風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/フロリダ・プロジェクト(真夏の魔法)

2018年10月15日 | 映画


ヘイリー、ムーニー母子は社会の底辺で暮らしています。週15ドルほどのモーテル暮らしです。
冒頭、駐車場の車につばを吐きかけるシーンはこの映画の象徴・エッセンスのように私は感じました。
母親は、我が子のこのいたずらに対して注意しないのです。
このモーテルに住むヘイリーの友人のシングルマザーは勤める店の残り物のパンをヘイリー達に
分けています。同じような境遇にある彼女たちの違いはどこから生まれるのでしょう。
ムーニーが人の住んでいない家に忍び込んで失火させてしまいました。
その友人は、息子に悪い遊びをするムーニーと遊ぶなと言います。
事情がよくわからないヘイリーは、彼女を怒りにまかせて悪態をつき、殴るのでした。
私は、日本以外の国々の貧困者に対する福祉制度を知りませんし、
ヘイリー達のような貧困家族に行政はどのような施策をしているか知りません。
おそらく職業訓練や色々な行政サービスがなされていると思うのですが、ヘイリー達に
その手がさしのべられていないのか、彼女たちが「社会的に無知」でそれを知らないのか、
映画ではわかりません。
しかし、彼女たちはかろうじて盗みや薬などの犯罪に手を出さずにもがいています。
映画の後半、ムーニーがお風呂に入っている場面が何回かあります。
この間、映像では描かれていませんが、母親が売春を行っているのです。
ヘイリーは子どものしつけや教育の智恵や力もありません。
ムーニーのいたずらや悪ふざけを私は我慢できず、映画の途中で嫌気がし、
それ以上にこの事態に立ち向かえない母親に「苛立ち」を覚えました。
彼らには貧困の連鎖から抜け出す智恵、気力がもはや残っていないのにです。
そんな中、ヘイリーや子どもたちを厳しくも温かく見守る管理人ボビーは、この映画の
唯一の救いの人柄でした。しかし、そんな彼の心意気も現実の前にはほとんど無力です。
その管理人ボビー役をウィレム・デフォーが好演し、第90回アカデミー助演男優賞に
ノミネートされたそうです。
私の後半の興味は、どのようにエンディングするのか、でした。
ディズニーワールドにムーニーが逃亡するところで終わりました。
私は、しばし考えました。その逃避に未来はありません。二人には、もう現実からの逃避、
つまり幻想以外に道は無かった、と言うことなのでしょう。
貧困や差別、偏見などからの自他の解放は、決して易しいことではありません。
社会や行政も余裕はありません。しかし、日本にはまだ狭く優しくは無いけれども
手を差し伸べてくれるはずの「相談」窓口がある、と思いたいです。
見終わって、私はとても暗い気持ちから抜け出せませんでした。
ムーニーを演じた少女は小憎らしいほど上手でした。  【10月1日】


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