中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「愛惜コトバ」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセーを書かれていました。
ほんの一昔前の日本語で、今は一般に使われなかった日本語が、おじさんはいとおしくてならない。
だからわざと古くさい言葉を使うようにしている。
「ひげをそる」ではなく「ひげをあたる」。
「ソル」を忌み言葉として「あたる」にしたものだ。
理容店で、「ひげをあたってもらえるかい」って、カッコいいと思いませんか。
「たばこを吸う」ではなく「たばこを喫(の)む。
「ここではたばこを吸えないよ」だと言葉がきつい。
「ここではたばこを喫めないよ」の方が語感が軟らかくなる。
おじさんが子どもの頃、「みそ汁」とは言わず、「おつけ(おみをつけの略だろう)」と言っていた。
今も家で使い続けている。
「捨てる」は「うっちゃる」。
これは相撲の決まり手の「うっちゃり」でまだ命脈を保っている。
その他、作る→「こさえる」「こしらえる」、価値観→「了見」、輸入品→「舶来」
許さない→「承知しない」・・・と書き出せばまだまだある。
ところで、最近はやりの言葉で「持続可能な」が、どうにも気になって仕方がない。
何とかもっとやさしく簡単な日本語に言い換えできないものか。
以上です。
> ほんの一昔前の日本語で、今は一般に使われなかった日本語が、おじさんはいとおしくてならない。
私がよく見るNHKのテレビ番組「今夜も生でさだまさし」で投書ハガキに書かれている「半死半生語」ですね。
昔はよく使われた日本語が、今では使われない。
そのような日本語は多いですよね。
「みそ汁」とは言わず、「おつけ(おみをつけの略だろう)」ですか。
「おつけ」とは言った事がないです。「おみをつけ」とは言いましたが。
>「捨てる」は「うっちゃる」。
「うっちゃる」も言ったことがないです、方言なのでは?
夜空を仰いで ☆ 加山雄三 (サウンド・トラック)