軽いアスペルガーの3年生のAくん。
今日は、旅行ごっこ、
「パリに行ってきま-す。」運動場を一周して「ただいま帰って来ました。」
「パリはどうでしたか?」
「なんか塔があった。」
「えっと、エッフェル塔かな?」
「うん、そうなの。じゃあ、次ロサンジェルス行きます。」
「いってらっしゃい」
「ただいま」
「ロサンジェルスはどうだった?」
「うん、ビルがいっぱいだった。」
「つぎはね、その旅行シリーズは終わってね。台湾、中国とえっとなんだっけ。」
「韓国?」
「ちがう。」
「ああ、えっとそうだったオーストラリア、台湾、中国、オーストラリア行ってきます。」
楽しかった。旅行ごっこ。
それから、泣き虫のBくん一年生。
「えーん。」とぼろぼろ泣きながらやってきました。
「どうしたの?」
「〇○ちゃんが、いやなこと言った。」
「いやなこと言われて悲しかったの?」
「ジャングル鬼いれてくれないって。」
「そう、仲間に入れてもらえなくて悲しいの?」
「うん。」
一緒に行って欲しいというので、行くと、3人で遊んでて「だって、あそぼっていってないもん。」
「じゃあ、あそぼっていったら、いれてくれるの?」
「うん。」
「あんなこと言ってますけど、どうする?」
「あそぼ。」
「いれたれへん。だってなぁ、こいつすぐ泣くから、ゲームになれへんねん。」と口々に言います。
「あそぼっていったらいれてくれるっていったのに、入れてくれないなんてひどいと思うわ。どうする?」
「もういい。」
それから、他の子達を誘って、一緒にボールで遊んで、アメリカンドッジボールして、サッカーして、投げあいっこして、帰ろうとしたら、いきなり、
「先生、ぼく、この学校たのしくなってきたわ。」
「そう、たのしくなってきたの。よかった。」
「うん、よかった。」
担当のダウン症の5年生の男の子Cくん。
みんなとボール遊びをしていて、女の子が「入れて」といってきたら「いや。」
「なぜ?いれてあげようよ」
「もう、Cくんなんかきっしょい。きらいや。」と女の子は腹を立てていいます。
そうなると、Cくんはてこでも動きません。
「仲間はずれにされて、さびしいの?でも、きっしょいとか言われたら、怖くなって余計一緒にあそべないかもしれないよ」
「いいよ。Cくんのこと、おとうさんにいったるねん。お父さんは強いし、たたいてくれるわ」
「大人が子どもを叩いたら虐待だよ。仕返ししたい気持ちになっているの?」
「だって、C君がわるいんだもん。」
そっぽをむきあっったまま、Cくんのお迎えが来てしまいました。
お母さんの前で、女の子は「今日、Cくん私のこと仲間はずれにした」
「そんなわるいことしたん?」
「そう、Cくんはとっても今日は良い子でしたよ、でも、そのことだけが先生も残念だったわ。」
「そんなことしたらあかんやん。」お母さんが言うと、すぐにうなだれて、「もう、仲間はずれにしない?」というとこっくりうなずいてくれました。
「ありがとう、先生、わかってくれてうれしいわ。あとで、あの子にも言っておくね。」
子ども達のおかげで、良い一日でした。心が温かい
NHKでポアンカレ予想を解いた数学者の番組をみました。
1904年にポアンカレによって出題された数学上の問題で、100年に渡って数学者が挑み続けていましたが、解かれることは無かった。その問題が、2003年ロシアの数学者ベレルマンによって解かれました。
「長い長い紐の端をロケットにつけて飛ばして宇宙を一周し、戻ってくる両方の端を合わせて引っ張って戻ってくるとしたら、宇宙はドーナツ型ではないといえるのではないか?」
…これが数学の問題なんだというくらい私には理解不能ですが、この難問を解くために没入しすぎて。人生を狂わせた人、解いたと思い、フィールズ賞を一度は取ったのに、その後何年もかけて間違っていたことがわかったり。
当のベレルマンの説は、インターネットに掲載してから3年後に解かれていたことがようやく認められたこと、
せっかく解いたのに微分幾何学と物理学の手法を使っていたために、トポロジーを使って挑んできた大方の数学者には理解不能だったこと。
また、べレルマンは、最大の栄誉であるフィールズ賞を辞退し、職を辞し、母の年金と、わずかな貯金で人に会わずに暮らしていること。恩師が尋ねていっても、会わずに帰してしまったり。
数学はさっぱりわからないけれど、問題を解くことに夢中になって、食事も、家族もほったらかし、人とも会わずに引きこもり、おかしくなっていく。というのはわかるような気がします。
