団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

歳を取ると夫婦の会話は少なくなりますが、投稿者さん宅は辞書を介してご夫婦の会話が広がっているようですね。😁

2022-09-26 00:52:05 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「食卓に辞書」というタイトルで、71歳の女性が投稿されていました。


 「これ、何と読むのかな」

 「この言葉の意味は何だ」。

 これは、毎朝の食事後の私たち夫婦の会話である。

 新聞を読み始めると、いつもどちらかともなく口を突いて出る言葉。

 問いを投げかけられても、答えに自信がない時は困ってしまう。

 「ああではないか」

 「こうではないか」と言い合うのだが、埒が明かない。

 そのうちに辞書を調べようと、二階に駆け上がり、事を解決していた。

 でも、いちいち二階に行くのは面倒くさい。

 それならいっそ、食卓に辞書をと思いついた。

 そして、国語辞典二冊と漢和辞典一冊を食卓に常備した。

 それに加えてルーペも。

 夫婦ともに高齢者。

 辞書の字は細かくて肉眼ではわからないから。

 国語辞典二冊というのは理由がある。

 同じ言葉でも説明が異なったり、載っていなかったりすることもあるからである。

 先日も「よまいごと」を調べて苦労した。

 今ならスマホで調べられるし、新しい現代用語はスマホにはかなわない。

 でも、私は辞書が好き。

 辞書だと調べた語の周りの言葉をついでに読むことができる。

 副産物を得られて心が豊かになった気がするからだ。

 食卓に辞書を置き、疑問を解決。

 そして、夫婦の会話も広がった。


 以上です。

 仲睦まじいご夫婦ですね。
 
>「これ、何と読むのかな」
 「この言葉の意味は何だ」。
 これは、毎朝の食事後の私たち夫婦の会話である。

 これが投稿者さんご夫婦の朝の会話なんだ。😁

 うちの朝の会話は、新聞を読みながら「昨日の何々(私たちが住んでいる市)は、コロナにかかった人が何百人もいる、どうしてこんなにいるんだ!」というのが、朝の会話です。

>そして、国語辞典二冊と漢和辞典一冊を食卓に常備した。

 いちいち辞書を二階まで取りに行かれるのは面倒なのは分かりますが、食卓に三冊も辞書があるのも邪魔になるような気がするんですが。

 うちの食卓は小さいので、食卓に三冊も辞書を置くのは無理です。

 よほど大きな食卓ですね。

>辞書だと調べた語の周りの言葉をついでに読むことができる。
 副産物を得られて心が豊かになった気がするからだ。

 なるほど、そのような副産物もあるんですね。

>食卓に辞書を置き、疑問を解決。
 そして、夫婦の会話も広がった。

 歳を取ると夫婦の会話は少なくなりますが、投稿者さん宅は辞書を介してご夫婦の会話が広がっているようですね。😁




ふたつの手の思い出 森山良子 1967
コメント (2)
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