中日新聞の書籍編集者 宮田仁(まさし)さんのドキュメンタリー覚書、「騙されたものの罪」というタイトルで、記事が載っていました。
キャメラマンの三木茂は日中戦争の現場で亀井文夫監督から言われた映像を撮れなかった。
それを目撃した撮影助手の瀬川順一は戦後こう語り続ける。
「言われてから撮ったではすまされない」
多くの日本人が「言われたからやった」と言い続けたのを瀬川は意識していたはずだ。
伊丹万作監督の「戦争責任者の問題」(『映画春秋』1946年8月)は敗戦直後の映画人の発言として有名だ。
他者の戦争責任を追求する動きに対し、伊丹は病身のため戦争映画を作らなかったという理由だけで人を裁く側に回る権利は自分にないと言う。
「多くの人が、今度の戦争で騙されていたと言う」が、子どもたちにとって「世の大人たちは、一人残らず戦争責任者に見えるに違いない」。
「騙されたものの罪」もあるはずで、今必要なのは「国民全体が騙されたということの意味を本当に理解し、騙されるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
次の伊丹の言葉は現在の我々の耳に痛い。
「『騙されていた』と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。
いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである」
だが自分は騙されないと思い込んでいる者ほど騙されやすいこともある。
同時期に書かれた家城巳代治(いえきみよじ)監督の「映画芸術家の反省と自己革新に就いて」(『映画制作』46年9月)はそれほど知られていないだろう。
家城は敗戦後、「自由を、デモクラシーを叫ぶ滔々(とうとう)たる流れ」を「厳しい自己の追求なくして戦争に身をまかせた」流れと同一ではないかと問いかける。
むしろ敗戦によって「愚かな自分」を見せつけられ、「愚かなる自己、無知なる自己、虚無なる人間から、始める」ことに希望を見出す。
三木は自ら正しさを信じて撮らなかったというより怖くて撮れなかった。
それが大事なのかもしれない。
以上です。
話は変わって、伊丹万作映画監督、伊丹十三さんのお父さんです。
彼が下記の言葉を残されています。
感銘を受ける言葉です。
日本国民は、迎合しやすいです。
また政治家や官僚に騙されて戦争に突っ走るのでは。
今その兆候が見えています。
北朝鮮から核を落とされるとか、中国から攻められるとか。
自衛隊予算も大幅に増加しています。
アメリカの古い武器を、高い価格でありがたがって買い取っています。
アメリカは、新しい武器を自衛隊に売りません。
日本を信用していないからなのでは?
彼が下記の言葉を残されています。
感銘を受ける言葉です。
日本国民は、迎合しやすいです。
また政治家や官僚に騙されて戦争に突っ走るのでは。
今その兆候が見えています。
北朝鮮から核を落とされるとか、中国から攻められるとか。
自衛隊予算も大幅に増加しています。
アメリカの古い武器を、高い価格でありがたがって買い取っています。
アメリカは、新しい武器を自衛隊に売りません。
日本を信用していないからなのでは?
というブログを、私は去年の6月に書いていました。
Lonely Soldier Boy - Johnny Deerfield(悲しき少年兵)
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