イオンのヴァレンタイン。
母の検診で病院へ。
空いています。
今日は元気になって来たので心電図だけ撮りましたが、足にむくみが出ているということで、4週後にまた検診になりました。
検査してないとわからないので。
そう弱っているようには見えません。
帰りにイオン久御山店に寄って、服を見出したら止まりません。
診察はサクサク終わったのに、結局お昼を食べて帰ることに。
何年かぶりにサイゼリアに入りました。
アサリのボンゴレ。
ここまでやるか!と思うほどアサリが入っていました。
これでも10個ほど食べてから思い出して撮りました。
食べてるから大丈夫かも。
舟歌は6/8拍子、あるいは9/8拍子で、元々は船頭が船を漕ぎながら歌った歌だと言われています。
Barkarolaイタリア語 Barkarolleフランス語
と呼ばれています。
労働歌の性格が強く、ロシアの「ヴォルガの舟歌」
メンデルスゾーン「ヴェネチアのゴンドラの歌」
チャイコフスキー
フォーレ
ラフマニノフ
オッフェンバック「ホフマンの舟歌」
他にもたくさんの作曲家がこのリズムで作っています。
カミーユ サン・サーンス(1835-1921年)
フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没
オルガニストとしてキャリアを始めたサン・サーンスはパリのオルガニストの最高峰といわれるマドレーヌ教会のオルガニスト
を務めた後、1861年から4年間ニデルメイエール音楽学校で教職につきます。
そこでフォーレ、メサジュ、ジグーを教え、フォーレとは生涯の友になりました。
普仏戦争後1871年にフォーレ、フランクと国民音楽協会を設立し、フランス音楽の振興に務めました。
私生活では1875年、弟子の妹であったマリ=ロール=エミリ・トリュフォ(Marie-Laure-Emile Truffot)と結婚し二児をもうけています。
1878年に息子たちが相次いで亡くなり、1881年には妻と事実上離婚しふたたび母親と暮らしています。
1888年に母親が亡くなってから14年のあいだは定住地を持たず、各地を旅行して過ごしました。
サン・サーンスの書いたピアノ四重奏曲「舟歌」op.108
は、1897年の作曲。
ヴァイオリン、ピアノ、チェロとハルモニウムのために作曲されました。
ハルモニウムはリードオルガンのことで
オルガニストだったサン・サーンスの感性にあったのでしょう。
今はヴィオラで演奏されることがおおいです。
これもヴィオラです。
これもヴィオラです。
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