数学だと世間も拍手して、奨励してしまうので、わからなくなってしまうけれど、ゲーム、テレビ、麻薬。
自分の人としての生活を忘れてしまうほど、一つに没入してしまうというのは、よくあることです。
音楽も同じ、私も、練習していると、食べるのも面倒くさくなるし、掃除はもうかなりいい加減。
最低限の清潔さで我慢している始末。服だって誰にもあわなければ、同じ物でもかまわない。
世話しなきゃいけない家族や、風采を気にしなければいけない世間があるというのは、幸せなことかもしれない。
数学は今もかつても私を苦しませただけの、にくい敵のようなものだったけれど、数学者も、生活とのバランスに苦しんでいたことを知って、妙に共感してしまいました。それに宇宙に紐をかけるなんて、出来もしないことの予想をし、それに取り組む、なんだかロマンを感じてしまいます。
数学もこういうところから入ると私にも楽しめたかも。今更です。
あれこれ、楽譜を吹いて見て、レハールの歌劇「メリー・ウィドウ」のワルツ「ときめく心」と「ヴィリアのうた」
曲の紹介をしようと思いましたが、このサイトにとても詳しくあります。ありがたく使わせていただこうと思います。
http://www11.ocn.ne.jp/~sisd/opera.meri.htm
大学の頃、メリー・ウィドウのファンタジアをマンドリンオーケストラで、ナレーションを付きで演奏しました。
オペラのダイジェスト版でオペラを聴かなくても、それを聴くと筋がわかって、楽しめるようになっていました。
オペレッタはドタバタ劇のハッピーエンド。わかりやすく、楽しい曲は今でもたくさんの人に愛されて、いろんな形で演奏されています。
今回はフルート2本と、ピアノのための編曲で、この歌曲の暖かく楽しい雰囲気をうまく伝えています。
次のレッスンが楽しみです。
考えても見てください。私達の体は一枚の皮膚でさえぎられています。あなたの手をつねってみても、私の手が痛くなることは絶対にない。あなたが痛いと思っていても、その手の痛みがわかることは絶対にない。
結局は何かを介して、伝え合うことしかないのだと思います。
言葉はその何かの一つです。
音楽は、例えば、1拍120と書かれていて、その1拍に16分音符が4つ書かれていると、1秒の8分の1の速さに4つ音があると言うことです。
その音4つが同じ長さで演奏されるかと言うと、そうではない。4拍子のはじめに書いてあると、その頭の音は少し長く、そのはしょった分は後の3つの音を少し短く。4拍の最後にあると、4拍目は少し長く…。そうなると、1秒の8分の1のそのまた何分の1のタイミング。
それから、リタルランドだんだんゆっくりとか、フェルマータ長く保ってなど、きわめて大雑把な言葉の指示を読み取ります。その国、時代によって伝えられてきたスタイルによっても、またリズムの取り方も違います。
その肌感覚のような、小さな微妙な違いが、音楽的体験によって人から人に伝えられていきます。
確かに理論もありますが、むしろ、感動によって、こっちの方がかっこいいとか、気持ち良いとか、この作家ぽいとかそんなことの積み重ねのような気がします。
そのある程度積み重ねた練習とか体験を持つ人々が集まると、もうわかりあってしまう。そして少しでもずれると気持ち悪い。
そして、その美的感覚を練り上げて、一つの楽曲を合奏しているときの感覚。共鳴としかいいようがない。
なぜ、そこにその音を落とすのが良いのかどうかなどともうそこでは、検討したり、考えたりしているわけではないのに、私がそこに落とすと、絶妙のタイミングで他の人がそれを受けて音を落とす。
そこに音があるのが自然だし、それを受けるのも自然であると、瞬時にして何十人もが音を出す。
こういう言葉以前の共鳴とか、共感する能力が人間にはある。そのことが合奏するとわかるし、その瞬間こそが、音楽の偉大な喜びなんだと、私は思います。
実家の木瓜(ぼけ)の花、このピンクと白の混じり具合、こじんまり丸まった花びらが私のツボみたい。とってもかわいく思えてしまいます。
3月15日に「春の海」を京田辺の地域のコンサートで母と合奏します。その練習。親子だと、言いたいことを言ってしまうので、練習しながら、気分悪くなったり、怒ったり。でも、音楽については、母は腹が立っても私の言うことを聴いた方が良いと思っているのか、結構、聴いてくれます。若い頃は親子喧嘩になったけれど、最近はそれほどでも。私の言い方も少し変ったのかもしれないです。
