実家のゼニアオイが満開。もうちょっと、夏になってからのはずですが、今年はもう夏とみまがう暑さ。
暑いと涼し気な花もちゃんと咲いてくれるから。自然はうまくできています。
クローズアップ現代で、東大野球部を教えることになった桑田真澄さんのドキュメントをやっていました。
歴史に残る連敗記録を更新し続けているこの野球部をどう教えるのか?
と思ったら、いきなり「練習やり過ぎてますね。」と桑田さん。
どういうことだろう?と思っていたら、「5時間も6時間も練習をしていたら、普通は体が疲れて続かない。続かないものを続かせようと思うと、はじめから5時間続く練習の身体での練習になってしまうんです。」
5時間集中して全力で練習する。というのは、かなり大変なことです。とにかく5時間続かせなくてはならないととしたら、無意識に力をセーブして、集中力を落として練習してしまう。
・・・心当たりあります。
集中するといったら、一つのものしか見ず、何も考えず、力を入れてする。と思っている自分があります。
しかし、禅の修行僧は、座禅を組んでいたら、すべての感覚が、研ぎ澄まされて360度の方向に開かれている。といいます。部屋の隅でピンが落ちてもわかる状態。
長時間の練習の時、自分の感覚がどうなっているか?というと、ボウッとして、機械のように指が動いているだけ。一つ一つの音に、自分の身体のすみずみまで意識できているか?というと、疲れすぎて全く反対。ということがあるかもしれません。
人の体は、危機に対応するのに向いています。
一度でもそういうことがあると、本人の意思とは関係なく、脳は、全身に血流がいかず、疲れすぎることを回避しようとします。
そうなると、次回から、疲れすぎないように力をセイブするように脳から指令がでます。
それが、習慣ずいてしまうと、やれば、やるほど、下手になる。ということが起きてきます。
さて、どうすればそこから抜け出せるのか?
私たちはスポーツを楽しみ、音楽を楽しみたい。
プロの試合を楽しんだり、演奏を楽しむのは、そこに生命の輝きをみるから。
疲れてくたびれ果てた悲壮感の塊のような演奏や試合を見たいでしょうか?
達人は何時間やっても疲れない。しかし、人の身体に限界はあります。限界ギリギリのものを見たいという欲望もあるけれど、それも、安全、安心といものを保証された上のこと。
「野球は頭のスポーツだ。」とさらに桑田さんはいいます。
「頭を使って練習する。自分で考えること。」
その言葉の意味は、私は、感動することだと思います。自分の下手さに感動し、上手さに感動し、成功に感動し、失敗に感動する。どんなことも、この世は発見に満ち満ちています。
興味深く観察し、考察し、実験する。簡単なことです。
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