久しぶりです、川上さん。お久しぶりです『東京日記』
図書館で最新刊の東京日記6を見つけた時は、もう躊躇わずにすぐ。
並んでいた『三度目の恋』はすごく躊躇った後、いちおうお持ち帰りするか、と。
すぐに読み始めて読み終わり、楽しみなあとがきを。
あとがき
始めたばかりのころは「ほんとうのこと」が七割だった「東京日記」ですが、この六巻目に至り、
ほぼすべてが「ほんとうのこと」になりました。
もうこの時点で「ほんとか??ほんとにほんとのことか」と疑いの眼よ。
日記を読んでいるそばから、またまた川上さん、そんなことってないでしょ、とウフフだったり
にやにやしてたりしたんだからね。どこまで信用していいか分からない。虚々実々。
ほら、やっぱり。川上さん、ご自分も続けているじゃないの。
といっても、「ほんとうのこと」とは、いったい何だ、という面もあります。
虚実皮膜、というのではなく、わたしは「ほんとうのこと」として書いているのに、
なぜだか「ほんとうのこと」からはどんどん遠く離れていってしまう・・・というような。
「虚実皮膜」なんて初めての言葉だけれど、それはさておき、そのとおりです、
「ほんとうのこと」からはどんどん離れていってると思います、少なくとも私はそう思って
います。でもでも。
「ステキ」排斥。この日の日記はほんとうだろうなと確信しています。
いやいやほんとうであってほしいと願っています。ほんと。
川上さん、大した事情ではないけれど、ともかくある日ポットとは袂をわかったのだそうな。
そしてお湯を沸かす時は片口の鍋を使うようになった。
四月某日 雨
鍋の湯でコーヒーをドリップすると、最初に豆を蒸らす時に注ぐ湯の量を調整するのが難しいし、
その後細い流れでゆっくりと湯を注ぐのもむずかしいので、毎回淹れ具合が異なってしまう。
その乱雑さが、とても心地よい。
「ていねいな暮らし」とか「ステキな暮らし」なんて、大嫌いなんだ!!!という、
自分の内心の声を毎回聞きとめながら、このところ毎日コーヒーを淹れている。
大嫌いなんだ、と!マークが3個も。そうだ「ていねいな暮らし」とか「ステキな暮らし」
なんてつまらん、ってなことはないけれど、川上さんが大嫌いだと言ってくれるとなぜか嬉しい。
ちなみに、カップラーメンは、家で酒を飲んだ時の〆に、小型のものを、数種類常備している。
これは果たして、「ていねい」「ステキ」の範疇に入るのだろうか。たぶん違うような気もするけれど、
数種類、というところが、ていねいさをかもしだしているような気も。
台所の棚に並べてある小型カップラーメンの、並び方を微妙にかえてみつつ、
「ていねい」及び「ステキ」の排斥を、あらためて心に誓う。
ウフフ大げさよ。いやいや並び方を微妙に変えて見てもねえ、違うでしょ、とは思う。
それでも「ていねい」及び「ステキ」の排斥にはぜひぜひがんばっていただきたい。
「オーラの噴出」この日の日記は「ほんとか??」感、大。
1月某日 晴れ
友だちに電話し、「めったにみない名前」に遭遇したことを自慢。
十分以上もそのことについてぺらぺらとまくしたて、誇り、繰り返したのちに、ようやく黙ると、
友だち、しごく冷静に、
「それはよかったわねえ。わたしにとってはどうでもいいことだけど」
と優しい声でいう。
しゅんとして、
「申し訳ない」と謝ると、友だちさらに優しい声で、
「いいのよ、そういう好奇心は大切。がんばってるのねえ」
と。
はい、がんばってるんです、と小さな声で答え、じきに電話を切る。
そののち、過去に自分がしてきた、どうでもいい話を無数に思いだし、身もだえる。
ほんとか、ほんとにそんな友だちがいるのかと私は疑うの。もし仮にいたとしたら私だったら
連絡を絶つ。ん、上品な川上さんのひとりお芝居じゃないかしらとは私の妄想。
なんて、上から目線で勝手に推測しつつ川上さんの日常を楽しむわけ。
ともかくあっという間に読み終える『東京日記』でして。上等な日記です。
ちなみにタイトルの「ながいくん」は長いかさのことです。
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