母から須山知行先生の訃報を聴きました。
2月17日90歳。老衰だそうです。
私が、初めて須山先生の演奏を聴いたのは、私が幼稚園の時だったでしょうか。フェスティバルホールで門下の方たちと毎年コンサートを開いておられて、母と祖母も出演。子どもには長い長い演奏会で、ボックス席の周りでいとこ達とかくれんぼしたり、三階席に上がったり、一階の一番前まで行って、連れ戻されたり。
宮城道雄に直に教えを受けた方で、やはり盲目でした。
母の先生ということもあって、小さな頃から演奏会に連れて行かれては「ご挨拶しなさい。」と言われました。そばに行くと、大人達が緊張して接しているのを感じていました。
「こんにちわ。」とか「さようなら。」とか言うと、見えない眼をくしゃくしゃにして「はい、さようなら」とか言って下さいました。私は「何でこの人にだけ挨拶しないといけないんだろう?面倒くさいなぁ。」なんて思っていました。
すごいと思ったのは、中学生の頃、「春の海」を毎年弾いていらしたんだと思いますが、その年の演奏はすごかった。その集中力、尺八とのアンサンブル。美しさに全身に鳥肌がたちました。
すごい人だったんだとその時思いました。
毎年遠目で見て、挨拶するだけの人でしたが、高校生の頃、学生のお弟子さんが「清水楽」を演奏されるので、フルートを尺八の変わりに演奏するように。と母が頼まれてきました。
私は、守口のお宅まで行って練習しました。
お弟子さんたちにはとても厳しい先生だと聴いていたので、演奏し終わって、なにを言われるかと構えていると、「良い音ですね、がんばってください。」と優しく笑って言われました。
2年ほど、音大の教授になられるまで、使っていただきましたが、その頃の私は怖れを知らなかったなぁ。
私の中では「春の海」はあの時の演奏が、最高です。お弟子である母と、あの演奏を聴いた私がどれだけ伝えられるか?より質の高い演奏ができるように、二人で、限界に挑戦したいと思います。
須山知行先生のご冥福をお祈りいたします。
クリスマスローズは花の少ないこの時期に咲くのがうれしくて鉢で育てて3年目。今年は花が少ないです。昨年はこれでもかというほど咲いたのですが、お迎えさんのクリスマスローズもあんまり。植物でも花の当たり年ってあります。下を向いて咲くので、携帯を地面と花の間に突っ込んで撮りました。難しいうまく真中に入らなかったのですが、それもまたなんだかこの花の生命力が出ているような感じがして。どうかな?
今日は、2冊本を買いました。
一冊は「脳にいいことだけをやりなさい!」マーシー・シャイモフ 茂木健一郎訳 三笠書房
もう一冊は「すべては音楽から生まれる・脳とシューベルト」茂木健一郎 PHP新書
狭い家が本棚で埋まっています。
「頭の図書館を作っても仕方ないよ、使わなくっちゃ。もう、読まなくて良いから、実践しなさい。」とアドバイスをうけ、そうだなぁとだいぶ抑えていて読まなかったけれど、現実と理想のギャップは急にはいかんともしがたく。
「そうそう、それでいいよ。」と、自分だけで言っているのも少々、疲れ。
いつもの友人たちに話しまくって、自分がそう狂っているわけではいということを確認して、それでも足りずに、美しい言葉を脳や心に入れたくて、買ってきました。
マーシーの方は、友人がほれ込んでいて、いろいろ聴いたので、元気がでるのは間違いないだろうと思います。茂木さんはテレビで見ていて、おっしゃっていることが明晰でわかりやすい。興味を惹かれていたら、音楽について書いておられると言う事で即買う気になりました。
たくさんの友人が私を支えてくれています。私は今日は、そのことに気づけてよかった。
友人のアドバイスもちゃんと聴いて、もっと勉強しなくちゃ。明日は障害についての本を探すつもり。ぼうっと落ち込んでいる暇はない
今日は頼まれて、別の児童会の交替に入りました。
「新しい先生?なんていう名前?」
「A先生の代わりに今日だけきました。よろしくね。」バラバラに帰ってきたので一人ずつ応えました。
一年生は大体全員、一人ずつ聴きにきました。「はい、よろしく。」とか、「こんにちわ。」とか、お返事してくれました。大人に対する信頼感のある子達は、素直にいろんなことを聞いてきます。
人数も少ないこともあるけれど、ここの先生方は、ほとんど大声を出されません。特にA班の先生は静かな方でしたが、子ども達は本当に穏やかでした。小さな摩擦はあっても大声になったりはしません。
普段から子どもが尊重されているのがよくわかりました。ふざけたようなことをいう子はいましたが、とげとげした雰囲気はなく、楽しんでいるようでした。
理屈だけで、尊敬されて関られた子どもは人を尊敬するようになると考えていたことが、現実であることが、よくわかりました。
そして、我が古巣の児童会は、まだまだ、子どもへの信頼も尊敬も足りないことが、比較して見ることでよくわかりました。スタッフ同士の尊敬と信頼も。解決はまだまだ道のりは長いかもしれませんが、私が思っている保育の方向は間違っていないと意を強くしました。あきらめないでがんばろう
虐待防止法は、子どもに関る公的機関の大人たちに虐待を予防する責務がある。研修を義務付け、早期の発見、通告。連携の責任があるとしています。そしてそれは、あらゆる守秘義務に優先する。とうたっています。
学校は憲法を教える場所。教育とは、教え育てるところ。学術とは言葉による真理の探求。理性と知性による情報の交換の積み重ねの上に築かれてきたと思います。
現実の社会で赦されているからという理由で、子どもを叩いたり脅したりしてコントロールすることは世間が赦しても、教育現場にいるもの自身が赦しあうなどということは、あってはならないことだと思います。
といっても、自分達がやってきた方法、誰からも指導を受けたりしない方法を、自分のこうありたいと言う意志だけで変えるのは大変なことです。
私はたった一人になっても、子どもを殴ったり怒鳴ったりしないという信念をもっているけれど、仲間からの受容がないのは、結構つらいこともあります。
それでも理解して「私も絶対に暴力を奮わない。」といってくれる人も二人います。私も入れて8人中3人。これは、すごい事だと思います。教育現場であるからかも知れません。いろいろあって変わってきた人もいます。私が友達になる人は、似たもの同士なので、これが世間一般の常識だと思ってしまいがちですが、私も、これまでいろいろな現場で、現実ではなかなか難しいことがあるということは理解してきました。
子どもは、日々変化して行きます。私と子ども達の関係は確実に変化しています。
でも、私がまだまだ理解できていないこと、信頼が培われていないところもあります。そういうところからは、ルールがほころびていってしまいます。もっとしっかりと子どもと向き合って行きたいと思います。
担当した2年生の男の子、今日は一度も殴ったり蹴ったりしませんでした。ルール違反が少しあったけれど、友達とおだやかに一緒に遊べる時間が増えました。自分の遊びにつき合わせてばかりだったのに、自分が友達の遊びに入っていきました。それから、ズボンが汚れた友達を休養室まで連れて行って、ズボンを変えるのを手伝ってあげました。それから、靴に新聞をつめて乾かしてあげて。友達に対する優しさがたくさんある子です。でも、今日ほどたくさん優しさを見せると言うことはありませんでした。いつも、小さなことで荒れ狂って、怒っていたからです。今日は本当に美しいものをたくさん見せてもらいました。
「ありがとう」この気持ちを抱いて今日は休みます。
今日は、みぞれの中、自転車で出勤。本当に寒かった。外で遊んだ子は1年女子3人。外と言っても、体育館の軒下15㎡くらいと、児童会室前廊下。グルグルただ走って、楽しいのかな?軒下は土なので、暖かい時は泥んこ遊びなんかをして遊びますが、今日はさすがに寒いのか、後は走り回って、1時間ほど、それで満足したのか、中に入ってしまいました。
体育館も借りられず、図書室だけ。
することが無いと、退屈だったのか、1年女子が二人、洗濯のお手伝いをしてくれました。
「本当にありがとう、先生とても助かったよ。寒いし、冷たいから、後は先生がするから、中であそんでもいいよ。」って何度も声をかけたけど、ぐるぐる回る、洗濯槽を観察したり、タイマーのスイッチをまわしたり、タオルを待ち構えて入れたり、冷たい水に手をつっこんで、洗濯物を脱水機に移したり。
結局最後まで全部干して。
みんなが今日使ったふきんにタオル。児童会室にわたした物干し棹には誇らしげにはためきました。
寒くって水は冷たかったけど、今日は二人のおかげで楽しく暖かかく感じたわ。本当にありがとう
