音楽の喜び フルートとともに

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表現する

2012-12-07 22:08:24 | 哲学

この小さな花も、カーネーションの一種です。スターチェリーというそうです。『なでしこみたいだなぁ。』と思っていたら、カーネーションはナデシコ科ナデシコ属でした。

虐待を受けた子どもは、人を信じることが難しいです。
お母さんのそばで赤ちゃんは、泣いたり笑ったり、自分の感情を素直に表現しています。
表現していても、赤ちゃんは殺されることなく、ちゃんと育っています。
いま、大人になっている人は、全てそれが赦されてきた人です。

赤ちゃんの要求は100%はかないません。それでも、赤ちゃんは健やかに生きています。

世の中には少なからず暴力が存在しています。その暴力によって、徐々に子どもは表現することをやめていきます。
もっとも、大きな暴力は戦争。
私たちの親の世代の幼児期から子どもの時期は、この大きな暴力のもとにありました。

表現をすると、殺されるという社会の中で、息をひそめることを、複雑な社会情勢を理解する前に、子どもとして理不尽に体験してきて、その感情はほとんど理性により分別、処理されていません。

現実には戦時下は終わり、表現の自由を許される社会にあっても、人を信じることができず、表現することをよしとしません。この場合、表現の自由と、意見が通ることは別です。

信じないでいることが、生き残ることだという信念となって残っています。

しかし、現実には、笑っても泣いても、殺されずに平気で歩けていますし、殺されずに眠り、殺されずに食べています。人を信じているから、人のそばで眠り、安心していきています。

でも、情報を交換することに関しては、依然として人は信じられないというところに立って表現するのです。

戦時下にあって、どれだけの人が出陣する子どもにこっそりと「生きて帰っておいで」と囁いた母親がいたでしょう?
母親が、本当に母親だったら、こどもを出陣させたでしょうか?

母親である前に夫の妻であり、父親の娘であったから、戦争に喜んで協力した。
そして、怖いのは、戦後2世代は経ているのに、いまだにこの信念が世代を越えて生きていること。
私の中にもあって、人の前では素直な感情を表現することができない。
戦争という暴力が、長きにわたって人を病まわす。

情報交換無くして、人との交流は無い。素直な感情の表現は、その人がその人らしくその場にいたという証し。喜怒哀楽。のすべてを表現できているか?まだ、答えのない難問です。