団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

緩和医療は「諦めの医療」「最期の医療」と評されますが

2022-09-02 01:45:23 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「緩和医療 生きるために」というタイトルで、52歳の女性医師さんが投稿されていました。


 名古屋で緩和医療の専門医をしてはや十数年。

 思うに日本人は我慢強くて「耐えてこそ」が美徳とされ、痛みや苦しみを訴えるのが苦手なよう。

 苦痛を抱かえながらの生活だと、気力が低下するので我慢はしてほしくはありません。

 もともと苦痛とはこの先の危険を知らせる信号です。

 察知できるかどうかで生と死を分けることがありうるだけに、信号は大切にしてください。

 少しでも違和感があれば、私たち医療従事者に伝えてください。

 患者から「我慢するしかない」「病気だから仕方ない」と聞くたび胸の奥がちくりと痛みます。

 完全に痛みがなくならないとしても、少しでも楽になる方法を医師である私は考えたいです。

 緩和医療は「諦めの医療」「最期の医療」と評されますが、私たち緩和医はそう考えてはいません。

 患者がより尊厳を持って生きていける方策を提案し、患者と家族の支えになりたいのです。

 出会った患者や家族から学んだことはわが宝です。

 「緩和ケアで人生が充実した」「痛みがなくなりやりたいことができた」と笑顔で話してくれる姿に触れられると、緩和医としてのやりがいを感じます。

 以上です。


>思うに日本人は我慢強くて「耐えてこそ」が美徳とされ、痛みや苦しみを訴えるのが苦手なよう。

 いえ、そうではないです。

 20年前ぐらいに椎間板ヘルニアで2度目の入院生活を送っていました。

 冬の夜中に痛みが襲ってきて、泣きながら足をさすっていました。

 先生に「夜中に足が痛くなるんです」と言っても、痛みが和らぐような薬は出なかったったように思います。

 やむをえず、足用のホカロンを2枚ぐらい痛みがくる足に貼っていました。

 少しは効果がありました。

 昔は医者も、痛みぐらい我慢しろと思われていたのかな?
 
>緩和医療は「諦めの医療」「最期の医療」と評されますが、私たち緩和医はそう考えてはいません。

 緩和医療を最期の医療と思っていました。

 今は違うようですね。
 
> 出会った患者や家族から学んだことはわが宝です。
「緩和ケアで人生が充実した」「痛みがなくなりやりたいことができた」と笑顔で話してくれる姿に触れられると、緩和医としてのやりがいを感じます。

 ああ、そうなんだ。
 私のいる市には、緩和医療の病院がありません。

 早く私の市にも緩和医療の病院を作っていただきたいですし、このように思ってくださる先生にもお会いしたいです。

 




学園広場 ☆ 舟木一夫
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする