音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

舟歌サン・サーンス

2022-02-07 22:00:59 | 近代
イオンのヴァレンタイン。

母の検診で病院へ。

空いています。
今日は元気になって来たので心電図だけ撮りましたが、足にむくみが出ているということで、4週後にまた検診になりました。

検査してないとわからないので。
そう弱っているようには見えません。
帰りにイオン久御山店に寄って、服を見出したら止まりません。
診察はサクサク終わったのに、結局お昼を食べて帰ることに。

何年かぶりにサイゼリアに入りました。

アサリのボンゴレ。
ここまでやるか!と思うほどアサリが入っていました。
これでも10個ほど食べてから思い出して撮りました。
食べてるから大丈夫かも。

舟歌は6/8拍子、あるいは9/8拍子で、元々は船頭が船を漕ぎながら歌った歌だと言われています。
Barkarolaイタリア語 Barkarolleフランス語
と呼ばれています。

労働歌の性格が強く、ロシアの「ヴォルガの舟歌」

メンデルスゾーン「ヴェネチアのゴンドラの歌」
チャイコフスキー
フォーレ
ラフマニノフ
オッフェンバック「ホフマンの舟歌」
他にもたくさんの作曲家がこのリズムで作っています。

カミーユ サン・サーンス(1835-1921年)

フランス王国パリ生まれ、フランス領アルジェリア アルジェ没

オルガニストとしてキャリアを始めたサン・サーンスはパリのオルガニストの最高峰といわれるマドレーヌ教会のオルガニスト




を務めた後、1861年から4年間ニデルメイエール音楽学校で教職につきます。

そこでフォーレ、メサジュ、ジグーを教え、フォーレとは生涯の友になりました。

普仏戦争後1871年にフォーレ、フランクと国民音楽協会を設立し、フランス音楽の振興に務めました。

私生活では1875年、弟子の妹であったマリ=ロール=エミリ・トリュフォ(Marie-Laure-Emile Truffot)と結婚し二児をもうけています。
1878年に息子たちが相次いで亡くなり、1881年には妻と事実上離婚しふたたび母親と暮らしています。

1888年に母親が亡くなってから14年のあいだは定住地を持たず、各地を旅行して過ごしました。

サン・サーンスの書いたピアノ四重奏曲「舟歌」op.108
は、1897年の作曲。
ヴァイオリン、ピアノ、チェロとハルモニウムのために作曲されました。

ハルモニウムはリードオルガンのことで

オルガニストだったサン・サーンスの感性にあったのでしょう。
今はヴィオラで演奏されることがおおいです。
これもヴィオラです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