ここ数日のLIVEカメラで観る佐渡はお日様が出ていて・・・ほっとしていたけれど。
今日はもう雨模様。
横浜も久しぶりのおしめり、おしめり程度だから許す、なんて雪国の人が聞いたら激怒するようなセリフ。
今日が生ごみ収集の最終日だから、少しでもごみを減らそうと大根1本使って紅白なますを作る。
お正月ころには味がぼやけると思うけれど、いいのよ。
栗原はるみさんだって、食べるときに必ず味見して調整してくださいね、って言ってたから教えに従う。
(12月22日 公園墓地)
で、暮れになると、母が佐渡御用達正月用品を送ってくれていたことを思い出す。
90歳で倒れた母はいくつの年まで送ってくれていたのだろう。
若気の至りで、そんな荷物が届くのを面倒がっていたことがある。なんて罰当たりな。
段ボールの中には、杵つき餅やかきもち、白菜などの野菜からはては変わり飴玉まで入っていて。
その中に必ず『焼きスケト』と『ようのこ』が入っていた。
『焼きスケト』 (塩をしないでそのまま焼いたスケソウダラのこと)
佐渡のほかの地域ではどうか知らないが、少なくとも夷町では正月のごっつおう(ご馳走)には欠かせない。
暮れになると魚屋さんに焼いたスケソウダラが並ぶとああ、正月の準備しなくちゃと実感する。
家庭によって違うと思うけれど、それを牛蒡人参焼き豆腐こんにゃくなどと甘辛く煮付けるのよ。
先に焼きスケトだけ煮て、残り汁でその他を煮る家もあるみたい。
これが正月のメイン料理だった。
『ようのこ』 (夷ではスケソウダラのたらこのこと)
これは母のお手製の自慢料理。息子も大好きだ。
料理というほどではないのかもしれないが、ようのこの内部までしっかり味がしみ込むには相当の時間がかかる。
母は、冬のあの寒い台所で日にちをかけて娘のために作っていたのかと思うと・・・
今にして親の思いが分かるというもの。
7年前に母が倒れて、正月は佐渡で父と夫と迎えるようになって、私が『焼きスケトの煮しめ』を作った。
父はどんな思いで3人の正月を過ごしていたのかしら。母も元気でその輪に加わりたかったろうな、とも思う。
何しろ私が横浜に来てからは1度も佐渡で正月を過ごしたことがなかったもの。船酔いがひどいからという理由で。
元旦になるといのいちばんに両親から電話が来た、さびしい思いをしたんだろうな、きっと。
あらためて横浜で迎える正月が今年で3年目になる。
もう『焼きスケトの煮しめ』は作らない。