団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

そしてたいてい自身の幸せについてはなかなか気付かないものです。

2022-09-21 02:02:14 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「自分なりの幸せ 考える」というタイトルで、中学生の女子生徒さんが投稿されていました。

 吉野弘さん(一九二六〜二〇一四年)の「虹の足」という詩を学びました。

 詩の最後に「他人には見えて自分には見えない幸福の中で格別驚きもせず幸福に生きていることがー」とあり、自分なりに幸せってなんだろうかと考えてみました。

 私たちは日々ご飯を食べます。

 もちろん生きるためですが、果たして食事は当たり前のことでしょうか?

 食べることは幸せなことですか?

 日本で暮らしていると食事は当然のことでしょうが、食料が不足していて飢餓が日常となる地域では決して食べられることは当たり前ではないはず。

 人間にはその数だけ幸せがあるといえます。

 そしてたいてい自身の幸せについてはなかなか気付かないものです。

 家族や友人といった身の回りの人とのやりとりを通じて「あっ、そうか」と思うのです。

 以上です。

 この女子生徒さん、吉野弘さんの「虹の足」の詩を読んで、幸せについて考えられましたね。

 「そしてたいてい自身の幸せについてはなかなか気付かないものです。」という事が分かられたようです。

 素晴らしいです。

 人間って「青い鳥」の童話のように、幸せは身近にあることになかなか気付かないものです。

 ↓に吉野弘さんの「虹の足」の詩の全編を載せます。


雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足を下ろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
―――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることが――。




今日の日はさようなら 森山良子 1967
コメント (4)
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