連翹(レンギョウ)が咲いていました。今日は寒かったけれど、連翹は春の季語だそうです。春はもう少し。
韓国映画「王の男」をケーブルTVで見ました。
16世紀、李王朝、ヨンサングンの治世。
大道芸人のコンギルとチャンセンは、王のヨンサングンをからかう芸をして、役人捕らえられます。死刑になるところを、王を笑わせることができたら、侮辱罪にはならないと、王の前で、同じ芸を披露することになります。
満座の貴族や大臣が並ぶ中、王をからかうネタを披露すると、王は笑い出し、二人は王宮に住むことになります。王は女より美しいコンギルを気に入って、一人呼び、人形劇をさせます。
王の前で芸をさせた大臣は、今度は大臣をからかうネタを披露するように仕向けます。
賄賂を受け取る芝居をみた、王は、その場で青ざめた大臣の指を切り落とし全員に回覧するように命じ、処刑します。
コンギルは一人王に呼ばれ、王の前で人形劇をします。そこで、王の父が、王の母に毒を飲ませて処刑したことをしります。
コンギルに執着する王から、チャンセンは逃げようと誘いますが、次の芝居をしたいからとコンギルはとどまるように懇願します。
次に大臣が披露することを進めたのは、王の身の上そっくりの物語。それには二人の后と、王大后(王の祖母)が毒殺を仕向けたことも、書いてあります。母を演ずるコンギルが毒をあおった芝居の瞬間、王はコンギルを母とよび、逆上して、二人の后を斬り殺し、祖母はショックで死んでしまいます。
王の妻ノスクは、コンギルに嫉妬し、陥れようとしますが、チャンセンがかばって刑罰を受け、両眼をこてで焼かれてしまいます。コンギルはチャンセンが処刑されようとする前日、自殺しようとします。
王は、最後の芸をするようにチャンセンとコンギルに命じます。眼が見えないチャンセンが見事に綱渡りの芸をし、コンギルもそれに応えます。そのころ、圧政に対する反乱が起き、大臣は首をつり、民衆が宮廷に押し寄せます。
暴君、ヒトラーのために、演じた芸人、音楽家、画家、映画監督、スポーツマン。政治に芸術や芸能が利用されてきた歴史は、今も連綿と続いています。
腹いっぱい食べるために、王宮に居ついた彼らは、断りきれなくてどんどん政治の世界に巻き込まれていってしまいます。
このヨンサングンは、韓国史では残虐な王として、悪名高いですが、この王は18歳で王位について、10年で、流されて2ヶ月で亡くなっています。実際の史実は、いろいろと検証もあることでしょうが、王の母が、毒を飲まされて処刑された、それから芸人を取り立てたり、残酷な粛清を繰り返したというのは、史実としてあったようです。
私は虐待されて育った子どもが、傷を癒されないでいると、どうなるか?ということをこの映画は計らずも描いていると思いました。
周り中の人間を信ずることができず、意見する忠臣たちの言葉は全て、前王(父)との比較に思え、耳に入れず、惨殺し、唯一劇や芝居で癒される。劇の中のコンギルに母を見て、彼を取り立て、大切に思いながら、コンギルの気持ちや、大切にしているものを破壊し、死に追いやる。自殺を図ったコンギルを見て、王が「なぜだ?」と叫ぶ声は、気持ちを大切にされたことの無い、子どもが、他人の気持ちを気づけるはずも無く、大切にする方法も知ることがない。ということをあらわしているように思えました。
父に母を殺された子どもの気持ちが共感されることなく、きれいな衣服や官位を与え、力を与えられるという大切にされた方法が、唯一王が知っている大切にする方法だったから、それをコンギルにも与えたのに・・・。
一方チャンセンは、衣服や食べ物よりも、自由。逃げるチャンスもあったのに死よりも、自分の思いや仲間をプライドを大切にすることを選びます。生い立ちはあまり描かれていませんが、彼は、生まれた時から、貧しく、旅回りの親方からは叩かれるという過酷な状況を、生き抜いてきたに違いありません。叩かれても叩かれても、立ち上がり、生まれ変わっても、芸人として生きると言う彼の矜持は、一人でも誰か気持ちを共有したという経験があったという一点おいて、王の底知れぬ孤立とは質が違っていたのだろうと思います。
虐待を受けた子どもが誰でも、虐待を繰り返すはずがなく、王と、チャンセンの違いが、そのことをあらわしていると思います。
他にもジェンダーとか、芸能、ヒエラルキーとかいろいろ考えさせられる映画でした。当分この映画が頭から離れそうにないです。とんでもなく長くなりそうなので、今日は、やめます