先月、夫と私の誕生月だからと次男が別府温泉宿泊をプレゼントしてくれました。
「ヤケイ」さん。
他の猿が密集して餌を食べていても、ヤケイさんとその娘が食べていると周りの猿は近付いて来ません。
から借りた本で勉強した。と言っています。
の指揮者になり、指導を行い、特殊な編成の楽団のために作曲しました。
1890年キャリス アイリーン長女誕生。
高崎山はいつの間にか女帝が即位していました。
「ヤケイ」さん。
猿のボスはわかりやすいそうです。
餌を猿の間に置いたら、順位下の猿は絶対に手を出さない。自分の方に近くても順位が上の猿がいると手を出さないで譲るそうです。
雄は顕著で全部順位が決まっているそうです。
雌はそうでもなかったそうです。雄の力で優位に立つ雌はいたそうですが、ヤケイさん前のボス ナンチュウさんを力でねじふせて首位に着いたそうです。
1953年、高崎山の猿園を開演して初めてのことだそうです。
他の猿が密集して餌を食べていても、ヤケイさんとその娘が食べていると周りの猿は近付いて来ません。
お猿の世界も厳しいです。
エドワード エルガー(1857-1934年)
イングランド ロウアー ブロードヒース生まれ、イングランド ウスター没
音楽に関心を持つ母親に音楽を教えられ、ピアノ調律師でヴァイオリンを演奏した父に連れられて、エルガーは地元の名士に幼い頃からヴァイオリンを披露してまわりました。
10歳で組曲「魔法の杖」を作曲し兄弟で演じました。
40年後若干の修正をし、オーケストレーションを施しました。
ヴァイオリンは専門教師に受講し、一般の学校に通いました。
エルガー自身はウスター大聖堂の音楽図書館
から借りた本で勉強した。と言っています。
ライプツィヒ音楽院に経済的に行くことができず、1872年弁護士の事務員として就職します。
数ヵ月後職を辞し、ウスター &カントリー精神科養護施設付属楽団
の指揮者になり、指導を行い、特殊な編成の楽団のために作曲しました。
ウスターの音楽祭でヴァイオリンパートとしてドヴォルザークの指揮で「交響曲第6番」「スターバト マーテル」を演奏しました。
1880年にパリでサン・サーンスのオルガン演奏、1882年シューマン、ブラームス、ルビンシュタイン、ワーグナーに浸りました。
29歳でキャロライン アリス ロバートと結婚。
「天才の面倒を見るというのはいかなる女性にとっても生涯の仕事として十分なものです。」という言葉通り彼を支え、なだめ、宣伝し彼の成功を助けました。
1890年キャリス アイリーン長女誕生。
その頃からミッドランズ合唱祭で作曲し名声を高めて行きました。
1899年ロンドンでハンス リヒターにより「エニグマ変奏曲」が演奏されると国内外で演奏され、評価が高まりました。
1901-1930年に5曲の「威風堂々」によって不動の名声を得ます。
第1曲は特にイギリスの風物詩。
BBCによって全世界に中継される音楽祭「プロムス」
1895年から続く、安く、より親しみやすいコンサートをという理念で続いているコンサートの最終日に演奏され、現在に至るまで客席も一体となり全員が合唱します。
チケット入手困難者が続出し、テレビ中継され、大画面による野外中継も雰囲気を盛り上げています。
コロナ下で無観客となり、今はテレビ中継のみ行われています。
今日のビデオ、ド迫力で鳥肌が立ちました!
大合唱のアンコールなんて如何にも彼方のお国らしくて。。。
クラシック等は普段聴く機会がありませんので、毎晩楽しみにしてます。有り難う御座います❗
数年前に亡くなられたゴダイゴのギタリスト・浅野孝已さんがレパートリーにされていた「威風堂々」を聴いて、Classicも聴いておかないとだめだなぁと思うキッカケになった思い出の曲です
でなければ、こちらのブログを継続して覗くこともなかったかもしれません...
でも、まだClassicのCDは2枚しか持っていませんけどね~
いつも温かいリアクション
ありがとうございます😊
札幌は記録的大雪(;_;)
天井が抜けたかと思うように雪が☃️☃️☃️
何処もかしこも雪の山・山・山(;_;)
気持ちも暗く重い(;_;)
エルガーの威風堂々の曲を聴いて〜♬
勇気・元気いっぱい頂きました(^-^)
今日もどうぞお元気でご活躍を!
みんなで集まって歌うのは今は無理ですが、イギリスの人は歌えるようになるのを待っていると思います。
聴いて頂いてありがとうございます。とても嬉しいです。
ゴダイゴの威風堂々ですか!知りませんでした。探して聴いてみますね👍
究極のCD二枚ですね。
何の曲なのか?興味津々😉
美味しそうな野菜や林檎、色鮮やかな絵手紙に温かいパワーが湧いてきます。
どうかご無事で、もう雪降りませんように🙏
男女を問わず、人のサポートできる人って素敵ですね。
エルガーの方も妻に支えられることを当たり前と考えず、「愛の挨拶」という曲を贈るなど、サポート無しではうまくいかないことを知っていて妻に感謝を日々示していたんじゃないかなぁ?と思うのです。