団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

あの時のおいしさは、今でも忘れられない。

2018-06-08 04:21:48 | 日記
中日新聞の「くらしの作文」に「水無月」というタイトルで75歳の女性が投稿されていました。


 昭和36年、私は希望に燃えた新入生となって、京都の街で暮らし始めた。
出発する前日、母から「これから言うことを便箋に書きなさい」と言われ書いたのは、誓約書だった。

 内容は「これからの4年間、私は一銭の仕送りも受けず生活します」だった。
幸い、この年から予約特別奨学制度が実施され、私は母子家庭で超貧乏だったので、
一般奨学生が千円の時、私は七千百円受給された。

 アルバイトをすれば、何とかできそうだった。
しかし出費はかさみ、たちまち金欠病になった。
案内係、エキストラなどありとあらゆるバイトをし、昼食を抜き、
お菓子を口にすることもなく、6月を迎えた。

 寮に帰る途中、小さな和菓子屋があり、店のガラス戸に
「水無月(みなづき)作りました」と張ってあり、思わず店内に入った。

 店のおばさんが「これは過ぎた半年の無事に感謝し、
この先の半年の息災を願う夏越し(なごし)の祓(はら)えで、6月だけの和菓子や」
と教えてくださった。




 氷片を模したういろうに、邪気払いの小豆を載せた三角形の和菓子だった。
1個10円だった。あまりの苦学生ぶりに同情されたのか、
あと1つおまけしてくださった。

 あの時のおいしさは、今でも忘れられない。


 以上です。


 この投稿者の女性は大変な苦学生だったようですね。
奨学金で大学?に行かれたのかな。
恐らく成績優秀で、返さなくてもよい奨学金だったのでは。

 お母様も厳しい方だったようですね。
「これからの4年間、私は一銭の仕送りも受けず生活します」という誓約書を書かせるなんて。
でも超貧乏だったなら、娘に働いて欲しいところを大学に行かせてもらえたのだから、
ありがたいお母様ですよね。


 水無月という和菓子は知っていますが、食べたことはないです。
由来がある和菓子なんですね。
この女性にとって、学生時代 唯一贅沢した思い出の和菓子だったんですね。

 「あの時のおいしさは、今でも忘れられない。」。
たいへん美味しかったでしょうね。(笑)







James Dean / Giant (film)ジャイアンツ(映画) / ジェームズ・ディーン
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする