久しぶりに日本中に良いニュース、すがすがしいニュースが流れた!
スーパーボランティア爺さんが大分県から、広島県の呉へのボランティアを変更、急遽
山口県周防大島町で、12日から行方不明になっていた2歳の男の子を見つけ助けようと駆けつけた。
爺さんの名前は、尾畠春夫さん。
助けられた男の子の名前が、よっちゃん。
山の沢に迷い込んだよっちゃんは、尾畑さんに68時間ぶりに発見され、救助された。
尾畑さんの行動、言動に感動した。
自衛隊、警察、消防とかでなく一民間人によったということも。
寝袋、装備を持ち、自家用車で駆けつけた。
自己責任、自己完結、無償の行為!
どこかの市会議員ボランティアが、ビールをのんだあげく
避難所に泊めてくれと駄々をこねたのとは大違い!
また、不都合な真実を隠し責任をあいまいにする、どこかの国の内閣、財務省や文部省の幹部、某医科大、N大アメフト、ボクシング連盟などの大人に、尾畑さんの精神と行動を煎じて飲ませたい。
腐った組織を浄化し、立て直すボランティアはいないかしらん!
(逃飛行)
78歳のスーパーボランティア爺さんの経歴を新聞記事から抜粋した。
『
山口県周防大島町で8月12日から行方不明になっていた2歳の男児が15日、無事に保護された。山中で男児を発見したのは、ボランティアで捜索に加わっていた大分県の尾畠春夫さん(78)だった。
報道各社のインタビューに応じた尾畠さんは、「小さな命が助かったと思った。本当にうれしかった。助かってよかった、助かってよかった。ただそれだけ」と語った。そして、2016年末に大分県で行方不明になった女児の捜索ボランティアにも参加しその時の経験が今回の捜索で生かされたことも明らかにした。
大分県別府市で鮮魚店を営んでいた尾畠さん。40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走した。
尾畠さんはその頃から、ボランティアで由布岳の登山道の整備を始めている。月に7~8回、30~40キロの材料を担いで登り、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしたという。
66歳で尾畠さんは鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出た。
2006年の4月1日に出発、7月1日に全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールを遂げている。毎日、朝夕に孫の声を電話で聞くことを励みにしていたという。
このチャレンジについて、尾畠さんは朝日新聞の取材に「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、体力がどのくらい持つのか、動機は単純じゃ」と語っている。
ゴール後、同級生たちに祝福された尾畠さんは「目標を持ってやれば、出来るものだ」と笑顔だった。(朝日新聞2006年07月09日)
2011年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。
軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。
2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。(朝日新聞2011年04月27日)
熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動をしていた。既にこの時には「ボランティア歴25年」になっていた。
町が設置したボランティアセンターに「スコップやヘルメットがもっと必要」などと用具などについて助言。職員が「私たちにも初めての経験。言われて気付いたことがたくさんあって助かります」と話していたことが報じられている。(朝日新聞2016年04月25日)
尾畠さんは、夢は「100歳での祖母山登頂」だと答えている。ボランティアは「体力の続く限り続けたい」という。(朝日新聞2010年12月24日)』
たとえ、テレビからの報道とはいえ、尾畠さんのような人に出逢い、知り得たことは幸せだった。
みはま公園(夜ラン) 5k
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