昨日は月に一度のオムツたたみの日。その時の話題の一つです。
佐渡は地図を見ていただけるとお分かりになりますが、南北に山脈、真ん中に平野。東西に海岸線に沿って町が存在しています。
老女Aさん、
「なあ、夷、湊は漁師まちだから声ばかり大きくて、なんもないっちゃな。そこいくと、国仲は、謡だ能だとまあすごいっちゃ。」と、のたまった。もうもう、佐渡に来て常日頃思っていたことを言ってくれたから、大笑いをしながらも大賛成の意を表したわ。
ここで注釈、
「夷、湊」は東側海岸線にある町名。「国仲」は平野の名前、そこから、平野部及びそこに点在するを称して、『国仲』と言っています。曽我さんは国仲にお住い。私は漁師まち、夷在住。
よく佐渡について紹介される農民による能とか、能舞台が点在するお寺、神社とか、佐渡に流されてきた天皇、日蓮さん、世阿弥などの住まいやお墓、関連施設などは、全て国仲及び佐渡西側海岸線地区に集中しています。そのため観光バスはそちらを中心に回ります。
夷、湊でめぼしいものといったら、『北一輝の生家』の看板があるくらい。
そして、佐渡にあった6つの高校は(今は廃校が何校かある)、一校だけ東部、後は西部に五校。いかに西部地区の人たちが教育熱心を示しています。老女Aさん、
「夷、湊はどうせ漁師になるんだからつうて、親はいいうちのもんでも教育させんかったもんな。」とおっしゃる。
「国仲がそうかもしれんが、前浜(南部海岸線の村)も熱心だっちゃ。」と老人Bさん。
「子供歌舞伎やら卓球やら、いろいろ村の行事をやっとるや。」
そうです、ラジオ放送を聞いていると、その地域の行事の紹介をよく聞きます。そして活性化に熱心に取り組んでいる様子が伝わってきます。
「それに比べてな・・・」と寂れるばかりの町声ばかり荒々しい町夷、湊の住人である老人3人と、もうすぐ老女1人は、ふかーーいため息をつく次第でした。
『漁師まちには文化は根付かない、佐渡の東側、北側はさらに文化は育たない。(日本列島にも言えるかも・・・怒られる)』
私の独断と偏見に満ち満ちた結論です。