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ダンツィ器楽を制覇した作曲家

2022-01-04 21:52:34 | 古典
水仙が咲いていました。
巨椋神社

もともとは巨椋池の真ん中に位置したそうです。
江戸時代の巨椋池。

全長8キロ湖と言っても良いぐらいの大きさだったそうです。
万葉集、柿ノ本朝臣人麻呂に
「巨椋の 入江響むなり 射目人の 伏見が田居に 雁渡るらし」
詠まれ、豊臣秀吉によって、堤が作られたりしました。
1933~1941年に国営干拓され、巨椋池は埋め立てられ、農地となりました。

琵琶湖と大阪湾の間の巨大な池でした。

フルート四重奏を探していると、ダンツィに突き当たりました。
フランツ イグナーツ ダンツィ(1763-1899年)
1777-1781年マンハイムに滞在したモーツァルトはマンハイムオーケストラのチェロセクションにいた15歳の少年に気づいていませんでした。

フランツは音楽で高給を得ていた父親から初めの教育を受けました。

モーツァルトは後に、イドメネオの初演で彼のチェロを評価します。

彼は生涯、モーツァルトを尊敬していました。

レオポルド モーツァルトから師事を受けた有名な歌手マルガレーテ マルシャンと結婚します。

宮廷楽団のカペルマイスターの助手として働きますが、1800年妻が亡くなると職を辞します。

1807年シュトゥッツガルトでカール マリア フォン ウェーバーに出会い、親交を深めます。

1812年体調悪化のため
職を辞しカールスルーエに軽い職を得ます。
1826年病没します。

彼は当時、使用されていたほとんどの器楽曲を作曲しています。
それらの中で際立っているのは、いくつかのファゴット協奏曲、交響曲、そしてフルート、クラリネット、オーケストラのための協奏曲です。

アントン ライヒャが成功したのを見て、自分も木管五重奏曲を書いています。

バスーンとクラリネットのための交響曲



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