シクラメン、今年一番花です。
今日はKさんと打合せ。
絵本に音楽をつける…音楽に絵本をつけるクリスマスコンサートの楽譜を渡しました。
Tさんが一緒に考えてくれたおかげで、出来上がったものを渡すことができます。感謝です。
それでも、「そこで、98小節目に飛んで、また113小節目に飛んで。」などなどややこしいことこの上ない。
Kさんに、シーン1から12まで説明するだけでも、30分ほどかかってしまいました。
それから、「弾いてみてもいい?」とKさん。「もちろん。お願いします。」と、Kさんと初合わせ。
Kさんの演奏はダイナミックです。pはよりp。fはよりf。とても アグレッシブ。これこそ、オペラ。
「初見やから、ゆっくりお願いします。」とKさんはいつも一度は言いますが、テンポは、大体私が考えているより早くなってきます。
1曲目のボロディンのノットゥルノは、「ゆっくりね。」「はい。」と、初めましたが、刻んでいるうちに早くなってきます。
終わったら、「もっと、ゆったりと演奏してもいい感じですよ。」と言わねばならないほどでした。
ドリーのMI-AOUは、連弾譜を見ながらなので、さすがにin tempoではありませんでしたが・・・。
でも、早くてもKさんは息をたっぷりとり、フレーズで歌うのを待ってくれるので、とっても演奏しやすくて、おもしろい。
シーン10と11のシュターミッツの3楽章も、「初見だからゆっくり・・・。」云々と、言ってましたがもう十分なin tempo以上です。
おもしろいから、付き合って吹いてしまいましたが、さすがに昔の映画の早送り音声みたいなので
次には、もうちょっとゆっくりしてもらおうっと。
幸いにも、フルートには伴奏が必要なので、パートナーがいつも必要です。
同じ楽譜をいろんな人とやるおかげで、その曲の持ついろんな可能性に気づかされます。
まるで、違う楽譜のようになる時もあります。
しかし、それが、音楽。
正しいとか、間違いとか。良いとか、悪いとかなんて軸で見る必要はない。
美しいかどうか?興味深いかどうか?
美しいはきれいではなくて生命が輝くような美しさがあるか?
人らしさがあるか?
どんな演奏にもあなたらしい美しさがある。
音楽で大事なのは、それだけなんだと思います。
ああこんなことを書くと誤解を招きますね。
だからって、表現のテクニックを磨かなくてもいいということではありません。人と共感するには、伝えるための言語や、表情が必要なように、テクニックは必要ですが、それは方法や道具のようなもの、道具は必要だけれど、目的や、内容ではない。
思いはみんなそれぞれに完璧。心も完全なもの。そこを変える必要はない。表現がうまくても下手でも関係ない。誰もが関心をもてば、聞くことができて、個性と多様性があって、違いがあるからこそ興味深い。
しかし、表現がうまくないと聞こえないなら、子どもたちや、障害のある人たちの声は一生聞こえてこない。音楽はそういうことと繋がなって欲しいと、私は考えているのです。
そして、その目的をできるだけ多くの人と叶えたいために、私は自分のテクニックを磨くのです。
磨けば、瑣末というほどの違いがわかる能力が身についてきます。その違いがまた、読み取る力、聞きとる力を向上させ、それが、言葉を持たない人の気持ちや、言葉以前の小さな気持ちの変化を表現する力を持つことができるようになり。
私や、あなたの気持ちを音楽にして、みんなと共感することができるようになる。
うまく言えないけれど、目指しているのはそんな音楽です。
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