今朝も母の病院へ。
無事終わりました。
樟葉モールのお店でランチして帰りました。
2色に分かれた空。
週末を過ごしたり仕事をしています。
生地の対岸で
この地でバレエ演者のイダ ルヴィンシュタインの依頼で書かれたのが「ボレロ」です。
男女ペアーになって踊るギターやカスタネットの音楽でにぎやかに踊るダンスです。
キューバからアメリカ合衆国を経てスペインに入って来ました。
無事終わりました。
樟葉モールのお店でランチして帰りました。
はちみつとチーズが売りのお店で、ちーずたっぷりのマルガリータのパスタ。こってりおいしかった。お腹パンパン!チーズの食べ放題を食べてみたかったけど、別腹でも無理でした。
帰り道
2色に分かれた空。
ソーダフロートみたいでした。
まだ、食べる?
モーリス ラヴェル(1875-1937年)フランス共和国シブール生まれ、フランス共和国パリ没
のボレロは、大変人気のある曲です。
1928年にバレエ曲として作曲されました。
スペインに近いバスク地方で、バスク人の母マリー、スイス生まれの父ジョセフのもとに生まれます。
バスク地方はバスク語という特別な言語を話し、ピレネー山脈のスペイン側とフランス側の両方にまたがって存在し、フランコ独裁政権に支配された時には、激しい抵抗を示しました。
ラヴェルは生後3ヶ月でパリに移住し、直接の影響はないものの、母のマリーに親しみを感じていて、成人後
サン=ジャド=リュスに別荘を持ち
週末を過ごしたり仕事をしています。
生地の対岸で
この地でバレエ演者のイダ ルヴィンシュタインの依頼で書かれたのが「ボレロ」です。
海水浴に訪れていた友人ギュスターヴ・サマズイユにこの曲の主題をピアノで弾いてみせ、単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返す着想を披露しました。
当初は『ファンダンゴ』という題名が予定されていましたが、『ボレロ』に変更しました。
ファンダンゴとはまさにスペイン起源のダンスで
男女ペアーになって踊るギターやカスタネットの音楽でにぎやかに踊るダンスです。
ボレロもやはりスペイン起源のダンスです。
ロートレックのボレロダンサー1895年
キューバからアメリカ合衆国を経てスペインに入って来ました。
ラヴェルはアメリカ合衆国を旅して帰国、別荘で作曲しています。
流行りの新しいリズムの名前を早速取り入れたのではないかと思います。
現在ではボレロといえばラヴェルのボレロがあげられます。
このようにして見ると 単一の主題をオーケストレーションを変更しながら何度も繰り返すラヴェルの着想が 執拗で 官能的であることに 気づかされる思いです。
すごいことだと 思います。
ちょっと 興奮しますね。
動画を観て懐かしくなりました
ボレロはジョルジュドンの踊りが好きでした
私の兄はシルヴィギエムが好きで🧚♂️
部屋にポスターを貼っていた時期がありました
演歌好きな母はボレロを聴くと砂漠が目に浮かぶと言っていました🐪
ダンスと一緒だと余計に強く感じますね。同じメロディーを違う楽器で演奏することでよりそれぞれの楽器の個性が際立ちオーケストレーションの魔術師ラヴェルの面目躍如の一曲ですね。
ジョルジュ・ドンのボレロよかったですね😀👍
シルヴィ・ギエムは女性で衝撃でした!
お母さま、すごい!イメージ力高いですね!