰ってこない。
と、思ったら、「自転車に乗っていて、こけて、背中を打った。ちょっと痛い。」と帰ってきました。
普通にソファに座っていたので、朝になって病院に連れて行くことにして、部屋に分かれて休みましたが、一晩中痛くて眠れなかったらしく、母も付き合って寝ていないと、朝になってようやくあわてだしました。
見ると、脂汗をかいて、ぜいぜいいっています。
病院に電話して、すぐ見てもらえるように準備して、車に乗せて行くと、肋骨はやはり折れていましたが、今回は打った衝撃で、片方の肺が破れて、いびつに押され、心臓ともう片方の肺が小さくなって、血液が溜まっています。
すぐに、パイプを入れて、空気を入れ、もう一方に溜まった血液を抜く。
という処置がされました。
処置はうまくいって、先生も満足。ところが、父は肺に繋がったパイプに慣れることがない。
何を食べて、立って歩いてもいいのですが、トイレに立つたびに、肺に繋がったパイプと反対側の、酸素を繋ぐパイプをはずし、帰ってくるとまた繋ぐ。
はずすのは、引っ張られるので思い出しますが、繋ぐのは何の抵抗もないので、忘れてしまいます。忘れると、また、肺が縮んでしまうので、大変。
看護士さんに言うと、ナースコールを押してください。
「大丈夫。一人でいけるから。」
「危ないから、押してください。」といわれると、「わかった。」と言いますが、しばらくすると、また「なんで、こんなんついてるのかな?」と、パイプをはずそうとしたり、「ナースコールはどれかおぼえてる?」と聴くと、テレビのリモコンを指差したり。
大ぼけの父はおもしろくって笑えるけれど、トイレのために目が離せない。
母ははずせない仕事があって、行ってしまったので、夕飯を食べるまで付き添い。
夜になって、看護士の妹が来て、何とかできないのか、看護士さんたちに聞いてくれたら、四角い板をベッドの降りたところに敷いて、その上に足が乗れば、ナースコールできるという優れものの道具を出してきてくれましたが、4台出しても、全て接触不良で鳴らない。聴いたら手作りで今日は作った本人が休み。
尿瓶も出してくれましたが、それでする気は無いのは、わかりました。
夜は広い病棟に看護士二人。
「よく見回るようにしますので。」と言ってくれたので、「よろしくお願いします。」と帰ってきました。
優れたシステムも、治療も、本人が理解し、納得すると言う前提に動きます。
父の場合、自分ひとりでできるというプライドも邪魔しているような気もします。
私は、今市子さんの「百鬼夜行抄」のお父さんを思い出してしまってしかたなかった。
まじめなサラリーマンだった父、ある日死んでしまいます。身体を焼く前に妖怪が憑依して、父として復活する。しかし、以前の父とは全く違う妖怪の人格になってしまいます。
息子は事実を知っていて、何とか付き合っていますが、驚いたことに何も知らない母は、「いてくれるだけで幸せ」と平然と受け入れて生活しています。
そのゴタゴタのおもしろいこと。
妖怪になった父もまた楽しめるかも。